毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

名づける ・ その2

2014年07月22日 06時35分09秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


名前にまつわる力といえば、「西遊記」 に出てくる 金角・銀角の魔王兄弟のエピソード。

孫悟空たちとの攻防で使われる 彼らの宝具に、名を呼ばれたものが返事をすると 吸い込まれてしまう瓢箪があります。

吸い込まれると 中で溶かされてしまうため、互いに相手に名を知られないよう、また 名を呼ばれても うっかり応えてしまわぬよう用心せねばなりません。

これも、前回の話と考え合わせると、なにやら意味深だなぁ、と。

名前とその持ち主の結びつきの強さゆえ、名前を知られたり呼ばれたりすることで、相手に力を奪われてしまうことだってあるのですね。

実際、感じの良くない相手や 下心のありそうな相手には、なるべくなら名乗りたくない・教えたくない、名前で呼ばれたくない氣持ちってあるものなぁ。





名前が その持ち主に力を与えるというのは、良くも悪くも作用するわけですね。

以前、自分の子どもに 「悪魔」 という名前をつけようとして 役所に受理されず、話題になった親がいたと記憶しています。

なんでそんな名前をつけようという氣になったのか、いまだにわかりませんが、ふつうなら 愛するわが子のためには 精一杯すばらしい名前を贈りたいと思うものでしょう。

先日の読み聞かせで、初顔合わせの1年生さんたちに名前を尋ねたときも、親御さんの溢れる思いが込められた すてきな名前のオンパレードに ほのぼのした氣持ちになったものです。

漢字の名前の場合 特に、漢字ひと文字に 数行分の意味が詰まっているから、2~3字のことであっても、そのセレクトや組み合わせから 親御さんの託した夢や希望が垣間見えて、物語を感じるのですね。

そういえば、たしか桐島洋子さんの本だったかと思いますが、外国の人の名前の読みに漢字を当てて その意味を訳してあげると、自分のために一編の詩を作ってもらったようだと喜ばれるというエピソードを読んだ覚えがあります。

そういうときも、やはり ネガティブな意味合いを帯びた漢字は使わない配慮ってありますよね。

名前には、なによりも 最初にそれをつけた人の思いのエネルギーが強くこもっているのかもしれませんが、だとすると、「悪魔」 ちゃん騒動の親御さんにも それなりの理由はあったのかもしれないけれど、やはり不受理になってよかったと思わずにはいられません。

一生ついてまわって その持ち主に作用する力を持つ名前、いいエネルギーが乗りやすいものを選ぶって 大切ですよね。






名づけることで エネルギーを引き寄せようとする働きがある一方で、名づけないことで 力を持たせないようにするとか 距離を置くとかいうこともあるようです。

オードリー・ヘプバーンの映画で有名な トルーマン・カポーティの 「ティファニーで朝食を」 に、ヒロイン・ホリーが 自分の飼っているネコに名前をつけない理由を話す場面がありますが、たまたまめぐり合って仲良くなっただけで、互いに独立していて どちらのものでもないのだからというホリーの言葉に、名刺の住所欄がいつも 「旅行中」 の彼女の 自由だけれど心もとない身の上が象徴されているように感じたものです。

名前をつけるとは それだけ深い絆を結ぶこと、いつも 「旅行中」 で 安住の地を得られないままのホリーは、ネコとの絆を守りとおす自信が持てなかったのかもしれません。

また、刑務所や収容所などで、収監者を名前ではなく番号で呼ぶという話も聞いたことがありますが、ひとりひとりの人格や個性などおかまいなしに、ただ記号的に存在を認められるだけ、という扱いは、たしかに相手のエネルギーを削ぐものだろうな、という氣がします。

ブライアン・デ・パルマ監督で映画化もされた 「キャリー」という超能力少女の物語には、いじめられっこのキャリーが 校長先生に何度も 「キャシー」 と間違った名前を呼ばれて 感情を爆発させ、思わず能力を発動させて 灰皿(だったかな?)を吹っ飛ばしてしまうシーンがありました。

ナポレオンは 多くの部下の名前をきっちり覚えていたといわれていますが、実際好きな人や尊敬する人に 最初からきちんと名前を覚えてもらえればうれしいものだし、名前を間違えられたり忘れられたりすれば、大事にされていない氣がして 不快になったり自信がなくなったりします。

私が 絵本の読み聞かせの初回で 自己紹介をしあうのも、ただ本を読んで終わり、というに留まらず、これから6年間、あなたがたひとりひとりをしっかり見てるよ、大切に思ってるよ、という氣持ちを伝えたいから。

それだけに、名前を覚え切れなかったり 度忘れしたときなどは、冷や汗ものですが。。。。自分だけ覚えてもらえなかったとか間違われたとかでショックを与えてしまったら 逆効果だもの。

今年みたいに12人もいると、ハードル高いです (^_^;)




それにしても、この名前を介する関わりから生じる力っていうのは、バカにならない氣がします。

「エコ」 という名称は、いっとき爆発的に広がって、今でもあちこちでよく見かけます。

エコカーにエコバッグ、エコ住宅、エコライフ、と、なんでも「エコ」 をつければ 環境にいい、みたいなイメージが氾濫しているようですが、こういうキャッチフレーズがひとり歩きを始めちゃうのって 落ち着きの悪い氣持ちにかられます。

「エコ」 という言葉が記号化されて、それに触れると その意味まですっかりわかった氣になって 思考停止し、それ以上突き詰めて考えるのをやめてしまう。

「エコ」 とつけば、それだけで 自分の思考も行いも持ち物も清らかなような錯覚に陥ってしまう。

だから、そこら中の店でやたらとエコバッグが売られているけど、ほんとうに資源の節約になっているの? とか、ソーラーシステムって 廃棄処分するときに 節約した以上のエネルギーが使われるっていう話があるけど いいの? とか、いろいろと妙なことも起こってくるようで。

名前に反応して、肝心のその根っこまで深く切り込むことをやめてしまうのって、今みたいに混乱の多い時代には、特に危ないことのような氣がするのですが。





次に続きます。