私が精神的 ・ 魂的なことに目覚め始めたウン十年前ならともかく、これほどまでにスピリチュアルが公認され、本もサイトもワークショップも充実して、情報が溢れ さまざまな技法が氾濫する この恵まれたご時世。
なのに、五感を超えた世界の知恵を身につけ 輝くように幸せな人が さほど増えたように見えないのは なぜ? というのが 長年の疑問だったんですが、だんだんわかってきました。
どれほど知恵を授け、技法を施し、支え 応援してくれる人がおおぜいいても、
さいごのさいごは 自分ひとりでやるしかない!
という、ここがネックだったんですね。
自分の成功体験を分かち合いたい、ひとりでも多くの人に幸せになってほしい、との熱い思いをこめて、ご自身の体験を語ってくださったり、知恵を伝授してくださったりする方々は、いまやおおぜいおられてありがたいことです。
でも、どんなに真心のこもったアドバイスも、言葉が媒体である以上、届くのは相手の外側まで。
その 外側に置かれたものを 取り込んで 自分のものにするところは、ひとりでやるしかない。
どれほど細やかに説明してくれていても、それを試行錯誤しながら 実際の感覚に置き換えるのは 自分しかいない。
どんなにからだにいいとわかっている食べ物でも、それを口にすると決めるところから 消化 → 同化 (プラス不要なものの排泄) までのプロセスは 自分でまかなうしかないのと同じことですね☆
もちろん 言葉にならないところで伝わるものもあるけれど、それをキャッチできるかどうかは やはり自分次第なわけで。
また、心やからだに溜まった緊張をほぐしたり ブロックを外したりしてくれるセラピーやワークショップも いろいろとあるようですが、それも 万事おんぶに抱っこというわけではなく、楽になった身を自力で保つ知恵を身につけ、その身をもって 自分を変えてゆくのは、やはり自分の仕事。
私も いろいろな本やサイトや講座のお世話になったけれど、一番肝心かなめの 「具体的にどうすればいいのか」 が目隠しされている感を 長いこと拭えなくて、なんだか意地悪されているみたいに思ったこともありましたが、ひとり悪戦苦闘しながら 徐々に手応えを感じてゆくうちに、そこに自力で取り組むことにこそ意味があったんだと わかってきました。
私たちがわざわざ 不自由をおしてこの世界にやってきたのは、一刻も早くゴールするためではなく、そこまでのプロセスをじっくり体験するためなのだもの。
それを 他者にすっかり代わってやってもらったり 答えを丸ごと教えてもらったりしたのでは、せっかく生まれてきた意味がなくなってしまいます。
ここで失敗を重ねて苦労するからこそ、うまくいったときの喜びも大きく、自信もつくし、外からの情報を 自分の知恵や力として確実に身につけることができるんですね。
それに、いくらさいごはひとりといっても、同じ道を歩く友と励まし合うこともできれば、ヒーラーやセラピスト ・ また本やメルマガ等の著者などとして 力を貸してくれる人もいっぱいいるわけで、決して孤立無援ではないのですから。
さらに私は、見えない世界の存在さんたちからも 大きな助けをもらっていると感じています。
多くの先人たちから知恵を借り、歩みを同じくする者どうし 情報交換したり 応援し合ったり、そして ここぞというところは 自分の力でがっちり掴む。
DIYの楽しみは、料理や手芸や大工仕事にも 五感を超えた分野にも 共通のようです(^^)