毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

心和む 「美しき緑の星」

2015年05月13日 23時41分42秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


先日削除されていた 「美しき緑の星」 の動画。

またアップされていて、さらに増えています。

これらもいつまで見られるかはわかりませんが。


     その1          その2          その3




この映画、あとからじわじわきます。

ミラたちの故郷の星でのシーンがふと思い浮かぶと、なんだかほっとしたり 懐かしくなったりして。

人の手で作られる物は必要最低限、あとは 自然の恵みを感謝して戴く暮らし。

冒頭の 総会のために集まった人々の食事風景なんて、平和の象徴みたい。

湖のほとりでの空中ブランコシーンを思い出すと、しみじみ心が和みます。

誰もが欠けることのないまあるく豊かな満ち足りた心を持っているからこそ、こういう生き方ができるのでしょうね(*^ー^*)  




「美しき緑の星」 を見ていると、これまでに読んだり聞いたりしたさまざまなエピソードが 次々とリンクして浮かんできます。

総会場面で真っ先にひらめいたのが、「これ 木内鶴彦さんの話しておられた 未来の理想社会そのまんま」 っていうこと。

木内さんは 「一品持ち寄り」 という表現を使っておられましたが、皆がめいめいの得意技を持ち寄って、出来た物は 必要なだけとったらあとはみんなで分かち合う お金を必要としない生き方、あの食事場面や 余剰作物を希望者どうしで分け合う場面に そっくりそのとおりに描かれていました。

また、「パパラギ」 のサモアの人たちの暮らしとも重なるところがあったな。

場面変わって地球でのシーン、肉屋を見たミラが 「死体の展示場?」 とつぶやくところでは 「アミ 小さな宇宙人」 のアミのせりふが思い浮かんだし、ミラの息子たちが地球にやってきて 「環境と調和し通信能力も高い原住民」 のもてなしを受けるところは、マルロ・モーガンの「ミュータント・メッセージ」でのアボリジニとの砂漠横断の旅を彷彿させます。

あのアボリジニの人たちも テレパシーで会話していたんだよね。

人々の心が変わると やはり自然とこういう生き方になっていくのかなって、親しみ深く感じました。




映画 「美しき緑の星」、まだご覧になっていない方は、感じるものがあれば ぜひ。