毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

私たちの中の 「美しき緑の星」 

2015年05月15日 08時23分42秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きのうの記事には書かなかったけれど、「美しき緑の星」 から連想した話がもうひとつあります。

ライアル ・ ワトソン著 「アースワークス」 に出てくる “ビーチウォーカー” の話。

お貸ししたまま長いこと手元から離れている本なので、内容もうろ覚えですが。。。。

ワトソン博士が浜辺を散歩していて 埋葬されたらしい古い人骨を見つけるんですね。

その骨のつくりや 埋葬の状態、埋葬品などから、この古代の人とその仲間たちは、並外れた知能を持ちながら、それを物質文明の発達の方向でなく 豊かな精神性を育てる方向に生かしたらしいと思われ、博士は そんな彼(彼ら)のありように 敬意を込めて “ビーチウォーカー” という呼び名を奉るのです。




日本の古代史でも、縄文人は 稲作について知りながら、そこから生まれるであろう物質への執着や 身分制などの害を見通して、あえて選択しなかった、という話を聞いたことがあります。

「美しき緑の星」 のミラたちも、いったんは物質的に栄える道を選んだけれど、生き方を見直して 物欲を手放し、自然の一部として 心豊かに生きる道を選び直したのですよね。




物質への欲求を手放した生き方というテーマは、小学生のときになぜか心惹かれた 「かもめのジョナサン」 に始まって、これまでにもここで取り上げたことのある 「パパラギ」 ほか、エンリケ ・ バリオス作 「アミ 小さな宇宙人」、ダン ・ ミルマン著 「やすらぎの戦士」、そして 写真家 ・ 星野道夫さんや ターシャ ・ テューダーさんのご著書などを通じて、私の中で 少しずつ大きくなっていました。




さらに この流れを一段と鮮明に印象付けてくれたのが、マルロ ・ モーガン著 「ミュータント ・ メッセージ」 という本。

仕事のため移り住んでいたオーストラリアで ひょんな成り行きで あるアボリジニの部族と砂漠への放浪の旅に出ることになったモーガンさん。

断りたくとも断れない状況で、水も食料も持っていないらしい様子から せいぜい2~3日のことと考えて やむなく参加しますが、その徒歩での砂漠横断旅行は なんと数ヶ月に渡って続くのです。

砂漠を知り尽くしている部族の人たちは、およそそんなものがあろうとは思えないところから 食べ物や水を見つけ出す力を備えており、動植物のあらゆる部分の生かし方や 薬草などの扱いにも長け、天から与えられるものだけで 砂漠での暮らしを十分成り立たせています。

また彼らは テレパシー能力も持っていて、言葉を使わず会話できるほか 進む先に 自分たちの必要とするものがある(待っている?)のを感じ取ることができ、さらには呪術めいたやり方で 手術などの西洋医学的な手立てまったくなしに 怪我を治すこともできるのです。




実はこの本、いろいろとあって 当初ノンフィクションとして刊行されたものが、のちにフィクションと訂正されたという話を 最近知りました。

が、そういういきさつとは関係なく 今なおこの話に愛着を感じるのは、事実であろうとなかろうと この本の提示した世界観が、深い共感と共に 私の中に眠っていた新しい価値観を呼び覚ましてくれたからだと思うのです。




これも長いこと読んでいないので 正確な言葉は思い出せませんが、「やすらぎの戦士」 の中に こんなふうな公式が出てきます。


              手に入るもの = 幸福
               欲しいもの


この公式を示した人物が言おうとしたのは、大きな幸福を味わうのに 分子を大きくすることもできるし、また分母を小さくすることもできるんだよ、ということ。

これまでの私たちの生き方は ひたすら分子を大きくするほうに邁進してきましたが、その結果 今 分母を小さくするほうに意識の向く人たちが増えてきているようです。

そして、その新しい方向が示す 新しい豊かな生き方を 具体的に鮮やかに見せてくれているのが、この 「ミュータント・メッセージ」 であり、映画 「美しき緑の星」 であると思うのです。




映画のミラたちのようにはとてもいきませんが、小さく地道にこつこつと 感覚フォーカスによって 「ミニミニ切断」 とでもいうようなことを続けてきた今、自分の内にはっきりと感じます。

心が満たされるほどに 外側のものへの執着は薄れると。

きのう書いたように、ガマンではなく 自然と欲しがらなくなるのです。




私たちは 本来ミラたちのように 満ち足りて豊かな心の持ち主だったんじゃないかと思います。

道を外れて いろいろと体験して、再びほんとうの自分に戻る決心をして。

「美しき緑の星」 は、今はまだ眠っているかもしれないけれど、私たちひとりひとりの中に すでに存在していると感じます。

そして今 急速な広がりを見せているらしいこの映画、忘れていた私たちのそんな意識を呼び覚ます役目を担っているんじゃないかな、とひそかに思っている貴秋です(^^)