先日 「美しき緑の星」 に絡めて名前を挙げた、マルロ・モーガン著 「ミュータント・メッセージ」 。
この中に、「経験の輪を閉じる」 という話が出てきます。
起きたことから学ばずに そのままにしておくと、あとできっとまた同じことが繰り返される、だから、よく観察して 学んで 賢くなって、その出来事に感謝して 平和な氣持ちで離れる、すなわち ひとつひとつの経験の輪をきっちり閉じて 終わらせるのだ、と。
10年ほど前、ある旅館で働いていたとき、そこの人間関係が重荷でなりませんでした。
今思えば、それは明らかに 自分のセルフイメージが投影された世界だったのですが、当時はそんなことぜんぜん知らなくて、ただ ここもういやだー (T_T) 、とだけ。
で、別の職場を探すに当たり、大人数のところは いろんな人がいて 何かとややこしいことが多いから、次は規模の小さい少人数のところを、という基準で選択して 移ったんですね。
ところが、そこでもまったく同じようなことが繰り返されたのです、もう笑ってしまうぐらい(*^▽^*)ゞ
あれには教えられました。
いくら逃げても無駄なこと、そんなことにエネルギーを使うより、目の前の問題にしっかり取り組み、メッセージを得て きっちり終わらせることだ、と。
「ミュータント・メッセージ」 を読んで以来、この教訓について 「ちゃんと輪を閉じて終わらせないとね」 というような表現を使うようになりました。
感じ尽くしたつもりでいても、また同じ感情や感覚が上がってくるときは、それはまだ 輪が閉じられていないんですね。
根深い思い込みは、一度でスパッと片がつくものでもないらしく、同じような体験を いく度も繰り返しながら、少しずつ氣づきが深まるといった道筋をたどるようです。
一方で、同じように繰り返し上がってくるのだけれど、これはもう突き詰めずにスルーしていいんだな、という記憶が混じっていることに 最近氣づきました。
なんとなく、これ以上いくら取り組んでも キリがない、これはもう終わってるんだな、とわかるのです。
すでに解き放たれた思考回路でも、スイッチが入って過剰反応するクセが切り離されただけで、回路自体がなくなったわけではありませんから、ふとした拍子に 過去の一場面が ちらっと記憶の端に映し出されることはあるようで、それは 相手にせず、右から左に流しておしまい、でいいのだとわかってきました。
これからは、輪が閉じられたものと そうでないものを見分けながら 進んでいくことになりそうです。
そして さらに今度は、その輪が閉じられた回路に替わる もっと肯定的で楽しい回路を育ててゆく、という新しい段階に入ったようです。
これまでの感覚フォーカスと並行して、楽しいこと、面白いこと、これだ! ってうなずけるようなことを いっぱい体験するときがやってきたよ、と♪
こういうのって、内側からなんとなくわかるんですね(^^)
この夏は、思いっきり動いて しかもそれを楽しみたい!
そして、ほんとうの自分に もっともっと近づきたい!
5月だというのに 夏を思わせるような暑さの中、内側からも 熱い思いがこみ上げてくるようです o(^-^)o