Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

12人の優しい日本人

2006-08-11 | 日本映画(さ行)
★★★★★ 1991年/日本 監督/中原俊

「日本のコメディもやるじゃん、と初めて思った」


名作シドニー・ルメットの「12人の怒れる男」をベースに、もしも日本に陪審員制度が導入されたらを描くコメディ。この当時は鼻で笑っていたけれども、あれから15年。なんと日本にも陪審員制度が導入されることが決定。もしかしたらこの映画のようなことが、実際に起きるかも知れない、と思うと安易に笑ってもいられないのだが、まあそれはさておき、これは実に面白い映画です。

これを観て日本のコメディも悪くないな、と思い、脚本家の名前を頭に入れて、以来ドラマの三谷幸喜作品は欠かさず見るようになった。演劇好きの人であれば、まず東京サンシャインボーイズから入るのだろうが、演劇が苦手な私はこの「12人の優しい日本人」を経由して三谷ファンになったのだ。

登場人物が12人と多いのだが、観客はすぐにそれぞれのキャラクターを把握できる。それが、審議を始める前に喫茶店に飲み物を注文するくだりだ。何でもいいという人、誰かの注文に合わせる人、メニューにない物を無理に頼もうとする人、ぎりぎりになって注文を変える人…。この短いシーンで12人の個性が顕わになるのだ。私は冒頭のこのシーンで三谷幸喜のセンスにすっかりやられた。しかも喫茶店の注文一つまとめられない状況が、今後の審議の進まぬ状況を予感させるのだ。

シーンは、裁判所の一室の中。最初から最後までセリフの洪水。まさに脚本力がないと、116分ももたない。それにしても、各出演者のかけあいの間が絶妙。セリフがまるで「合いの手」のように次から次へとぽんぽん投げ出される。聞いてて、心地よいリズム感がある。「責任を取りたがらない」「人の意見にすぐ左右される」といった、日本人気質を逆手に取った自虐的なセリフが次から次へと飛び出し、大爆笑。

また三谷幸喜は12人それぞれに非常に深いキャラクター性を与えている。12人の人と成りを作り込んで、それぞれが突っ込みの矢を放ち合いながら、議論をあっちへこっちへと振り回す。裁判所の部屋の中、というシチュエーションが全く変わらない状況で、これだけスリリングな展開が作れるなんて、本当にすばらしい。一体、どんな結論になるのか、ハラハラドキドキだ。

さて、この映画。監督は、三谷幸喜ではなく、中原俊である。私は、中原監督の誇張しすぎない静かで丁寧な作り方が、この映画を実に品の良い作品にしたと思う。ドタバタコメディにしようと思えばできる素材である。それを、比較的ゆったりとしたトーンで描いているのが、非常に良かった。判決が決まり、ひとりずつ部屋から出て行くラストシーン。初めての部屋以外の場面になること、ドアを開けて去ることが、12人の開放感を表している。一人ずつ去ってゆくことで観客も映画の余韻をしみじみ味わうことができる。

最後に。この映画を見て弁護士を演じる(実は俳優だったのだが)、ひと際存在感を示す若い役者に私は一目惚れ。エンドロールが流れる中、その俳優の名前を頭にたたき込んだ。豊川悦司。以降、私は彼の大ファンになったのだ。