★★★★★ 2001年/フランス 監督/フランソワ・オゾン
「あなたには重みがない」
25年連れ添った夫が浜辺で突然姿を消した。事故なのか、自殺なのか、それとも失踪なのか。妻は夫の不在が受け入れられずに、彼のまぼろしを見るようになる…。
現在活躍中のフランス人監督で誰が一番好きかと聞かれれば、私は真っ先にフランソワ・オゾンと答える。(もはやすっかり人気者になってしまったが)それにしても、彼との最初の出会いが「焼け石に水」だったので、この作品の作風がそれとはずいぶん異なることに驚いた。弱冠37歳という若さで、このような深い中年女の心理模様を描いたこと、そして稀代の名女優シャーロット・ランプリングを再び表舞台に立たせたことということが、彼の映画監督としての才能を大いに物語っている。
何と言っても、シャーロット・ランプリングの美しさを存分に引き出したところがすばらしい。リリアナ・カヴァーニの名作「愛の嵐」は私も大好きな作品で、裸にナチの帽子とサスペンダーというあの出で立ちは、女性である私から見ても忘れられない美しさだった。ところが、その後のランプリングって、あんまり作品に恵まれていなかったように思う。彼女の妖しげな美しさを「利用して」そのような雰囲気だけお借りします、みたいな作品が多かった。まあ、ポール・ニューマンと共演した「評決は」まだ良かったかな。
で、まぼろしに戻って、この作品ではシャーロット・ランプリングの美しさにほんと惚れ惚れする。もちろん、若い女性の持つ美しさとは全然違うんだけれども、妖しくて、哀しくて、凛として。ラブシーンでもきれいな乳房を堂々と出してます。そこには、50代の女性に真っ向から対峙しているオゾンの真摯な姿勢とシャーロットへの賛美が感じられる。オゾンのこの視線はその後の作品「スイミングプール」でも堪能できる。
夫を失った喪失感に耐えきれず、部屋で夫を見るようになる彼女は精神的におかしいのだろうか。私は全編通して、これは喪失を埋めるための必要不可欠な通過儀礼であり、非常に自然な心の流れだと思う。オゾンっぽいなあ、と思うのは結局彼女がそれを乗り切れたのかどうかわからないラストシーンである。
夫らしき死体が上がったと警察から連絡が入り、確認に出向くマリー。検察医から腐乱が激しいので見るのは止めた方が良いと言われるにも関わらず、どうしても遺体確認がしたいと安置室へ行く。このくだりで、マリーはようやく夫の死を受け入れる決心が付き、そのふんぎりを付けるためにも死体を自分の目で確認しようとしたのだと思った。ところが、遺留品の時計を見せられ、「これは夫のではない。あの死体は夫ではない」とひるがえすマリー。浜辺で見た男は、またもやマリーが作り出したまぼろしなのだろうか。それとも、浜辺でひとり嗚咽した後、彼女は全てを受け入れることができたのだろうか。大いに余韻を残す美しいラストシーンだ。
私がオゾンを好きなところは、西川美和監督のテイストとかなり似ているのだが、人の感情にチクリと針を刺すそのやり方にある。人間の持つイヤな部分を非常にシニカルでドキッとさせる方法で見せる。何でこういうセリフが書けるの?とつくづく思う。この作品では夫の死後、関係を持った男に「あなたは重みがない」と言い放つシーン。(マリーの夫は大柄で恰幅のいい男なのだ)そして、夫の母に「あなたに飽きたから息子はどこかに行ってしまったのよ」とマリーが言われるシーン。こういった人間の心の深いところをえぐるようなセリフやシーンを見せつけられると、私はすっかりその監督のファンになってしまうのだ。
「あなたには重みがない」
25年連れ添った夫が浜辺で突然姿を消した。事故なのか、自殺なのか、それとも失踪なのか。妻は夫の不在が受け入れられずに、彼のまぼろしを見るようになる…。
現在活躍中のフランス人監督で誰が一番好きかと聞かれれば、私は真っ先にフランソワ・オゾンと答える。(もはやすっかり人気者になってしまったが)それにしても、彼との最初の出会いが「焼け石に水」だったので、この作品の作風がそれとはずいぶん異なることに驚いた。弱冠37歳という若さで、このような深い中年女の心理模様を描いたこと、そして稀代の名女優シャーロット・ランプリングを再び表舞台に立たせたことということが、彼の映画監督としての才能を大いに物語っている。
何と言っても、シャーロット・ランプリングの美しさを存分に引き出したところがすばらしい。リリアナ・カヴァーニの名作「愛の嵐」は私も大好きな作品で、裸にナチの帽子とサスペンダーというあの出で立ちは、女性である私から見ても忘れられない美しさだった。ところが、その後のランプリングって、あんまり作品に恵まれていなかったように思う。彼女の妖しげな美しさを「利用して」そのような雰囲気だけお借りします、みたいな作品が多かった。まあ、ポール・ニューマンと共演した「評決は」まだ良かったかな。
で、まぼろしに戻って、この作品ではシャーロット・ランプリングの美しさにほんと惚れ惚れする。もちろん、若い女性の持つ美しさとは全然違うんだけれども、妖しくて、哀しくて、凛として。ラブシーンでもきれいな乳房を堂々と出してます。そこには、50代の女性に真っ向から対峙しているオゾンの真摯な姿勢とシャーロットへの賛美が感じられる。オゾンのこの視線はその後の作品「スイミングプール」でも堪能できる。
夫を失った喪失感に耐えきれず、部屋で夫を見るようになる彼女は精神的におかしいのだろうか。私は全編通して、これは喪失を埋めるための必要不可欠な通過儀礼であり、非常に自然な心の流れだと思う。オゾンっぽいなあ、と思うのは結局彼女がそれを乗り切れたのかどうかわからないラストシーンである。
夫らしき死体が上がったと警察から連絡が入り、確認に出向くマリー。検察医から腐乱が激しいので見るのは止めた方が良いと言われるにも関わらず、どうしても遺体確認がしたいと安置室へ行く。このくだりで、マリーはようやく夫の死を受け入れる決心が付き、そのふんぎりを付けるためにも死体を自分の目で確認しようとしたのだと思った。ところが、遺留品の時計を見せられ、「これは夫のではない。あの死体は夫ではない」とひるがえすマリー。浜辺で見た男は、またもやマリーが作り出したまぼろしなのだろうか。それとも、浜辺でひとり嗚咽した後、彼女は全てを受け入れることができたのだろうか。大いに余韻を残す美しいラストシーンだ。
私がオゾンを好きなところは、西川美和監督のテイストとかなり似ているのだが、人の感情にチクリと針を刺すそのやり方にある。人間の持つイヤな部分を非常にシニカルでドキッとさせる方法で見せる。何でこういうセリフが書けるの?とつくづく思う。この作品では夫の死後、関係を持った男に「あなたは重みがない」と言い放つシーン。(マリーの夫は大柄で恰幅のいい男なのだ)そして、夫の母に「あなたに飽きたから息子はどこかに行ってしまったのよ」とマリーが言われるシーン。こういった人間の心の深いところをえぐるようなセリフやシーンを見せつけられると、私はすっかりその監督のファンになってしまうのだ。