Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

みんなのいえ

2006-08-13 | 日本映画(ま行)
★★★ 2001年/日本 監督/三谷幸喜

「部屋を飛び出したら、予想通りつまらなくなった」



あれほどの名作を次々と送り出している三谷幸喜がなぜ?という哀しみの後、「いや、これはわざとこうしたんだ、そうとしか思えない」という思いにかられ、なぜこの作品を撮ったのか無理矢理理由を考えてみる、という不毛なことをしてみる。もちろん、個人的な勝手な想像で三谷幸喜が聞いたら怒るかもしれんが。まあ、見ることも聞くこともなかろう。

「シチュエーションコメディでしか、面白いものが作れない」という枠から一度出てみたかったんじゃないだろうか。そうとしか思えない。今作品は、家を建てたい若夫婦の奔走、ということで、文字通り部屋を飛び出し、様々な場所でのロケーションが多く使われている。映画的に言うと「長回しの撮影」が多く見られるらしいのだが、当たり前のことだが、長回しすれば映画的になるわけではない。私はこの作品で三谷幸喜の良さがことごとく削がれているような気がしてならない。内輪ノリの面白さを、今作では敢えて使わないようにした。「家を建てる」という一大ドラマをめぐる人々の悲喜こもごもをペーソスあふれる作品に仕立て上げたかった。しかし、そこに残ったのはありきたりな、そうあまりにもありきたりで、泣けもしない笑えもしない家族愛だ。

三谷幸喜が描く人物に多く共通しているのは「ゆるい感」である。なんかやる気のない人たち。そして、逆に人よりもやる気満々な人、つまり「勘違い野郎」がそこへ混じって騒動を起こす。今作品ではゆるいのが若夫婦八木亜希子と田中直樹だろうか。いや、田中直樹はいいとしても、八木亜希子の役割が何だったのか、今いちはっきりしない。この居心地の悪さは結局最後まで尾を引く。設計を頼んだ唐沢寿明と大工の棟梁である父の田中邦衛との板挟みになる彼女だが、本来はこの点において、あっちの味方だったり、こっちの味方だったりして、右往左往することできっと面白い小ネタがいっぱい出たはずだが、ついに不発。もう、これは敢えて「小ネタ」は封印したんだな、と思うしかない。

それから、私が大いに不満なのは、「デザイナーと大工棟梁のいがみ合い」という構図があまりにも陳腐な点だ。今作品は三谷幸喜自身が家を建てた時の体験に基づいているらしいが、本当だろうかと疑いたくなる。「新しきもの」と「旧きもの」が対立し、双方「いいものを作りたい職人気質」をもって和解と、す。んな、アホな。デザイナーも棟梁も一般的に「誤解されているキャラクター」をそのまま踏襲しているのも納得できない。世の中そんなにワガママ通している設計士ばかりではないし、棟梁はいつだって頑固なわけじゃない。この映画を見て「家を建てるってこういうことなんだ」とは、絶対思って欲しくない。夫が住宅の建築士なので、よけいにそう思う。この映画を見終わった夫はがっくり肩を落としていたもの。

というわけで、この作品は三谷幸喜作品だと思わずに見れば、そこそこに楽しめるのかも知れない。ただ、デザイナーと義父である棟梁があまりに仲良くなるのを夫である田中直樹が嫉妬する、というシーンがある。こういうエピソードは実に三谷幸喜的なのだが、これまた実に消化不良な処理のされ方のまま、放ったらかしなのだ。ううん、解せん。とにかくこの映画は解せぬ事づくめなのだ。