Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ミリオンダラー・ベイビー

2006-08-15 | 外国映画(ま行)
★★★★☆ 2004年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド
「極限で結びつく魂の物語 」


クリント・イーストウッドという監督は題材選びがうまいなあ、と本当に思う。目の付け所がいい、というのかな。しかも、問題定義の仕方がひと筋縄じゃない。その問題点を煮詰めて煮詰めて、周りに付着しているいろんなものをそぎ落としながら、「芯」だけにして「どう思う?」と目の前に突きつけるような感じだ。公開が迫った「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」ではついに戦争を描くが、いったいどんな研ぎ澄まし方をしたのか、今から興味深い。

これは貧しい女性ボクサーマギー(ヒラリー・スワンク)と老トレーナーフランキー(クリント・イーストウッド)の信頼の物語でありながら、その軸にまとわりつくのは白人の貧困層問題、移民問題、尊厳死問題と実にヘビィな題材ばかり。しかし最終的に私が感じたのは、このヘビィさを補って余りある2人の愛の物語だ。ギリギリのところで生きようとするふたりだからこそ感じられる魂の結びつき、とでも言うのかな。

ボクシングという死と隣り合わせのスポーツを通して2人の魂は堅く結び合う。だから、マギーは本当に死を目の前にした時に迷うことなくフランキーに自分の命を委ねることができた。もちろん、マギーはフランキーに亡くなった父を見いだし、フランキーはマギーに自分の娘を重ねているのだと思う。だけれども、「父と娘」という関係ではしっくり来ない。やはり、これは一人の若い女性と年老いた男の愛の物語だと感じた。

誰もがこの映画を見て感じることは、マギーが成功を収めてからそこへ「尊厳死」という全くとんでもない方向へ物語が進むことへのとまどいだろう。私も正直、この展開には随分驚いた。貧しいながらも努力し、血の滲むような練習を続けようやくつかんだ栄光の座。それが一転マギーは四肢麻痺になってしまう。

どう見ても救いようのない展開ではあるが、尊厳死を選択するマギーとフランキーに私は崇高なものを感じた。もちろん、そこに至るまでの苦悩が生半可なものではないのは承知だが、マギーが死を懇願しそれを受け入れるフランキーの2人からは非常に宗教的で厳かな佇まいを感じる。しかし、この2人は敬虔なカトリック信者。道義的に考えれば尊厳死など許されるはずはない。この相反する事柄が示す矛盾は、日本人よりも欧米人の方に訴えかけるものは大きいのだろう。宗教に関して多くを語ることのできない日本人にとっては、様々な事を汲み取るのが非常に難しい映画だ。しかしそれでも、魂を込めて生きようとした2人の姿は多くのことを我々に訴えかけるだけの力を持っている。