Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ミスティック・リバー

2006-08-14 | 外国映画(ま行)
★★★★☆ 2003年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド
「クリントの問題提議を真摯に受け止めなければならない」



見終わってつらい気持ちになっても、そこから感じ取れることがたくさんある映画。アメリカ社会が抱える幼児性愛者の問題。「目には目を」の考え方が持つ危険性。郊外住宅地における閉塞感。確かにラストは悲劇的だ。だが、ここまで悲劇的だからこそ、我々は様々な教訓を得なければならないと思わせてくれる。

ただ、描き方があまりにも救いがないためか、最終的に暗い気持ちしか残らない、という感想が多く見受けられる。しかしそれは考えようによっては、それだけイーストウッドの極めて醒めた目で描ききった演出力のレベルが高かったからこそではないだろうか。

ちょっとしたボタンのかけ違いで悲劇が悲劇を生む、という作風に関しては「砂と霧の家」でも述べた。今作では、デイブはもちろん、「あの時車に乗せられたのが、デイブじゃなかったら」という思いは、ジミーにもショーンにもくすぶり続けている。何気ない行動や判断がとんでもない悲劇を呼び込む。何と人生とは不条理なものか。しかし、神でもない我々はいかなる不条理をも受け入れ生き抜くしかない。しかし、デイブは友人であるジミーによって殺されてしまう。しかも、大きな誤解をもって。デイブの死は現代社会が抱えている問題の象徴だ。

ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン。3人の俳優の演技力は、もう非の打ち所がない。ショーン・ペン演じるジミーは、短絡的で暴力的で本当に嫌な奴なんだけれども、彼が演じるとただの悪党にならないのが本当に不思議。ケビン・ベーコンはここのところ悪役が(しかも本物のワル)多いんだけども、悪の匂いを残した人間くさい警官を見事に演じてた。ティム・ロビンスは、最近こういう暗い役が多いなあ。あの挙動不審なところなんて、やっぱりアンタなの?と私も疑ってしまったもんね。トラウマを抱えたまま成長した男のもの悲しさが滲み出てました。

映画のラストは、原作よりもさらにぼかした終わり方になっている。それはこの問題をしっかり受け止め、考えて欲しいというイーストウッドの気持ちがそうさせたのではないだろうか。