Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ザ・マジックアワー

2008-06-10 | 日本映画(さ行)
★★★☆ 2008年/日本 監督/三谷幸喜
<TOHOシネマズ二条にて観賞>
「みんなから好かれたい作品」




三谷幸喜は、なぜここまで大風呂敷広げた作品ばかり作るようになっちゃったんでしょう。陪審員が集う小部屋、ふたりきりの取調室、ラジオ局の小さなブース。小宇宙の中で繰り広げられる悲喜こもごものドタバタ劇のあの密度の濃い面白さは、もう二度と見られないのでしょうか。評判も高く、客入りも上々なんて話が飛び交う中、原点回帰して欲しいと全く逆のことで頭がいっぱいになるのでした。

映画へのオマージュ、ですか。映画を愛する人たちへ、映画に関わる人たちへ、そのアピール具合が目に余ります。オマージュを捧げると言うのは、一部をパクって見せる、またはパロって見せる、と言うのとは全く別次元です。自分自身の作品がしっかりと地に足を付けて完成された上で、あるシーンをふと思い起こさせるものであったり、同じテーマをそこはかとなく内包させたりするもの。これ見よがしにつぎはぎで並べ立てるものでは決してない。もはやこれはオマージュではなく、コラージュ。

もちろん、脚本家としての彼の力量がこれらのつぎはぎを何とか1本のうねりに仕上げているのは、間違いないでしょう。それでもなお、なにゆえ今の彼がこれほど映画に愛を捧げるフリをしなければならないのか、全く合点がいかないのです。決して、つまらないストーリーではなく、所々笑わされる部分もありました。しかしながら、私にとっては彼の「映画愛」が全ての観客、全ての業界人に愛されたいという媚びに見えて仕方ないのです。市川監督の「黒い十人の女」のパロディシーンも出てきます。これまでの三谷作品が、市川作品の一体何に影響を受けたというのでしょう。カッティングですか?セリフ回しですか?

フジテレビのバック、ということも大きいのでしょう。ここまで、有名俳優を出演させて、お金もかけておいて、お客さんが入りませんでしたというわけには死んでもいきませんもんね。でも、これで興行成績上がったら、三谷さん、もっと大きいセットでどーんとでかい映画やりましょうなんて話になるのかな。フジテレビは三谷幸喜の才能をつぶしてしまわないだろうか。私の周りでは大声で笑う人も結構いましたが、そんなに?という感じ。戸田恵子のヘアスタイルが違うのも、笑えるのは二度目まで。136分という尺も、長い。カメオ出演も、もう飽きました。95分くらいのミニマムな三谷作品が私は見たい。