Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

恋の罪

2013-01-28 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2012年/日本 監督/園子温 
(DVDにて鑑賞)


「彷徨う体を取り戻す」



寝た男から必ず金を取れ。500円でも1000円でもいい。
しかし、下手に20000円、30000円と釣り上げて、体を売ることに相対的な価値観を持ち込むな。
正確なセリフは忘れましたが、激しい交わりの中、鬼の形相で叫ぶ美津子の言葉が突き刺さり、
頭の奥がズキズキするような感覚に襲われます。

私の体は一体誰のものか?

私の体にはどんな価値があるのか?それは、誰が決めるのか。

そうした問いに悩まされる女性は少なくないと、私は思う。だって、世界最古の職業は売春婦と言われるくらいだもの。
時折、「自分の体」が分離して、ひとつの物体として存在し、それを遠くで眺めている自分がいる。
そんな感覚に襲われることがある。
だから、その不安に押しつぶされる前に「とりあえず」金を取るんである。
例えば、一回1000円。料金に変動はなし。
自分が決めた金額だから、それは相対的な価値ではなく、絶対的な価値。
(そうなると価値を「貨幣」で取り扱うことがどうなのかってハナシになるわけだけど、泥沼に入りそうなのでやめる。
お金はわかりやすいです。それは、ひとつの真理ではあります)

他人に決められたんじゃない、自分で自分の体の価値を決めたんだ。そう思うと、自信がみなぎる。
男に抱かれた後、素っ裸のいずみが鏡の前で恥ずかしがっていたウインナーの実演販売を堂々と行う。
巨乳をゆさゆさとさせて、ウインナーどうですかぁ!と大声を張り上る様子につい笑ってしまうが、
(裸にウインナー実演という組み合わせがいかにも園監督らしい)
大なり小なり、女ってこんな行動に走りやしないだろうか。
宙ぶらりんだった体の置き所ができると、途端に気持ちに余裕ができる。

やはり気になるのは「城」という言葉だろう。
いきなりセリフで「カフカの城」なんて言うもんだから、興ざめしたり、表層的な物語に見えてしまうのは確か。
「城」の入り口を探すとは女たちの心をしっかりとしまってくれる入れ物、つまり「体」の在りかを探すということだろうか。
しかし、女たちの堕ちる様を見ていると、「城」を求めて堕ちるのではなく、
全ての女は堕落の欲望をいつも抱えているゆえに、いったん城探しを始めると、ひたすら堕ちてゆくしかないように見える。
体の在りかを探せば探すほど、堕ちてゆく快楽に抗えなくなる。

カフカの「城」において測量士Kがぐるぐると城の周りを回り続けるのも虚しいが、
どんどん底に堕ちてゆくしかない女はもっと悲惨だ。体の在りかを探し持ち始めたら、もうおしまいってことか。
それほど、堕ちる快楽も根深い。
だから、こんな女性たちの気持ちがわからない、と言う方はとても幸福な方だと思う。嫌みでも何でもなく。
私だって、いつ城探しを始めるかわからない。それは恐怖だ。
「女という病」を書いた中村うさぎ氏はこの映画をどう思うだろうか。

女優たちはみな大熱演。ぺったんこの胸の富樫真の振り切れ具合は怖すぎる。でも、何度か爆笑。
予想以上に水野美紀が良かったな。空っぽでさまよっている女、アンバランスな危うさを見せていた。