【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

風に立つライオン

2015-09-10 | 映画・演劇・ミュージック・コンサート





僕の尊敬し、愛する医師がいる。
酔った時に一度だけ彼が医師になった理由を聞いた。少年の頃、シュヴァイツアーに憧れたのだ。そうして、本当に医師となり、本当にケニアへ巡回医療の医師として出かけて行った。
酔うと少しだけ 饒舌になる彼は、遠くを見る様に宙をみつめ乍ら、僕に大自然を語った。そんな時、いつも少年になる。
彼は、極めて優秀な外科執刀医である。故に、人に生命に対して敏感である。人々の生と死の間の戦いを、共に戦うのだと彼は言う。
仮に助かっても、それは医師が助けるのではなく、神様が助けるのだ、と彼は真面目な顔でいう。
だから、助かろうという意思の無い人は、助けるのが困難だと。
そうして、駄目な事だってある。その度に、たとえ、現代医学では、絶対に無理だ、と分かっていても、自分以外の人が執刀したら、もしかしたら助かったのではないか、と深く悔やむ人なのだ。
もしも彼が言う様に、人が助けるのではなく神が助けるというなら、もしかすると、彼は天使なのではないかと思う事がある。
それ程に彼は優しく、暖かだ。
「僕はのたれ死ぬとです。」
彼は、酔いが廻ると、そう独白く。
生命の尊厳と常に対峙しているからこそ、神の領域に挑む不遜さを知っている。
ケニアの大自然の中で、彼は神と共にあったのかも知れない。
この歌は、そんな彼の青春の一片を歌おうとした。
僕も、僕の草原の、風に向かって立つライオンでありたい。
この歌を、宮崎医科大学の柴田紘一郎先生に

さだまさし CDアルバム:夢回帰線(1987年)ライナーノートより

この「風に立つライオン」のモデル柴田紘一郎さん70年代前半ケニアに派遣され現地で医療に携わった医師、柴田先生は、さださんのお父さんの親友でした。さださんが二十歳の頃、運命の出会いを果たします、柴田先生が語るアフリカでの体験に衝撃を受けました。柴田先生との出会いから1年後にさださんはデビューしヒット曲を次々と生み出します、、しかし、心には柴田先生のアフリカを歌にしたい、という思いが常にありました。1987年さださんが35歳の時に発表した「風に立つライオン」柴田先生との出会いから実に15年が経っていました。
俳優の大沢たかおさんは、「風に立つライオン」この歌に込められたメッセージを映画にしたい、さだまさしさんに「原作を書いてほしい」と直談判されたそうです。
去年、彼は1か月にわたりケニアに滞在してアフリカを舞台にした映画の撮影に臨まれたのです。

それから1年、今春、映画は公開されました。


大沢たかおさんは「さださんから受け取ったメッセージは多くの人に届けることができ、役者として使命を果たせたと感じております。」っと、お話しされてます。
さらにまた一人この歌に背中を押され夢に向かう若者が居ます.
「国際医療に貢献したい」という夢を持ち柴田先生と同じ長崎大学に入学、しかし自分の選んだ道を信じていいのか?時に悩んだ学生時代。
21歳の時出会ったのが「風に立つライオン」でした。
今年、青年海外協力隊に合格、派遣先はかって柴田先生が向かったケニアです。
これから2年間自分の夢を実現させるためケニアに向かって旅立つ若者・・・

さださんは「世界中で頑張る日本人を応援するような、この歌をきっかけに、そういう働きができたら最高だなっと今思います」

44年前柴田先生がアフリカでともした情熱の炎は歌となり映画となり人から人へ受け継がれてきました。今もこの歌は世界中のどこかで戦う誰かの支えになっています。

大沢たかおさんSONGS“さだまさし生きることの意味を問う”より