【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

伏見稲荷大社~東福寺 2019-1-11

2019-01-18 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング


伏見稲荷大社⇒四つ辻⇒東福寺⇒今熊野神社昼食⇒豊国神社⇒耳塚⇒京都駅

京阪電車深草で降り徒歩で伏見稲荷大社まで、鳥居前で集合。
ここは狛犬が、おキツネさまです。稲穂をくわえています。




五穀豊穣の神様に由来すると考えられています。現在では様々のことでご利益があるとされる稲荷神社ですが、もともとは穀物・農業の神様です。
他に境内のあっちこっちで鍵・玉(宝珠)・巻物などくわえているっと、それぞれに意味があるっとも教えていただいて、もっとしっかり見とくべきやったなぁ・・・っと反省

本殿 です。


千本鳥居 の最初は2筋に分かれていますが、2つは平行していますので、どちらを通っても奥之院に行きます。


こちら

右バナーの【京都伏見稲荷大社の情報一覧】を下へスクロールして「京都・伏見稲荷大社の千本鳥居の意外な実数が判明」をクリックすると・・・疑問が解決。

だいぶん奥に来ました、

熊鷹社を過ぎてちょっと急な坂を頑張って登ります。
四ッ辻(見付の峰) の茶店前から西方を展望。

そのあと、京都一周トレイル の道標を見ました、

下山してからは京都一周トレイルからは離れたみたいです。

東福寺方面へ向かいました。
紅葉の頃、このコース(伏見稲荷~東福寺)を歩きたいなっと思ってたんですが、なかなか実現してません。またチャレンジしよっと・・・
東福寺の南側 から境内に入ります、すぐに大きな 東福寺・三門(国宝)が目に飛び込んできます。





東福寺の山門(三門)は、1425年(応永32年)、室町幕府第四代将軍だった足利義持が再建した五間三戸、重層入母屋造の建物で、現存する禅寺の三門としては日本最古のもの(国宝)。
九条道家によって創建された東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の「東」と「福」をとって寺名としている。
 京都五山の第四位の格式を誇った寺。

遠くに見えるのは通天橋です、


大本山の寺院内にある仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた橋廊です。この遠望は臥雲橋(がうんきょう)からの眺めです。
東福寺の境内には洗玉澗に架かる橋が3つあり、通天橋・偃月橋(えんげつきょう)・臥雲橋(がうんきょう)は、東福寺三名橋と呼ばれています。
紅葉の頃、通天橋からの眺めは最高・・・
また、通天紅葉と呼ばれる洗玉澗一帯に繁る楓は、宋より渡来した葉が三つに分かれた三葉楓で、黄金色に染まるのが特徴のようで・・・っと教えていただきました。ぜひぜひ紅葉のころ再訪したいモンです。

新熊野神社(いまくまのじんじゃと読みます)



ご由緒はこちら
新熊野神社を出て近くの公園で御弁当タイム

三十三間堂、京都国立博物館など、重厚な建物を観ながら豊国神社へ



豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の勅命により再興された。
主祭神の居城があった大阪市の大阪城公園(中央区)や滋賀県長浜市のほか、出身地の名古屋市中村区などにも豊臣秀吉を祀る豊国神社が存在している。
こちら

豊国神社の北隣りの 方広寺の鐘楼。



こちら

豊国神社から歩いてすぐのところ(方広寺の門前、正面通:しょうめんどおり南側)にある「耳塚」
鼻塚ともいう。方広寺の門前,正面通(しょうめんどおり)南側にある。豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき,武将が戦功の証拠として持ち帰った朝鮮人戦死者の耳・鼻を秀吉が確認後,1597年に塚を築き埋納したもの。陣中日記などによると兵士・非戦闘員の区別なく殺し,その鼻をそぎとっており,《鍋島家文書》《吉川家文書》などに鼻の請取状が残る。江戸時代の朝鮮通信使一行は,この塚を見て深く心を痛めたという。
わんちゃんたちも「戦争って勝ったモノは酷いことするんやね」っと思い合いました。
なぁんかムネが痛みました。






鴨川



そのまま歩いて京都駅から帰路へ。
歩数計は17555歩カウントしてました。