【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

ひろしまのピカ

2023-10-25 | 絵本
 表紙

丸木 俊 え・文

 
その朝、ひろしまの空は、からりとはれて真夏の太陽は、ぎらぎらとてりはじめていました。
ひろしまの7つの川は、しずかにながれ、ちんちん電車が、ゆっくりはしっていました。



 東京や大阪、名古屋など、たくさんの都会がつぎつぎに空襲をうけ、やけてしまいました。
ひろしまだけがいちどもやられずにいましたので、「どうしたんじゃろう」と、はなしていました。
「いまにやられるで」といって、火がもえひろがるのをふせぐために、建物をこわして道をひろくしたり、水を用意したり、にげていく場所をきめたりしていました。
みんな、どこへいくときも、防空ずきんをかぶり、すこしばかりのくすりのはいったふくろをもっていました。


 
みいちゃんは、おとうさんとおかあさんといっしょに、朝ごはんをたべていました。
ごはんの色は、もも色です。きのう、いなかのしんるいからもらってきたさつまいもでした。
「わー、うまい」
おなかのすいているみいちゃんは、うれしそうにほおばりました。
みいちゃんは、7さいでした。
「うまいのー」おとうさんも、いいました。


 
そのときです。とつぜん、ピカッとおそろしい光が、つきぬけました。
オレンジ色。いや、青白い100も200ものかみなりが、いっぺんにおちたような光でした。
それは、アメリカの爆撃機B29のエノラ・ゲイ号からおとされた、人類はじめての原子爆弾でした。
その原子爆弾には、リトル・ボーイ(ぼうや)という、やさしくかわいい名まえさえつけてあった、ということです。
1945年8月6日、午前8時15分のことでした。


 
みいちゃんが気がついたとき、あたりはまっくらでした。
しーんとして、しずかなのです。どうしたことでしょう。どうなっているのでしょう。
からだがうごかないのです。パチパチという音がしてきました。
まっくらなむこうに、赤いほのおがたちのぼりました。
火だ。火事だ。
「みいちゃん!」おかあさんのさけぶ声がきこえます。
みいちゃんは、からだじゅうをおさえつけているおもい木のあいだから、ありったけの力ではいだしました。
かみをぼうぼうにしたおかあさんがみいちゃんをだきよせました。
「はやく、はやく、火が……。とうさーん」おとうさんは、火のなかでした。



「もう、だめじゃー」おかあさんとみいちゃんは、火にむかって、手をあわせました。
そのときです。ぼうっという音といっしょに、おとうさんが、ほのおのなかにあらわれました。
おかあさんはそのなかにとびこんで、おとうさんをたすけだしました。
「とうさんのからだに、あながあいとる」
おかあさんはおびをほどいて、おとうさんにぐるぐるほうたいをしました。
おかあさんのどこに、そんな力があったのでしょう。おとうさんをせおい、みいちゃんをつれてはしりだしました。


 
「かわ」おかあさんがさけびました。「みず」みいちゃんがさけびました。
3にんはころがるようにして土手をおり、川のなかにはいりました。
みいちゃんの手が、おかあさんとはなれました。
「はやく、しっかり」おかあさんが、はげまします。
火におわれてきたひとたちが、おおぜいいました。
きものはもえおち、まぶたやくちびる、やわらかいところがひどくふくれて、目のあかなくなったこどもたちが、「みず、みず」「みずを……」と、かすかな声でいっていました。
からだの皮がやけて、むけて、ぼろのようにたれさがり、ゆうれいのようにさまよっているひと、力つきてうつぶせになっているひと、そのうえにまたたおれて、ひと、ひとがおりかさなって小山のよう……。
じごくも、これいじょうおそろしゅうない!




 
 
3にんはむちゅうで、もうひとつ、川をわたりました。
そこで、おかあさんはおとうさんをおろすと、くずれるようにすわりこみました。
チョン、チョン。みいちゃんのあしもとを、とんでいくものがいます。
はねがもえて、とべなくなったつばめでした。チョン、チョン。
川かみのほうから、ゆっくりと、ひとがながれてきました。ねこも、ながれてきました。


 
みいちゃんがふとふりかえると、わかい女のひとが、あかちゃんをだいてないていました。
「ここまでにげてきて、ちちをのまそうとおもうたらしんでいるの」と、みいちゃんにいいました。
そのひとは、あかちゃんをだいたまま、ざぶざぶと水をこぎわけ、だんだんふかいほうへいき、やがて、みえなくなってしまいました。


 
空がくらくなって、かみなりがなりはじめました。雨がふりだしました。
あぶらのような、黒い雨でした。
真夏だというのに、ひどくさむくなりました。
やがて、くらい空に七色のにじがかかりました。
しんだひとのうえに、きずついたひとのうえに、きらきらと、かがやきました。


 
おかあさんが、おとうさんをまた、せおいました。
3にんは、だまってはしりだしました。
火がおそろしいいきおいで、おいかけてくるのです。
われたかわらやおちてきた電線、たおれた電柱であるくこともできないところをはしり、ごうごうともえる家のあいだをぬけ、また、もうひとつの川にでました。
川のなかで、みいちゃんは、ふうっとねむくなりました。
がぶっと、水をのみました。ぐっと手をのばしておかあさんがたすけてくれました。


 
3にんは、やっと宮島口にたどりつきました。
宮島は、むらさき色にかすんでいました。
おかあさんは、舟にのって宮島へわたろうとおもっていたのです。
島には、まつやもみじがたくさんはえていて、すきとおるような海がありました。
火は、もうここまではおいかけてこん。そうおもったとき、みいちゃんの目は、ひとりでにとじてしまいました。おとうさんもおかあさんも。


 
日がくれました。夜が来ました。夜があけました。朝がきました。
また夜がきて、太陽がのぼり、夜がきて、朝がきました。


  
「もし、もし、きょうは、なんにちじゃろうか?」
おかあさんが、とおりかかったひとにききました。
たおれているひとを、つぎつぎにのぞいていたひとが、「9日」と、こたえました。
おかあさんは、指をおり、かぞえてみました。「あれから、4日もたっとる」


 
みいちゃんは、しくしくなきはじめました。
しんでいるとおもったおばあさんが、むくりとおきあがり、ふろしきからおにぎりをだしてくれました。
むぎのおにぎりでした。
みいちゃんがうけとると、おばあさんは、そのままぱたりとたおれて、うごかなくなりました。


 
「まあ、このこは、まだはしをもっとる。はなしんさい」
おかあさんは、びっくりしていいました。でも、はしは、みいちゃんの手からはなれないのです。
おかあさんはかたくにぎりしめている指を一ぽん一ぽん、ほぐしてやりました。
8月6日のあのときから4日め、ポトリとはしがおちたのです。

ちかくの村から、消防のひとがたすけにきました。
兵隊さんたちは、しんだひとをかたづけています。
しんだひとのくさるにおいと、ひとをやくにおいでいきもできないほどです。
やけのこった学校は、病院になりました。でも、ベッドも、シーツもありません。床のうえにねかせるだけです。
お医者さんもいません。くすりやほうたいもない病院でした。
おかあさんとみいちゃんは、おとうさんをかついで学校の病院にいれました。





 
「みいちゃんの家は、どうしたんじゃろう。はよう、いってみよう」
おかあさんとみいちゃんは、すんでいたあたりにいきました。
「あっ、みいちゃんのちゃわん!われとる、まがっとる」
おとなりのさっちゃんはどうしたんじゃろう。みいちゃんのおともだちはひとりもいません。
ひろしまは、草も木も家もない、みわたすかぎりのやけ野原になっていました。
おとされた原子爆弾は、いっぱつでした。けれど、かぞえきれないおおぜいのひとがしに、そのあとでもぞくぞくとしんでゆきました。


 
この原子爆弾でしんだのは、日本人ばかりではありませんでした。
むりに日本につれてこられ、はたらかされていた朝鮮のひとも、おおぜいしんだのです。
そのしがいをいつまでもほうっておいたので、からすがなん百羽もきてつついていた、ということです。
8月6日につづいて、8月9日、長崎に、二ばんめの原子爆弾がおとされました。
おおぜいの日本人がしにました。たくさんの朝鮮のひともしにました。
ひろしまでも長崎でも、原子爆弾をおとした国のアメリカ人も、なんにんかしんでいるのです。
中国人もロシア人もインドネシア人も、しんでいるということです。


 
みいちゃんは、いつまでたっても、7さいのときのままです。ちっともおおきくならないのです。
「ピカのせいじゃ」と、おかあさんは、なみだをふきます。
「かゆい」といって、みいちゃんは、ときどき頭に手をやります。
おかあさんが、かみの毛をわけてよくみますと、ひかるものがあります。ピンセットでひっぱると、ぬけてでます。ピカのときとんできた、ガラスのかけらなのです。
おとうさんは、からだに7つもあながあいたのに、みんなふさがってげんきになりました。
けれど、その秋の雨のふりつづいた日、かみの毛がぞっくりぬけ、血をたくさんはいてしにました。むらさき色のはん点が、からだのあちこちにでていました。
どこにもやけどもけがもなく、「いのちびろいをしたで」と、よろこんでいたひとが、おとうさんのようになって、しばらくたってからしんでゆきました。
「ひろしまが、たいへんじゃ」ときいて、やけた街にかけつけて、したしいひとをさがしまわったひとも、けがもないのにしんでゆきました。
あれから35年もたっているのに、いまでも病院にはいっているひとがおおぜいいます。そして、つぎつぎとしんでゆきます。


 
まい年、8月6日がくると、ひろしまの7つの川は、とうろうであふれます。
ちよちゃん、とみちゃん、おにいちゃん、おかあさん、おとうさん……。
それぞれ、ピカでしんだひとの名まえをとうろうにかくのです。
川は、ぱあっとあかるくなります。
ひろしまの7つの川は、火の川のながれとなります。ゆらり、ゆらりと、海へゆくのです。
ピカのとき、ながれていったひとのようにいまは、とうろうがながれてゆくのです。
みいちゃんは、とうさんとかきました。もうひとつのとうろうには、つばめさんとかいてながしました。

もう、かみの白くなったおかあさんはいいます。7つのままのみいちゃんの頭をなでながらいいます。
「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」
え・文 丸木 俊(まるきとし)1980年6月25日 第1刷発行


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