『百年の孤独』 ガブリエル・ガルシア・マルケス著 鼓直訳
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19世紀から20世紀初めまでの100年間を舞台に、南米コロンビアのマコンドという町の栄枯盛衰を、数奇な運命に翻弄されるブエンディア一家の系譜を軸に描いた物語。
書かれたのは60年代で日本でも70年代に邦訳が出てるけど、ぐりが今回読んだのは99年に出た改訳版。
長い本です。今さらなんで読もうかと思いついたかは忘れたけど(おい)、長くて今まで手をつけられなかったってのは確か。だって100年だよ。長いよ。NHKの大河ドラマだってせいぜい50年間くらいのお話でしょう(どういうたとえなんだか)。
ぐりはこの手の“歴史大河小説”ってあまり読まないほうだけど、これってたぶんごく古典的なスタイルなんだよね。つーか古典も読まないけど。一体あたしはナニを読んでんだろーな?
それはさておき、中世以前の文学作品でフィクションといえば、こういう大河モノが多かったんじゃなかったっけ。あとは詩とか、戯曲。現在の娯楽小説なんかは昔の戯曲にあたるんではなかろーか。
そのへんぐりはまったく詳しくないんですが、とりあえず『百年〜』にはそういう重厚さがみちみちている。そのわりには宗教的要素が極端に希薄で、寓話的側面の方が目立つ。長い長いおとぎばなし。
物語の長大さゆえに、その悠久たる時間の流れの中でたゆたうように、あるいはもがくように浮き沈みする人間たちの矮小さ、非力さが対極的に際立って感じられる。どうにもならないとわかっていながら運命に抵抗する人、どうなろうがなるまいがひたすら日々を必死に生きる人、現実に背を向けつづけ世界を否定しつづける人、同じ血統でありながらブエンディア家にはいろんな人が現れては消えていく。でもどんな人間が登場しようと、必ず、絶対に、最後はみんな死ぬ。幸せでも、不幸せでも、英雄でも、だめんずでも、淫売でも、良妻賢母でも、泣いても、笑っても、みんな最後はお墓の中。そこだけは絶対平等。
でも、だからこそ「いかに生きるべきか」が大事なんだよね。長くても短くても、充分にたっぷりと命を燃やしつくす「生き方」。そしてそういう「スタイル」を守ることの難しさも、この小説にはしっかりと描かれている。
長い物語だけど、中身はものすごく濃い。どろっどろです。子どもの残酷さ、少女の瑞々しさ、乙女の神秘、少年の鈍さ、青年の傲慢、女の打算、男の愚かさ、母の賢さ、妻の意地、夫の肉欲、老人の繰言、老女の執念、そういう人間性のあらゆる部分が、中世のタペストリーに織りこまれた黒々と細かい模様のように、複雑に物語を彩っている。
この小説のおもしろいところは、そんな人間たちのきれいなところもみにくいところも、愚かなところも偉大なところも、全部を同じように平等な目線で描いてるところだと思う。それこそ、どんな人間もみんな最後はお墓の中なんだから、みたいな。
それと、この小説には妄信への懐疑と、近代文明や消費社会への警鐘が同列に繰り返し描かれている。人間がどうあがこうと、結局は自然の力、時の流れには決して逆らえないという真理が、物語の世界をすっぽりと覆っている。
読んでてやたら思い出したのは、中学の国語で暗記させられた平家物語の冒頭部分。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響有り
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
奢れる人も久しからず 只春の夜の夢の如し
猛き者も終には亡ぬ 偏に風の前の塵に同じ
これってもともとは仏教的な考え方だと思うんだけど、ラテン文学に通じるものを感じるのがちょっと不思議でした。
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19世紀から20世紀初めまでの100年間を舞台に、南米コロンビアのマコンドという町の栄枯盛衰を、数奇な運命に翻弄されるブエンディア一家の系譜を軸に描いた物語。
書かれたのは60年代で日本でも70年代に邦訳が出てるけど、ぐりが今回読んだのは99年に出た改訳版。
長い本です。今さらなんで読もうかと思いついたかは忘れたけど(おい)、長くて今まで手をつけられなかったってのは確か。だって100年だよ。長いよ。NHKの大河ドラマだってせいぜい50年間くらいのお話でしょう(どういうたとえなんだか)。
ぐりはこの手の“歴史大河小説”ってあまり読まないほうだけど、これってたぶんごく古典的なスタイルなんだよね。つーか古典も読まないけど。一体あたしはナニを読んでんだろーな?
それはさておき、中世以前の文学作品でフィクションといえば、こういう大河モノが多かったんじゃなかったっけ。あとは詩とか、戯曲。現在の娯楽小説なんかは昔の戯曲にあたるんではなかろーか。
そのへんぐりはまったく詳しくないんですが、とりあえず『百年〜』にはそういう重厚さがみちみちている。そのわりには宗教的要素が極端に希薄で、寓話的側面の方が目立つ。長い長いおとぎばなし。
物語の長大さゆえに、その悠久たる時間の流れの中でたゆたうように、あるいはもがくように浮き沈みする人間たちの矮小さ、非力さが対極的に際立って感じられる。どうにもならないとわかっていながら運命に抵抗する人、どうなろうがなるまいがひたすら日々を必死に生きる人、現実に背を向けつづけ世界を否定しつづける人、同じ血統でありながらブエンディア家にはいろんな人が現れては消えていく。でもどんな人間が登場しようと、必ず、絶対に、最後はみんな死ぬ。幸せでも、不幸せでも、英雄でも、だめんずでも、淫売でも、良妻賢母でも、泣いても、笑っても、みんな最後はお墓の中。そこだけは絶対平等。
でも、だからこそ「いかに生きるべきか」が大事なんだよね。長くても短くても、充分にたっぷりと命を燃やしつくす「生き方」。そしてそういう「スタイル」を守ることの難しさも、この小説にはしっかりと描かれている。
長い物語だけど、中身はものすごく濃い。どろっどろです。子どもの残酷さ、少女の瑞々しさ、乙女の神秘、少年の鈍さ、青年の傲慢、女の打算、男の愚かさ、母の賢さ、妻の意地、夫の肉欲、老人の繰言、老女の執念、そういう人間性のあらゆる部分が、中世のタペストリーに織りこまれた黒々と細かい模様のように、複雑に物語を彩っている。
この小説のおもしろいところは、そんな人間たちのきれいなところもみにくいところも、愚かなところも偉大なところも、全部を同じように平等な目線で描いてるところだと思う。それこそ、どんな人間もみんな最後はお墓の中なんだから、みたいな。
それと、この小説には妄信への懐疑と、近代文明や消費社会への警鐘が同列に繰り返し描かれている。人間がどうあがこうと、結局は自然の力、時の流れには決して逆らえないという真理が、物語の世界をすっぽりと覆っている。
読んでてやたら思い出したのは、中学の国語で暗記させられた平家物語の冒頭部分。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響有り
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
奢れる人も久しからず 只春の夜の夢の如し
猛き者も終には亡ぬ 偏に風の前の塵に同じ
これってもともとは仏教的な考え方だと思うんだけど、ラテン文学に通じるものを感じるのがちょっと不思議でした。