『レス・ザン・ゼロ』 ブレット・イーストン・エリス著 中江昌彦訳
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4151200231&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
うーん。実は今読んでる別の本が難しくて量が多いので、小休止にどーかと思って手に取ってみたんだけど。
これ映画化もされてますがぐりは未見です。ストーリーは原作と全然違うみたいですが。
発表当時(1985年)は作者が20歳の学生とゆーこともあって大変な話題になり、“ゼロ・ジェネレーション”なんとゆー言葉も生まれたらしーけど。どーなんでしょーね?これ?もうちょっと落ち着いてじっくり読めば魅力がみえてくるのかしらん?
ただ単に好みなのかな?“なんとかジェネレーション”といえば、ぐりが学生の頃に公開された映画『リアリティ・バイツ』もえらいブームになって“ジェネレーションX”て言葉も流行ったけど、同世代のあのときでさえ「なんじゃそりゃ?」って感じだったもんなー。あの映画、今観たらどーなんだろー。おもろいのかな?
こーゆー時、あーアタシってアタマかたいなあー、と思う。わからんことはないのよ。まったくさっぱり理解不能、ってことはない。けど、心が理解することを拒否してる。たとえばぐりだって10代20代のときはライブハウスやらクラブで遊んでたこともあるし、いかがわしい友だちもまったくいないことはなかったですよ。いろいろあれこれ誘惑もないことはなかったです。けど“一線”は決して超えなかった。超えてまで快楽や好奇心や虚栄心を満たすことに価値が見出せなかったからだ。華やかだな、楽しそうだな、とは思ってはいたけれど。
ときどき、たま~に、あの頃、あの“一線”を超えてたら今ごろどーなってたかな?と想像することもなくはないけど、いずれにせよ、あっち側─快楽と好奇心と虚栄心を満たすことが尊ばれる世界─がキャラとしてぐりに向いてるかどーかはかなり疑わしいですね。
ははははは。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4151200231&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
うーん。実は今読んでる別の本が難しくて量が多いので、小休止にどーかと思って手に取ってみたんだけど。
これ映画化もされてますがぐりは未見です。ストーリーは原作と全然違うみたいですが。
発表当時(1985年)は作者が20歳の学生とゆーこともあって大変な話題になり、“ゼロ・ジェネレーション”なんとゆー言葉も生まれたらしーけど。どーなんでしょーね?これ?もうちょっと落ち着いてじっくり読めば魅力がみえてくるのかしらん?
ただ単に好みなのかな?“なんとかジェネレーション”といえば、ぐりが学生の頃に公開された映画『リアリティ・バイツ』もえらいブームになって“ジェネレーションX”て言葉も流行ったけど、同世代のあのときでさえ「なんじゃそりゃ?」って感じだったもんなー。あの映画、今観たらどーなんだろー。おもろいのかな?
こーゆー時、あーアタシってアタマかたいなあー、と思う。わからんことはないのよ。まったくさっぱり理解不能、ってことはない。けど、心が理解することを拒否してる。たとえばぐりだって10代20代のときはライブハウスやらクラブで遊んでたこともあるし、いかがわしい友だちもまったくいないことはなかったですよ。いろいろあれこれ誘惑もないことはなかったです。けど“一線”は決して超えなかった。超えてまで快楽や好奇心や虚栄心を満たすことに価値が見出せなかったからだ。華やかだな、楽しそうだな、とは思ってはいたけれど。
ときどき、たま~に、あの頃、あの“一線”を超えてたら今ごろどーなってたかな?と想像することもなくはないけど、いずれにせよ、あっち側─快楽と好奇心と虚栄心を満たすことが尊ばれる世界─がキャラとしてぐりに向いてるかどーかはかなり疑わしいですね。
ははははは。