『麦の穂をゆらす風』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000NIVIPA&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
カンヌ国際映画祭授賞式のときのケン・ローチ監督のスピーチから一文を引用する。
「過去について真実を語れたならば、私たちは現在についても真実を語ることができる」
また監督はインタビューでこう語っている。
「この映画は英国とアイルランドの間の歴史を語るだけでなく、占領軍に支配された植民地が独立を求める、世界中で起きている戦いの物語であり、独立への戦いと同時に、その後にどのような社会を築くのかがいかに重要かを語っている」
(ともに劇場用パンフレットより)
この映画について語るとき、これ以上の言葉は必要ないような気がする。
舞台は1920年代、イギリス占領下での弾圧と搾取にあえぐアイルランド南部コーク。19世紀末から繰り返されてきた独立運動が戦争に発展しやがて内戦になっていく過程を、デミアン(キリアン・マーフィー)とテディ(ボードリック・ディレーニー)という兄弟の絆を軸に描いたのが映画『麦の穂をゆらす風』である。
こう書くと中には不愉快に感じられる方もおられるかもしれないが、ぐりは正直な話、他国の本土侵略を受けたことのない日本の観客の心に、この物語がどのくらい有効に届くものなのかがよくわからなかった。
ぐりは最初から最後まで涙がとまらなかった。言語を奪われ、自由を奪われ、虫けらのように殺される名もない庶民たち。武力に踏みにじられた民衆が武力によって抵抗を始め、武力によって互いに決裂していくさまを、映画は容赦なく克明に描写していく。画面で語られている物語は、別の場所で起きたものとしてぐりがずっと前からよく知っていた物語だ。それを、あらためてここまで丁寧に緻密に再現されたのではたまったものではない。悲しくて悲しくて、つらくてつらくて仕方がなかった。
でも、この映画を観た日本人はどう思うのだろう。
この映画が、アイルランドを占領していたイギリスの国民的監督によってつくられ、出演者たちの多くが実際にコーク周辺出身か、あるいは今もそこに住んでいる“当事者”であることを、日本の観客はどう感じるのだろう。
感動という言葉ではこの映画を観た感情を語ることはできない。
この映画には善も悪も描かれない。迎合と独立、和平と闘争、裏切りと報復、信仰と思想、アイルランド人は何度もあらゆる選択を迫られる。大抵は到底選びようのない厳しい選択である。しかし選ばないわけにはいかない。直視に堪え難い残酷な選択がある。悲惨な選択がある。壮絶な選択もある。その選択が正しいのかどうかも映画には描かれない。どう足掻いたところで戦争は戦争だし、殺しあいは殺しあいでしかない。だがそれだけでは済まされない部分までもがなんの弁解もなく率直に描かれた映画だ。
歴史の惨さに対して語り手はどこまでもニュートラルだ。侵略のおぞましさ、独立戦争の苦しさ、独立自治の難しさ、理想の違いによる葛藤、内戦の悲しさ、一度他民族の侵略を受けてズタズタにされた国の人たちが一体どんな風にどれだけ苦しむものなのか、それを実にわかりやすく、しっかりはっきり表現することに徹している。わからないとこがないってスゴイです。
語るべき言葉をちゃんと語ろうという意気込みもスゴイんだけど、ちゃんと全部いえてるってとこはもっとスゴイ。カンヌでは審査員全員一致でパルムドールに決まったというけど、それも納得。
観ていてしんどいシーンもあるにはあるけど、是非ひとりでも多くの人に観てほしい傑作です。
観たらひとりでも多くの人に薦めてほしい。
そして誰かとこの映画について語りあってほしい。
そんな映画でした。
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カンヌ国際映画祭授賞式のときのケン・ローチ監督のスピーチから一文を引用する。
「過去について真実を語れたならば、私たちは現在についても真実を語ることができる」
また監督はインタビューでこう語っている。
「この映画は英国とアイルランドの間の歴史を語るだけでなく、占領軍に支配された植民地が独立を求める、世界中で起きている戦いの物語であり、独立への戦いと同時に、その後にどのような社会を築くのかがいかに重要かを語っている」
(ともに劇場用パンフレットより)
この映画について語るとき、これ以上の言葉は必要ないような気がする。
舞台は1920年代、イギリス占領下での弾圧と搾取にあえぐアイルランド南部コーク。19世紀末から繰り返されてきた独立運動が戦争に発展しやがて内戦になっていく過程を、デミアン(キリアン・マーフィー)とテディ(ボードリック・ディレーニー)という兄弟の絆を軸に描いたのが映画『麦の穂をゆらす風』である。
こう書くと中には不愉快に感じられる方もおられるかもしれないが、ぐりは正直な話、他国の本土侵略を受けたことのない日本の観客の心に、この物語がどのくらい有効に届くものなのかがよくわからなかった。
ぐりは最初から最後まで涙がとまらなかった。言語を奪われ、自由を奪われ、虫けらのように殺される名もない庶民たち。武力に踏みにじられた民衆が武力によって抵抗を始め、武力によって互いに決裂していくさまを、映画は容赦なく克明に描写していく。画面で語られている物語は、別の場所で起きたものとしてぐりがずっと前からよく知っていた物語だ。それを、あらためてここまで丁寧に緻密に再現されたのではたまったものではない。悲しくて悲しくて、つらくてつらくて仕方がなかった。
でも、この映画を観た日本人はどう思うのだろう。
この映画が、アイルランドを占領していたイギリスの国民的監督によってつくられ、出演者たちの多くが実際にコーク周辺出身か、あるいは今もそこに住んでいる“当事者”であることを、日本の観客はどう感じるのだろう。
感動という言葉ではこの映画を観た感情を語ることはできない。
この映画には善も悪も描かれない。迎合と独立、和平と闘争、裏切りと報復、信仰と思想、アイルランド人は何度もあらゆる選択を迫られる。大抵は到底選びようのない厳しい選択である。しかし選ばないわけにはいかない。直視に堪え難い残酷な選択がある。悲惨な選択がある。壮絶な選択もある。その選択が正しいのかどうかも映画には描かれない。どう足掻いたところで戦争は戦争だし、殺しあいは殺しあいでしかない。だがそれだけでは済まされない部分までもがなんの弁解もなく率直に描かれた映画だ。
歴史の惨さに対して語り手はどこまでもニュートラルだ。侵略のおぞましさ、独立戦争の苦しさ、独立自治の難しさ、理想の違いによる葛藤、内戦の悲しさ、一度他民族の侵略を受けてズタズタにされた国の人たちが一体どんな風にどれだけ苦しむものなのか、それを実にわかりやすく、しっかりはっきり表現することに徹している。わからないとこがないってスゴイです。
語るべき言葉をちゃんと語ろうという意気込みもスゴイんだけど、ちゃんと全部いえてるってとこはもっとスゴイ。カンヌでは審査員全員一致でパルムドールに決まったというけど、それも納得。
観ていてしんどいシーンもあるにはあるけど、是非ひとりでも多くの人に観てほしい傑作です。
観たらひとりでも多くの人に薦めてほしい。
そして誰かとこの映画について語りあってほしい。
そんな映画でした。