落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

北九州から

2007年10月07日 | movie
『サッド・ヴァケイション』

『Helpless』の続編なんだけど、観たのが前過ぎて話忘れてました(笑)。『ユリイカ』は観たことない。長いから(爆)。
でもおもしろかったです。ちゃんと。強引っちゃ相当に強引な話だけど、それはそれでべつにいいです。映画だから。
いやもうホント強引なんですわ。これ観る人によっては真剣に怒りを感じる人もいたりすんじゃないのかな?そんなムチャなー、みたいな。けど観てるうちにだんだんなんかどうでもよくなってくるのよ。正しいとか正しくないとか、良いとか悪いとか、そーゆー世の中の「矩(のり)」みたいなものが、単純にくだらないものに思えてくる。
つまりは過去がどうだったとかそーゆーことよりも、いちばん大事なのは結局、これからどうするか、どうしたいかってことなんだよね。現実的に。そこが千代子(石田えり)はものすごくハッキリしてる。ゆらがない。彼女にとっては、実の息子(浅野忠信)にどれだけ恨まれててもそんなこと大したことじゃない。それよりも息子が生きていてそばにいることの方が大事なのだ。だからといって息子に甘えているわけでもない。彼女にとっては、自身が女王のように君臨する間宮運送という会社と家を支えていく重要なファクターとして、息子が必要なだけだ。
かといって彼女も完璧な母親じゃない。よく親子にも相性があるというけど、明らかに彼女ともうひとりの息子(高良健吾)はうまくいっていない(このコのグレ方の描写がもんのすごくいい加減なのがやや残念)。どうも彼女はこの高校生の息子をちゃんと愛せないらしい。まあそういうこともあるわな。親子ったって別の人間なんだから、好き嫌いがあってもしょうがないだろう。
いい加減といえば知的障害を持つゆり(辻香緒里)と中国人不法労働者の息子アチュン(畔上真次)のキャラクター描写が思いっきりおざなりで観ていてちょっと困りましたです。
その3点以外はとりあえず豪華キャストだし、カメラワークとかシナリオがやけにノスタルジックなとこもステキで、ぐりは結構好きな映画です。万人にはオススメできないけど、いい映画だとは思う。

愛と注射針の痛み

2007年10月07日 | movie
『キャンディ』
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ふたりはジャンキー、私は娼婦、彼はろくでなし。あいたたた。
実をいうとこの映画の主人公ダニエル(ヒース・レジャー)とキャンディ(アビー・コーニッシュ)のよーなカップルは、学生時代ぐりのまわりに何組もいた。なにしろどっちを向いても「オレは天才」「あたしはトクベツ」と根拠もなく思いこんでるナイーブな少年少女がみちみちた環境にいたのだ(ちなみにぐりは一度たりとも自分自身に才能を夢みたことはない。ぐりが絵や映像の道に進んだのは純粋に「食うため」「世間を渡っていくため」である)。ドラッグのことはよく知らないけど、あのころ、アルコールや恋愛や宗教に救いようもなくはまりこんで現実を見失ってる人間なんかそこらじゅうに掃いて捨てるほどいた。だからダンやキャンディのキャラクターにもなんとなく懐かしさを感じる。
ふたりとも悪意はまったくない。そこが問題なのだ。ダンは実際にはなにもできないのにただただひたすら優しい。キャンディはそんなダンにとにかく盲目的に惚れている。恋愛はあまくあたたかく、どうしても抜け出せない冬の朝のベッドのように快い。でも人間が生きていくには、いつまでもふたり抱きあって毛布にくるまっているわけにはいかないのだ。
地味だし題材も題材だし、たぶんヒース・レジャーが出てなければ誰も観ないような映画だろう(爆)。けどぐりは嫌いじゃないです。とくにカメラワークが非常に凝っていて、これみよがしでなく映像のセンスが光ってました。テーマはろくでもないけど、つくりとしてはすごくマジメないい映画。
しかしあのころ「オレは天才」「あたしはトクベツ」とかいってたあの子たちは今ごろどーしてんのかなー?無事に「天才」とやらになれたのかしらん?
どーでもいーけど(爆)。

虹色の音

2007年10月07日 | movie
『ミルコのひかり』

本作の音響設計にも参加しているイタリア映画界屈指のサウンド・デザイナー、ミルコ・メンカッチ氏の少年時代の体験を基にした感動作。
主人公が盲人で舞台が盲学校なので障害がテーマなのかと思いきやそうではない。この映画のほんとうのテーマは、人間の可能性とその自由である。
盲学校の校長は生徒の親にも生徒にも厳格だが、それはただカトリックの盲学校経営を任されているという重責や権威主義のためばかりではない。30歳まで目が見えていた彼にとって、まだ偏見や差別の厳しい時代に味わった視力を失うことの絶望の深さと、それに打ち勝たねばならないという運命の厳しさが、教育者として彼をがんじがらめに縛りつけたのだろう。
だが子どもの人権、身障者の人権が叫ばれる自由の時代(映画の舞台は70年代)に、校長の考え方はもう古くなってしまっていた。そこへ現れたのがミルコ(ルカ・カプリオッティ)である。視力が戻らない現実をうまく受け入れることのできないミルコは何かにつけて教師に反抗し、点字もなかなか覚えようとしない。授業に使用されるテープレコーダーで録音ができることを偶然知った彼は、さまざまな音を録音・編集して“音のドラマ”をつくりだすことに熱中し始める。

大人は子どもの将来に期待するあまり、つい自分の価値観でものごとのよしあしを押しつけ、大人に都合のいい「枠」に子どもをおしこみたがる。それで助けられる子どももいるだろう。だからこそ教育制度というシステムが世界中で求められ、長い間機能してきたのだ。それは否定できない。
でもそれはそれとして、ごく簡単にいって、何か熱中できるもの、表現したいと切望できるものがあることはいいことだし、それが小さいうちならなおのことすばらしいと思う。感覚というものは子どものうちに最も大きく成長するもので、情熱こそがその成長には必要不可欠だからだ。そしてその情熱を絶やさないことも教育のひとつの側面であるべきだろう。
メンカッチ氏が実際どのようにしてサウンド・デザイナーになったのかまでは映画には描かれていない。しかしその道もまた決して平坦ではなかったことは想像に難くない。是非ともそのパートも何かのかたちで世に出してもらいたいと思う。
ミルコを初め盲学校の生徒たちを演じた子どもたち(半数が実際に視覚に障害を持つという)の演技が実に素晴しかった。とくに主役のルカ・カプリオッティの豊かな表現力には驚きました。将来が楽しみです。