落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

カザフスタンの美少女

2007年10月25日 | movie
『草原の急行列車』

草原の線路沿いに住む保線夫の父と美しい娘の家に、列車内でのトラブルで置き去りにされたフランス人青年が転がり込んでくる。お約束通り、若いふたりは徐々に心を通わせていき〜なんて展開は大体先が読めてますね。『初恋のきた道』カザフバージョンかよ。と思ったらどっこい違います。途中からアッと驚くビックリ展開が待っている。
この映画は古今東西あらゆる地域であらゆる物語に描かれて来た子別れをモチーフにしているが、同時に、決して逆にはまわらない時間の歯車もテーマになっている。見た目には自然豊かで静かにのんびりとした草原にも、気づかないうちに時代の波は迫ってくるし、子どもは成長していずれ親の元を離れていく。一旦過ぎた時間は絶対に取り戻せはしない。残酷だがそれが現実なのだ。
基本的にカザフ語の映画なのだが、フランス人はもちろんフランス語で喋っていて、ボイスオーバーでカザフ語が重ねてある。他地域作品では字幕にするところだがこれもお国柄なのだろう。よくよく聞いていると登場人物はカザフ語とロシア語のちゃんぽんで喋っていてそこに簡単な英単語も交じっている。フランス人も旅行者らしくカザフ語やロシア語を喋っていたりして、言葉のコミュニケーションの描写がすごくリアルだった。時と場合によってまだらに通じたり通じなかったりするのだ。
娘役の女優が若かりし頃の張曼玉(マギー・チャン)をエキゾチックにしたような美少女で、まさに草原の妖精か天使かとゆーかわいさなのだが、後半でこれまた仰天するような大変身をする。女の子って変われば変わるもんなんだよね。にしてもカワイかった・・・。

夢は空を飛ぶ

2007年10月25日 | movie
『潜水服は蝶の夢を見る』
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やっぱしジュリアン・シュナーベル、スゴイよ。信じらんないよ。素晴しすぎ。ブラボー。
原作は自伝だが、この映画は主人公が過去を振り返る物語ではない。多少の回想シーンはあることはあるけど、ほとんどがジャン・ドー(マチュー・アマルリック)が病に倒れてからをタイムクロノジカルに描いたシーンで綴られている。
ジャン・ドーは脳梗塞で全身麻痺に陥っているので、自分ひとりではなにもできない。しかし精神は完全に健康なので、心は自由になんでもできる。この映画は、麻痺した肉体(=潜水服)に閉じこめられた彼の心(=蝶)が飛翔する、魂の自由を謳った映像詩なのだ。
全編の半分以上が主人公の主観画面なのだが、これがまためちゃくちゃに美しい。画角が微妙に傾いていて、カメラの動きはごく限られた範囲、背景がほとんど病院なので淡い水色をふくんだ白や、窓越しの乳白色の日光にふんわりとつつまれ、フォーカスアウト気味のやわらかな質感の画面の中から、理学療法師や医師や家族など、主人公の世話をする人たちがこちらを覗きこんでいる。
つまりシュナーベルは映像によって障碍者の感覚を表現しているわけで、これはものすごくわかりやすくて、かつ実に芸術的という、ちょっと両立しにくそうなふたつの要素をしっかり兼ね備えた映画にきちんと仕上がっている。
観ていてつらいと思うシーンももちろんある。だがそういうパートも含めて「このままなにもせず、なにもできない人のまま人生を終わりたくない、自分なりに命を燃やし尽くしたい」という、切実な“生”への叫びが非常にストレートに響く。
もうじき日本でも一般公開されるみたいだけど、公開されたらまた観たいです。



原作レビュー
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ダンサー・イン・ザ・キャンプ

2007年10月25日 | movie
『ウォー・ダンス』

ウガンダで2005年の全国音楽大会に初出場したパトンゴ小学校に密着した感動ドキュメンタリー。
パトンゴ小学校は内戦状態が続くウガンダ北部の難民キャンプでアチョリ族の子どもたちが学んでいる学校。だから生徒はみんな生まれたときから銃声の中で育ち、現在は家や家庭や家族を失い、衛生的にも治安的にも劣悪な環境の中、政府軍の保護と国連の援助に頼って暮している。
子どもたちは「世界の人はこれがアフリカの日常だと思っているけど、そうじゃないっていいたい」と語る。確かに、アフリカを知らないぐりも、ぎっしりと密集した避難小屋に住み、WFPのトラックの後ろに並んで食物を配られているアフリカ人たちの姿を、無意識に一種の日常の風景としてとらえている。でも当事者にしてみれば冗談じゃない、こんなもの日常だなんていわれたくない、というのが本音だろう。彼らの求める日常は自分の土地を耕作して自立した生活を営むことであって、現状は身の安全を確保するためにやむを得ず受け入れざるを得ない、その場しのぎの現実でしかない。
だからパトンゴ小学校の子どもたちは、ただ好きで歌ったり踊ったりしているわけではない。筆舌に尽くし難いほど悲惨な経験で深く傷ついた心を癒すために、彼らは歌い、踊る。虐げられ全てを奪われた民族の誇りを取り戻すために、歌い、踊るのだ。
映像がとにかく美しい。空はあくまでも青く、大地は血のように赤く、草木はあざやかな緑色をしたたらせる。チョコレート色のつやつやした肌に、真珠のように真っ白い歯をした彫像のように美しい子どもたち。カメラはウガンダという国の美しさを存分にたっぷりと切りとっている。芸術的だ。それだけに彼らの置かれた苛酷な状況が鋭く胸に突き刺さる。
この映画はできれば一般公開してほしいですね。できるだけ多くの人が観るべき作品だと思います。
ウガンダ北部の子どもたちへの支援についての情報はこちらまで。

中華二枚目満漢全席

2007年10月25日 | movie
『天堂口』

両岸三地を代表する国際派若手実力俳優が整揃いした大作なのに、フタを開けてみれば興業的には大コケとゆー気の毒な映画。日本での一般公開も難しそーっすね。
以前劉燁(リウ・イエ)が『Dark Matter』の陳士争(チェン・シゼン)監督と今作の陳奕利(アレクシ・タン)監督の経験不足に不満を洩してたけど、ある意味では彼の見解は正しかったのかもしれない。だってもうみるからにキャパオーバーですもん。劇場用長篇撮ったことないヒトにいきなりこんな大風呂敷、絶対ムリですって。そのムリ加減が全部画面に出ちゃってます。
まずシナリオがイケてない。物語が自然に前に進んでかないのよ。概念的に強引にひっぱってるって感じ。んでその不自然さを編集とか音楽で誤摩化そうとして完璧に裏目に出ている。そーゆー安易な後処理は安っぽくなるからヤメてほしー。キャストも題材もいいのに、お金もかかってるのにホントもったいないことしました。
ただし出演者は非常に健闘していて、なかでも劉燁と舒淇(スー・チー)が素晴しい。劉燁は例によって神憑かり的な超熱演だし、舒淇のピュアなファムファタールぶりも圧倒的。呉彦祖(ダニエル・ウー)と楊佑寧(トニー・ヤン)はいつも通りって感じですかね。とくにサプライズはない。張震(チャン・チェン)は役柄的においしすぎます。かっこいいけど。素敵だけど。ぐり的には大好きな高捷(ガオ・ジェ)兄貴の扱いがめちゃめちゃ気に食わない。名優なのにー!
あらゆる意味で惜しい映画。やっぱ映画はまずシナリオですってば。