『母の家で過ごした三日間』 フランソワ・ヴェイエルガンス著 渋谷豊訳
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4560092079&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
TBSラジオ「ストリーム!」のブックレビューコーナーでトヨザキ社長がプッシュしてたフランスの現代小説。
あとがきによるとヴェイエルガンスが出版社と『母の家で過ごした三日間』の執筆契約を結んだのは1992年。以後毎年、新聞の秋の新刊広告にタイトルが掲載され続けて上梓されたのが2005年。フランスでは高い評価を受けてゴンクール賞を受賞しベストセラーにもなったそうだ。
物語の主人公は小説家で、出版社をたぶらかして原稿料を前借りしまくり、税金を滞納し、不倫を重ね、母親には新作を書いていると嘘をつき続け、なかなか書きあがらない小説をだらだらとこねくりまわすという話だから、なんのことはない、ヴェイエルガンス自身の10年余の苦筆をそのままモチーフにしているといっていいだろう。タイトルにもある通り、主人公と母の関係も魅力的に描かれていて、フランスではこの本を読んだ読者たちが離れて暮す母親を訪ねたり連絡したりなんて現象も起きたらしい。日本で『東京タワー』がヒットしたのと似たようなものだろうか。
物語といっても、この小説にはストーリーらしいものはほとんどない。
ただただ脈絡もなく延々と、小説家の心象風景─思い出、知識、記憶、妄想、小説のアイデア─が、庭の飛び石のように点々と文章上に表われてはいつの間にか消えていく。まるでタロットカードをメチャクチャにきって一枚ずつ講釈を垂れるようなスタイルの小説である。カードはそれぞれ綺麗でおもしろいのだが、一枚一枚に関連性は薄い。まあかなり独特の文体だといっていいと思う。
それでも読んでて退屈はしないし、これはこれで結構おもしろいから不思議だ。実際に同じような喋り方をされたら相当ハラがたつだろうし、世の男性の多くがそんな女性の苛立ちにはまったく気づいてないんだろうけど(ぐりは美術館博物館にカップルで来る男の講釈がドブのヘドロよりも嫌いである)、この小説の痛快なところは、男の愚かさをそのままなんにもとり繕わずに放り出して見せている、呆れるほど素直な部分だと思う。オトコってバカだよなあ、まったくコイツはどーしよーもねえなあ、なんて読者に失笑されるのを思い浮かべて作家がニコニコしてるみたいな情景がありありと想像される。
そういうのって究極にオシャレじゃないですか。人間素直でおもしろいのがいちばんオシャレだと思うもんね。
かなりエロい描写も出てくるけど、エロいばっかりじゃなくて、どっか滑稽さがただようところもクールです。
エロといえば、途中で「りんの玉」とゆーアダルトグッズがでてくるんだけど、コレはもともと江戸時代に日本で使われてたのがなにをどーしたかフランスに伝わり、日本ではいつの間にか使われなくなったものらしーです(gな恋、queer as folkと使えない英語)。ぐりはドラマ『Queer as Folk』で観て初めて知ったんだけど、これってみんなフツーに知ってるものなんでしょーかね・・・。まあどーでもいいわね・・・。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4560092079&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
TBSラジオ「ストリーム!」のブックレビューコーナーでトヨザキ社長がプッシュしてたフランスの現代小説。
あとがきによるとヴェイエルガンスが出版社と『母の家で過ごした三日間』の執筆契約を結んだのは1992年。以後毎年、新聞の秋の新刊広告にタイトルが掲載され続けて上梓されたのが2005年。フランスでは高い評価を受けてゴンクール賞を受賞しベストセラーにもなったそうだ。
物語の主人公は小説家で、出版社をたぶらかして原稿料を前借りしまくり、税金を滞納し、不倫を重ね、母親には新作を書いていると嘘をつき続け、なかなか書きあがらない小説をだらだらとこねくりまわすという話だから、なんのことはない、ヴェイエルガンス自身の10年余の苦筆をそのままモチーフにしているといっていいだろう。タイトルにもある通り、主人公と母の関係も魅力的に描かれていて、フランスではこの本を読んだ読者たちが離れて暮す母親を訪ねたり連絡したりなんて現象も起きたらしい。日本で『東京タワー』がヒットしたのと似たようなものだろうか。
物語といっても、この小説にはストーリーらしいものはほとんどない。
ただただ脈絡もなく延々と、小説家の心象風景─思い出、知識、記憶、妄想、小説のアイデア─が、庭の飛び石のように点々と文章上に表われてはいつの間にか消えていく。まるでタロットカードをメチャクチャにきって一枚ずつ講釈を垂れるようなスタイルの小説である。カードはそれぞれ綺麗でおもしろいのだが、一枚一枚に関連性は薄い。まあかなり独特の文体だといっていいと思う。
それでも読んでて退屈はしないし、これはこれで結構おもしろいから不思議だ。実際に同じような喋り方をされたら相当ハラがたつだろうし、世の男性の多くがそんな女性の苛立ちにはまったく気づいてないんだろうけど(ぐりは美術館博物館にカップルで来る男の講釈がドブのヘドロよりも嫌いである)、この小説の痛快なところは、男の愚かさをそのままなんにもとり繕わずに放り出して見せている、呆れるほど素直な部分だと思う。オトコってバカだよなあ、まったくコイツはどーしよーもねえなあ、なんて読者に失笑されるのを思い浮かべて作家がニコニコしてるみたいな情景がありありと想像される。
そういうのって究極にオシャレじゃないですか。人間素直でおもしろいのがいちばんオシャレだと思うもんね。
かなりエロい描写も出てくるけど、エロいばっかりじゃなくて、どっか滑稽さがただようところもクールです。
エロといえば、途中で「りんの玉」とゆーアダルトグッズがでてくるんだけど、コレはもともと江戸時代に日本で使われてたのがなにをどーしたかフランスに伝わり、日本ではいつの間にか使われなくなったものらしーです(gな恋、queer as folkと使えない英語)。ぐりはドラマ『Queer as Folk』で観て初めて知ったんだけど、これってみんなフツーに知ってるものなんでしょーかね・・・。まあどーでもいいわね・・・。