『冤罪弁護士』 今村核著
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2009年に導入される裁判員制度。
だが裁判では一般人には理解しにくい専門用語が多用される上、裁判システム自体の認知度が低く、裁判そのものに対する現実感は非常に乏しい。それなのに、来年からわれわれはその裁判に参加しなくてはならない。めちゃめちゃ不安である。
去年はそんな日本の裁判制度の矛盾を糾弾した映画『それでもボクはやってない』が公開され、続いて映画のモデルとなった痴漢冤罪西武新宿線事件の元被告・矢田部孝司氏夫妻の手記『お父さんはやってない』が上梓された。
この『冤罪弁護士』では、冤罪事件を多く担当して来た弁護士が、無実の人がどのようなプロセスを経て罪を着せられ、その場合どのようにして無罪を勝ち取るべく闘わねばならないかを、自身の実体験と専門知識とを駆使して解説している。痴漢冤罪事件ももちろん登場する。
タイトルはなんだかセンセーショナルだけど、内容としては非常に真面目な、堅い本である。ノンフィクションというよりは一般読者向けの法律書といった方が近い。
冤罪といえばどうしても大きなニュースになりがちな殺人や強盗など凶悪な事件を連想しがちだが、実際にはそれだけが冤罪になるわけではない。映画になった痴漢もしかり、器物損壊や暴行、公務執行妨害や強姦など、どんな犯罪にも冤罪は起こり得る。いや、軽犯罪であればあるほど冤罪になりやすいといってもいい。誰かが誰かに罪をかぶせたい事情をもって、犯罪をでっち上げて相手を陥れるなら軽犯罪で充分こと足りる。そのような実例がこの本にも登場する。
また、事件を捜査した警察が証拠を捏造したり隠滅したりするケースも多々あり、これを裁判で被告弁護側が覆すのは容易なことではない。日本の裁判所は検察側の主張に頼った審判をする傾向が強いのに加えて、証拠はすべて検察側、あるいは警察が握っていて、被告弁護側の利益になる証拠の存在自体が知らされないからだ。なので被告弁護側は自力ですべての証拠を集めなくてはならない。
そのうえ被害者側の証言・供述の信用度が異常に高く、日本の裁判ではこれが証拠として採用されないケースは非常に稀である。そもそも初めから日本の刑事裁判は被告弁護側に不利なようにできているのだ。まったくフェアではない。
犯罪なんか犯して被告席にいるような人間にフェアもなにもない、といいたい人もたぶんいっぱいいるだろう。被害者意識ばかりがやたらに話題にされる昨今、そんな風に思う人はおそらくものすごくたくさんいるに違いない。
でも、そこが日本の裁判システムと国民の距離を最も如実に表わしているのだと思う。
犯罪者になるのは特別な人ばかりではない。もしかしたら、あなたは明日、子ども時代に喧嘩した誰かに絡まれて暴行で訴えられ、つい胸を突いたなどという供述調書をとられて起訴されるかもしれない。もしかしたら明日、駐車場で隣に停めてあったクルマに傷をつけたとして、器物損壊の罪に問われるかもしれない。もしかしたら明日、職務質問されて免許証の提示を求められ、うっかり財布ごと家に忘れてしまったために警官と言い争いになって公務執行妨害で逮捕されるかもしれない。もしかしたら明日、折り合いの悪かった元カノの父親に強姦の罪を着せられるかもしれない。
たったそれだけで、あなたは明日、犯罪者になるかもしれないのだ。被告席に座ったとき、それでもあなたは、「犯罪なんか犯して被告席にいるような人間にフェアもなにもない」といえるだろうか。
大した罪にはならないからそのくらいなんだ、と思われるかもしれないが、取調べ中の勾留期間は仕事にも行けないし家族とも会えない。弁護士費用だってかかるし、場合によっては職を失う可能性もある。一旦被疑者となったら生活のすべてが変わってしまう。
裁判が始まった時点では被告人はまだ犯罪者と決まったわけではない。それなのに、日本の裁判システムも、社会的な認識も、なぜか「犯罪なんか犯して被告席にいるような人間にフェアもなにもない」でぴたっと一致してしまっている。これはとても怖いことなのではないだろうか。
そんな裁判制度にこれから関わっていく素人のためのハウツー本として、とても親切ないい本だと思います。
まあちょっと地味っちゃ地味だし、やっぱり専門用語がひっかかるところもなくはないけど(「蓋然性」って学術用語だよねえ)、こんな言葉にもそのうち慣れなきゃね。
しかしマジ日本の裁判はヤバいよ。まったくどーなってんだー?
関連レビュー:
『累犯障害者─獄の中の不条理』 山本譲司著
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。』 森達也著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』 守大助/阿部泰雄著
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 佐藤幹夫著
『東電OL殺人事件』 佐野眞一著
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2009年に導入される裁判員制度。
だが裁判では一般人には理解しにくい専門用語が多用される上、裁判システム自体の認知度が低く、裁判そのものに対する現実感は非常に乏しい。それなのに、来年からわれわれはその裁判に参加しなくてはならない。めちゃめちゃ不安である。
去年はそんな日本の裁判制度の矛盾を糾弾した映画『それでもボクはやってない』が公開され、続いて映画のモデルとなった痴漢冤罪西武新宿線事件の元被告・矢田部孝司氏夫妻の手記『お父さんはやってない』が上梓された。
この『冤罪弁護士』では、冤罪事件を多く担当して来た弁護士が、無実の人がどのようなプロセスを経て罪を着せられ、その場合どのようにして無罪を勝ち取るべく闘わねばならないかを、自身の実体験と専門知識とを駆使して解説している。痴漢冤罪事件ももちろん登場する。
タイトルはなんだかセンセーショナルだけど、内容としては非常に真面目な、堅い本である。ノンフィクションというよりは一般読者向けの法律書といった方が近い。
冤罪といえばどうしても大きなニュースになりがちな殺人や強盗など凶悪な事件を連想しがちだが、実際にはそれだけが冤罪になるわけではない。映画になった痴漢もしかり、器物損壊や暴行、公務執行妨害や強姦など、どんな犯罪にも冤罪は起こり得る。いや、軽犯罪であればあるほど冤罪になりやすいといってもいい。誰かが誰かに罪をかぶせたい事情をもって、犯罪をでっち上げて相手を陥れるなら軽犯罪で充分こと足りる。そのような実例がこの本にも登場する。
また、事件を捜査した警察が証拠を捏造したり隠滅したりするケースも多々あり、これを裁判で被告弁護側が覆すのは容易なことではない。日本の裁判所は検察側の主張に頼った審判をする傾向が強いのに加えて、証拠はすべて検察側、あるいは警察が握っていて、被告弁護側の利益になる証拠の存在自体が知らされないからだ。なので被告弁護側は自力ですべての証拠を集めなくてはならない。
そのうえ被害者側の証言・供述の信用度が異常に高く、日本の裁判ではこれが証拠として採用されないケースは非常に稀である。そもそも初めから日本の刑事裁判は被告弁護側に不利なようにできているのだ。まったくフェアではない。
犯罪なんか犯して被告席にいるような人間にフェアもなにもない、といいたい人もたぶんいっぱいいるだろう。被害者意識ばかりがやたらに話題にされる昨今、そんな風に思う人はおそらくものすごくたくさんいるに違いない。
でも、そこが日本の裁判システムと国民の距離を最も如実に表わしているのだと思う。
犯罪者になるのは特別な人ばかりではない。もしかしたら、あなたは明日、子ども時代に喧嘩した誰かに絡まれて暴行で訴えられ、つい胸を突いたなどという供述調書をとられて起訴されるかもしれない。もしかしたら明日、駐車場で隣に停めてあったクルマに傷をつけたとして、器物損壊の罪に問われるかもしれない。もしかしたら明日、職務質問されて免許証の提示を求められ、うっかり財布ごと家に忘れてしまったために警官と言い争いになって公務執行妨害で逮捕されるかもしれない。もしかしたら明日、折り合いの悪かった元カノの父親に強姦の罪を着せられるかもしれない。
たったそれだけで、あなたは明日、犯罪者になるかもしれないのだ。被告席に座ったとき、それでもあなたは、「犯罪なんか犯して被告席にいるような人間にフェアもなにもない」といえるだろうか。
大した罪にはならないからそのくらいなんだ、と思われるかもしれないが、取調べ中の勾留期間は仕事にも行けないし家族とも会えない。弁護士費用だってかかるし、場合によっては職を失う可能性もある。一旦被疑者となったら生活のすべてが変わってしまう。
裁判が始まった時点では被告人はまだ犯罪者と決まったわけではない。それなのに、日本の裁判システムも、社会的な認識も、なぜか「犯罪なんか犯して被告席にいるような人間にフェアもなにもない」でぴたっと一致してしまっている。これはとても怖いことなのではないだろうか。
そんな裁判制度にこれから関わっていく素人のためのハウツー本として、とても親切ないい本だと思います。
まあちょっと地味っちゃ地味だし、やっぱり専門用語がひっかかるところもなくはないけど(「蓋然性」って学術用語だよねえ)、こんな言葉にもそのうち慣れなきゃね。
しかしマジ日本の裁判はヤバいよ。まったくどーなってんだー?
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