落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

オロロンバイ

2009年05月10日 | book
『サンダカン八番娼館―底辺女性史序章』 山崎朋子著
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大正時代、ボルネオ島サンダカン(現在のマレーシア)の娼館にわずか10歳で売られ、「からゆきさん」として春をひさいで生きた女性に密着したノンフィクション。第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
1974年の映画『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)の原作本。

「からゆきさん」とは江戸時代末期から1920年の廃娼令まで、東アジアから遠くはアフリカ・北米までひろく展開されていた日本人娼館に娼婦として送られた日本人女性のこと(ただし、戦時中も日本軍が進駐したアジアの各都市には日本人娼館が依然多く存在し、当地で働く日本人女性は終戦まで絶えることはなかったといわれる)。多くの女性を世界へ送り出した長崎県島原・天草地方ではタブーとされ長く世間から忘れられた存在だったが、20世紀後半からは東南アジアから来日し性風俗産業に従事する女性を「じゃぱゆきさん」と呼ぶようになり、改めて日本の貧困が生んだ悲劇の歴史の証言者たちとして知られるようになった。
『サンダカン八番娼館―底辺女性史序章』は数あるからゆきさん研究資料のなかでも最も早い時期に女性の手で理論的に書かれた記念碑的作品。人身売買の歴史についての基本資料として欠くべからざる1冊。

いやー。スゴイ本です。参りました。
この本の中心人物はおサキさんという取材当時70代の女性。天草地方でも最下層の農家に生まれて孤児になり、貧窮した兄のために自ら進んでサンダカンに赴き、13歳で娼婦となった。20代でイギリス人ビジネスマンの現地妻になったのちに帰国、故郷で結婚したが、幼いころに母と別れて娼婦となった彼女には基本的な家事能力を身につける機会がなかったため、当然結婚生活はうまくゆかずほどなくして破綻。満州に渡りそこで知りあった男性と結ばれて長男をもうけた。引揚げ後は夫の地元である京都で生活したが、夫に先立たれ長男も自立、故郷に戻り、1ヶ月わずか4000円(昭和44年当時。大卒初任給は4万円程度)の仕送りでひとり暮らしをしていた。
彼女の半生は、20〜30万人ともいわれるからゆきさんの中では、これでも比較的「まとも」な部類に入るかもしれない。大半のからゆきさんは現地での苛酷な労働条件のもとで健康を害して20歳になるやならずで亡くなったり、あるいは各地へ転売されていく旅程で事故死したり、それこそ人間としてこれほど残酷な生涯があるものかと我が目と耳を疑うような最期を遂げては、人知れず現世から消えていった。そのほとんどは埋葬もされず、家族にもいつどこで亡くなったのか知らされることもなかったという。
そんな女性たちと比べれば、おクニさんという伝説的女傑にめぐりあい、裕福なイギリス人の家で安楽に暮らし、廃業後は紆余曲折はあったものの家庭をもつこともできたおサキさんは、誤解を恐れずにいえば、まだ「ラッキー」な方だったといえるのではないだろうか。

だからこの本でいちばんスゴイのは、そんな彼女に肉薄した著者・山崎朋子氏の情熱である。
島原・天草地方では禁忌とされたからゆきさんの研究のため、彼女は家出女を装って現地に潜入、自力でおサキさんと知りあって彼女の家に数週間居候をし、研究目的を伏せたまま、個人的な交流の中でおサキさんの体験を聞きだすことに成功した。
「数週間居候」といっても生半可なものではない。というのも、おサキさんの家は腐り果てた茅葺屋根に崩れかけた荒壁、襖障子は骨ばかりで、畳も腐敗してムカデの巣窟と化した、まさに「昔話に聞く鬼婆の宿」だったのだ。もちろんトイレやおふろはおろか、台所すらない。辛うじて電気は来ているものの電話はいうにおよばず、ガスも水道も井戸もない。今から思えば到底人の住む家ではない。
食生活にいたっては麦入り飯とじゃがいもの煮物のみ。味噌汁も漬け物もない。稀に小アジをおいもといっしょに煮るのが唯一のタンパク源だという。
著者はあくまでもひとりの女性として研究者として、おサキさんの信頼を得て心からの告白を聞きたいと熱望して、貧困のそのまた果てに暮すおサキさんの生活に入り込もうと考えて、おサキさんといっさい同じ生活をするべきだと考えたのだという。
スゴイです。こんなことできないよ。スゴイとしかいいようがない。

そうした著者の熱意が伝わったのか、おサキさんはうすうす目的を知りながらあえて糾そうとはせず、求められるままに半生を語った。
だが著者が当初の目的を果たし、滞在を切りあげて家を去るとき、「どうしてわたしの素性を聞こうとしなかったのか、知りたくなかったのか」と問うたところ、おサキさんは「そらあ、訊いてみたかったとも」としてこう答えたという。
「人にはその人その人の都合ちゅうもんがある。話して良かことなら、わざわざ訊かんでも自分から話しとるじゃろうし、当人が話さんのは、話さんわけがあるからじゃ。おまえが何も話さんものを、どうして、他人のうちが訊いてよかもんかね。」(p242)
おサキさんは一度も教育というものをうけたことがなく、取材当時もまったく読み書きはできなかった。出生届がきちんと出されなかったために支給されるはずの年金も受け取れず、長男の顔をたてるために生活保護も受けず、ぎりぎりの生活を9匹の野良猫だけを慰めにひとり孤独に暮している。イヤな言い方だが、人並みの生活水準や最低限の教養など、誰もが当り前に享受している権利を、彼女は何ひとつ手にはしていない。それでも、見ず知らずの他人を受け入れ、事情を知っても自らの体験談が本になることを拒否することもしなかった彼女の知性は、いったいどこでどのようにして育まれたものなのだろう。
嘗められるだけの辛酸を嘗めつくした苛酷な半生こそがそのような人格を形成したなどとはいいたくない。でもこの寛容さを前にして、いったい心の豊かさとはなんなのか、自分がこれまで知っているつもりでいたものの危うさを深く考えざるをえない気持ちになる。

山崎朋子氏のからゆきさん研究はこの1冊だけではなく、続編に『サンダカンの墓』もある。現在刊行されている『サンダカン八番娼館』にも収録されているが、今回読んだ版には入ってなかったのでこれから読みます。

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からゆきさんの小部屋

学校がほしい

2009年05月10日 | book
『生贄の女 ムフタール 屈辱の日々を乗り越えて』 ムフタール・マーイー著 橘明美訳
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2002年6月22日、28歳のムフタールは近所に住む男4人に輪姦された。パキスタン・パンジャーブ州での出来事だった。
彼女自身にはそのような暴力を受けるいわれはもとよりなく、 きっかけはグッジャルというムフタールが属する部族と、マストイという上のカーストの部族とのトラブルだった。イスラム国家であるパキスタンの地方では、こうした場合ジルガという部族会議で互いの面子と利益を折衝する習慣がある。そこでなぜか、彼女がマストイに「詫びを入れる」ということに決まり、事件が発生してしまった。
現代でも世界中で横行している女性への虐待。イスラム圏では根強い男尊女卑思想のため、多くの女性には自らの健康と安全を守る権利や教育の機会・経済的自立はおろか、基本的な人権・人間としての尊厳すら守られておらず、彼女のように性的な暴力を受けて自殺に追いこまれる人や、親族に殺害される人が後を絶たない。
だがムフタールの事件はいちはやく世界中のマスコミや活動家の耳目を集め、また家族の理解と応援もあり、彼女を含めた多くの女性の被害がひろく知られるところとなった。事件は「下のカーストの女性が上のカーストの人間を訴える」というパキスタン史上前代未聞の裁判に発展し、文盲の彼女は国から支払われた賠償金で村に学校を建設、校長に就任し、パキスタン女性の人権を守る活動家になった。

このムフタールという女性はぐりとちょうど同い年。片田舎の農村で、貧しい農家の長女として生まれた。当地の一般的な女性と同じくまったく教育は受けずに成人し結婚、間もなく離婚して実家に戻り、家事の手伝いや農作業・ボランティア活動に従事して暮した。
他の敬虔なイスラム女性と変わらず、彼女は聡明ではあるが控えめで穏やかな、おとなしい貞淑な女性だった。それでも自分が受けた暴力と屈辱を、ひとりで胸の中にしまいこんで死ぬという行為で精算するのは不自然だと考えた。確かに女性の人権が叫ばれるようになったのは世界的にも近世以降に始まった動きだが、彼女ひとりに限定して考えてみても、それが時代や歴史などという相対的なファクターとはまったく関係がないことがわかる。女性であろうとなかろうと、健康に平和に暮したいという欲求、家族や故郷を守りたいという愛情は、人間が人間として生まれたなら誰の心にも当り前に備わっている自然な感覚なのだろう。

暗く重い事件を扱った本ではあるが、フランス語でのインタビューの翻訳という形式もあり、読みやすくわかりやすい、易しい本になっている。ムフタール自身のパーソナリティにもよるのだろう、過度な感情論ではなく、人として当然の思いがストレートに淡々と綴られている。
現代日本に生まれ育った大抵の人間は水や空気と同じくらい当り前に手にしている人権だが、これまでの長い間、あらゆる世代の人々が戦って獲得し、子や孫に伝えて来てくれた財産でもある。今も続くその闘争の一部を垣間みることができる本です。
ちなみに彼女の戦いは映画化が決まってるそーです。完成の暁には是非とも観たい。

パキスタン:記録映画になったマーイー
レイプ被害のパキスタン女性の実話が映画化
暴行被害のパキスタン女性、過去を乗り越え差別に苦しむ女性を支援
(記事によって微妙に名前の表記が違うけど、全部同一人物=ムフタール・マーイーの記事です)

星の光

2009年05月10日 | book
『オバマ・ショック』 越智道雄/町山智浩著
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アメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏と、彼が師と仰ぐ越智道雄氏の対談集。
ぐりはTVを観ないので、オバマ大統領に対する日米のマスコミ・一般庶民の評価ってもーひとつよくわかってない気がして、それで手に取ってみたんですがー。
まーでもこれも就任後すぐの刊行なので、いま現在はどーなってるのかはわかりませんわね。あとやっばこないだ読んだ『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』もそーなんだけど、内容が町山さんのブログやらラジオで語ってることとほぼカブッてるんで、読んでてもあんまし新鮮味がないー。
対談という形は読みやすくはあるし、あっちでちょこっと、こっちでちょろりとという感じにぱらぱらと発表された町山さんの意見がちゃんと整理されて、まとめて読めるという点では便利な本だと思うけど。

1月20日にオバマ大統領が就任して3ヶ月が過ぎて、さすがに就任直後の驚異的な支持率には翳りも見え始めてるけど、一般的に就任後100日間といわれるマスコミとの蜜月関係はまだ壊れてはなくて、それほど大きな批判も今のこところ聞こえてはこない。
世界経済には微妙に回復?の兆し?のようなものも見え始めてるけど、これがオバマ政権とどういう関係があるのかはわからないし、世界のリーダーともいえるアメリカの大統領になったオバマ氏がこれからどうなるのか、彼を世界が、歴史がどう評価するのかはまだまだ誰にもわからないだろう。
けど、あらゆる意味で、世界的にも歴史的にも「異端」なこの政治家以外に、人々が希望を寄せる星は─これほどまでに大きく、明るい─は実在しないんじゃないかな?と、ぐりは個人的には思っている。
多数派ひとり勝ちの時代は終わって、これからは多様化そのものを尊ぶという価値観がメジャーになる。その流れには、ひとりのマイノリティとして期待してますです。

トーキョーのアナタハン

2009年05月10日 | book
『東京島』 桐野夏生著
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夫と世界一周クルーズに出かけて遭難し、無人島に漂着した清子。ほどなくして与那国島でのアルバイトから逃亡しようとしてやはり遭難した23人の若者も加わり、共同でのサバイバル生活が始まる。
太平洋戦争中の1944年に起きたアナタハン島事件にヒントを得た、無人島という社会的・文化的に閉鎖された舞台で繰り広げられる「ひとりの女とそれを奪いあう男」の物語。

うーん。エグい。エグいよー。
ぐりは桐野夏生作品は『水の眠り 灰の夢』『グロテスク』しか読んでないんですが。エグさでは『グロテスク』と近いですね。エグさの質も。なんちゅーか“女の性”のナマナマしい再現性とか。
アナタハン島事件で唯一の女性遭難者だった比嘉和子は20代の若妻だったけど、とくに容色が優れているとゆーわけでもなく、ごくふつうの、まあぶっちゃけていえば十人並みの女だった。ところが清子は46歳。年増とゆーか、23人の若者からみれば、相対的にいって間違いなく“オバさん”である。
その彼女を夫も含めて24人の男が、そして後には11人の中国人遭難者も加えて30人以上の男が奪いあい、共有するようになるんだから、そりゃアタマの具合もズレてくるのが当り前である。
こわいよう。

ただ、実際の事件が無惨な殺戮劇に発展していくのに対して、トウキョウ島の男たちの暴力性はそれほどまでの顕在化には至らない。事件は戦時中だったけど、小説の舞台はあくまで現代。現実の、ほんとうの暴力をしらない男は、自分の中の暴力を顕在化させる能力もないということなのだろうか?
だが彼らの異常性は暴力とはべつに、それぞれの抱えたストレスやトラウマの延長という形で現れてくる。これもこわい。人間は社会性動物だから、社会から隔絶されちゃうとやっぱし精神的な均衡を保ちにくくなるのかなー?だから他者を直接的に攻撃するんじゃなくて、自分自身を変えて孤立化したり、カルト化したりするのかな?
それはそれでこわいです。人間なんてひと皮剥けばみんな狂人ってことなのー?

読んでてちょっと物足りないなーと思ったのは、登場人物が遭難に至るまでの過程がほとんど描かれないこと。
それぞれ個人の生活背景はちょこっちょこっと出てくるんだけど、ふつうに考えたら、こういう場合、遭難そのものの直接原因って結構重要なファクターじゃない?それが全然具体的じゃないんだよね。清子夫妻はクルーズしてて遭難したってことと、若者グループは与那国島でのアルバイトがあまりにつらくて逃げ出そうとして失敗したこと、中国人たちは密航中に船から捨てられたってことしか書かれてない。
読んでたらそのうち出てくんのかな?と思ったら出てこなくて、なんかもひとつリアリティが得られないまま終わっちゃいましたん。