『レイチェルの結婚』
2日後に迫った姉レイチェル(ローズマリー・デウィット)の結婚式に出席するため、9ヶ月ぶりに更生施設を出て実家へ向かうキム(アン・ハサウェイ)。家には親族や友人たちが集まり準備に大わらわ、久々に帰宅したキムに居場所はなかった。
長女の結婚を背景に、崩壊した家庭に脈々と息づく家族の絆を描く。
タイトルだけ見るとマリッジ・コメディ?みたいな雰囲気の映画ですが。主演はコメディ女優の印象が強いアン・ハサウェイだけど、彼女この映画でオスカーにノミネートされている。パーフェクトなシナリオは巨匠シドニー・ルメットの娘ジェニー・ルメット。
舞台はコネチカット州の郊外住宅地。アッパーミドルに属するクラスの住人が多い、いわゆるサバービア。昨今ハリウッドでサバービアものといえばコネチカットが舞台になっている作品が目立つ。『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』しかり、『帰らない日々(原作『夜に沈む道』)』しかり、『シェイクスピアと僕の夢』しかり、ちょっと古いところでは『アイス・ストーム』しかり。
それらの題材はたいてい、経済的に充実した平和なコミュニティの中に隠された人間関係の不条理ということになる。まあね、人間誰でも完璧な生き物じゃないから、どんだけ満たされてても不都合はどっかしらから生まれてくる。
この映画のバックマン家は初めから破壊されている。次女のキムは元麻薬中毒者で入退院を延々とくりかえす問題児、両親は離婚している。その離婚にはどうも過去に家庭内で起きたある事件が関わっている。ボロボロである。
結婚して家を去ろうとしている長女レイチェルは、そんな家を最後に必死に修復しようとする。友だちや親族たちをかき集め業者を入れずに自分たちだけで結婚式を催すことで、バラバラになった自分の家を、せめてその日だけでも「完璧に幸せな家」に仕立てあげようとする。いじらしすぎて涙が出る。
だがキムにはそんな姉の乙女心はわからない。彼女は彼女自身のことで頭がいっぱいなのだ。しかし彼女の気持ちもまた、誰にも理解はされない。
そんなこんなで家族の再会は初めから波乱含みで幕を開ける。登場人物たちもいつキムが爆発するかハラハラしっぱなしだが、観ている方だってハラハラする。
映画の中で、家族は寄ると触ると些細なことで口論ばかりしている。結局彼らにとって理由なんかなんだっていいのだ。愛してるんだから愛されたい、家族なんだから自分をわかってほしい、受け入れてほしい、お互いに甘えたくて甘えたくて仕方がないからけんかになる。でも愛すればこそ、家族を信じるからこそけんかもできる。
それと同時に、家族には絶対に受け入れられない、理解できない不幸もある。どんな人間だって、自分の身内が落伍者である事実を受け入れるのは難しい。それを家族に求めるのははなから奇跡を無理に祈るようなものだ。これはぐりが現実に経験したことでもあったので、キムが家族とぶつかるシーンはいちいち泣けてしょうがなかったです。彼女の気持ちはわかる。けど無理なものは無理だ。いつか彼女にも、自分なりに折合いのつく日が来ればいいと思う。
そんな一家と、結婚式に集う人々の高揚した言葉が、えもいわれぬ対比を成している。
結婚式だから当然みんなめでたい言葉を口にする。素敵な思い出話を披露する友だちもいれば、賛辞を並べて新郎新婦を自慢する親族もいる。確かに彼らの言葉は感動的で胸に響く。それらももちろん、紛れもない愛の言葉だろう。
けど、泣きわめきながら思いをぶつけあう乱暴な応酬もまた、間違いなく愛の言葉なのだ。どんなに不完全でも、どんなに激しく傷つけあっていても、どんなに思い通りにいかなくても、彼らが家族であればこそ、それらの言葉には確固たる愛が流れている。
たとえそれが永遠でなくても、愛は愛なのだ。
ズタボロで常にぱっつぱっつにつっぱらかったバックマン家に対して、なんだかのんびりしている新郎シドニー(トゥンデ・アデビンペ)一家がうまい具合にクッションになっているのがよかったです。ちょっと存在感薄かった気がしないでもないけどね。
登場人物の人種がものすごいバラエティで(主人公一家はユダヤ系、新郎一家はアフリカ系、招待客やパーティスタッフにはヨーロッパ系はもちろんアジア系やラテン系、サモア系、中東系もいる)、劇中で演奏される音楽も世界各国オールジャンルにわたっていて非常におもしろかったです。サントラほしいなあ。婚礼衣裳や会場の装飾はなぜかインド風、宣誓は無宗教の人前結婚。
しかしここまで凝りに凝った結婚式を自力で催そうなんて信じられないよ。想像しただけで脳味噌爆発しちゃいそうですー。
2日後に迫った姉レイチェル(ローズマリー・デウィット)の結婚式に出席するため、9ヶ月ぶりに更生施設を出て実家へ向かうキム(アン・ハサウェイ)。家には親族や友人たちが集まり準備に大わらわ、久々に帰宅したキムに居場所はなかった。
長女の結婚を背景に、崩壊した家庭に脈々と息づく家族の絆を描く。
タイトルだけ見るとマリッジ・コメディ?みたいな雰囲気の映画ですが。主演はコメディ女優の印象が強いアン・ハサウェイだけど、彼女この映画でオスカーにノミネートされている。パーフェクトなシナリオは巨匠シドニー・ルメットの娘ジェニー・ルメット。
舞台はコネチカット州の郊外住宅地。アッパーミドルに属するクラスの住人が多い、いわゆるサバービア。昨今ハリウッドでサバービアものといえばコネチカットが舞台になっている作品が目立つ。『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』しかり、『帰らない日々(原作『夜に沈む道』)』しかり、『シェイクスピアと僕の夢』しかり、ちょっと古いところでは『アイス・ストーム』しかり。
それらの題材はたいてい、経済的に充実した平和なコミュニティの中に隠された人間関係の不条理ということになる。まあね、人間誰でも完璧な生き物じゃないから、どんだけ満たされてても不都合はどっかしらから生まれてくる。
この映画のバックマン家は初めから破壊されている。次女のキムは元麻薬中毒者で入退院を延々とくりかえす問題児、両親は離婚している。その離婚にはどうも過去に家庭内で起きたある事件が関わっている。ボロボロである。
結婚して家を去ろうとしている長女レイチェルは、そんな家を最後に必死に修復しようとする。友だちや親族たちをかき集め業者を入れずに自分たちだけで結婚式を催すことで、バラバラになった自分の家を、せめてその日だけでも「完璧に幸せな家」に仕立てあげようとする。いじらしすぎて涙が出る。
だがキムにはそんな姉の乙女心はわからない。彼女は彼女自身のことで頭がいっぱいなのだ。しかし彼女の気持ちもまた、誰にも理解はされない。
そんなこんなで家族の再会は初めから波乱含みで幕を開ける。登場人物たちもいつキムが爆発するかハラハラしっぱなしだが、観ている方だってハラハラする。
映画の中で、家族は寄ると触ると些細なことで口論ばかりしている。結局彼らにとって理由なんかなんだっていいのだ。愛してるんだから愛されたい、家族なんだから自分をわかってほしい、受け入れてほしい、お互いに甘えたくて甘えたくて仕方がないからけんかになる。でも愛すればこそ、家族を信じるからこそけんかもできる。
それと同時に、家族には絶対に受け入れられない、理解できない不幸もある。どんな人間だって、自分の身内が落伍者である事実を受け入れるのは難しい。それを家族に求めるのははなから奇跡を無理に祈るようなものだ。これはぐりが現実に経験したことでもあったので、キムが家族とぶつかるシーンはいちいち泣けてしょうがなかったです。彼女の気持ちはわかる。けど無理なものは無理だ。いつか彼女にも、自分なりに折合いのつく日が来ればいいと思う。
そんな一家と、結婚式に集う人々の高揚した言葉が、えもいわれぬ対比を成している。
結婚式だから当然みんなめでたい言葉を口にする。素敵な思い出話を披露する友だちもいれば、賛辞を並べて新郎新婦を自慢する親族もいる。確かに彼らの言葉は感動的で胸に響く。それらももちろん、紛れもない愛の言葉だろう。
けど、泣きわめきながら思いをぶつけあう乱暴な応酬もまた、間違いなく愛の言葉なのだ。どんなに不完全でも、どんなに激しく傷つけあっていても、どんなに思い通りにいかなくても、彼らが家族であればこそ、それらの言葉には確固たる愛が流れている。
たとえそれが永遠でなくても、愛は愛なのだ。
ズタボロで常にぱっつぱっつにつっぱらかったバックマン家に対して、なんだかのんびりしている新郎シドニー(トゥンデ・アデビンペ)一家がうまい具合にクッションになっているのがよかったです。ちょっと存在感薄かった気がしないでもないけどね。
登場人物の人種がものすごいバラエティで(主人公一家はユダヤ系、新郎一家はアフリカ系、招待客やパーティスタッフにはヨーロッパ系はもちろんアジア系やラテン系、サモア系、中東系もいる)、劇中で演奏される音楽も世界各国オールジャンルにわたっていて非常におもしろかったです。サントラほしいなあ。婚礼衣裳や会場の装飾はなぜかインド風、宣誓は無宗教の人前結婚。
しかしここまで凝りに凝った結婚式を自力で催そうなんて信じられないよ。想像しただけで脳味噌爆発しちゃいそうですー。