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1977年にフジテレビの「カルピスこども劇場」で放送されたアニメ『あらいぐまラスカル』の原作。
そう云えばこの枠で放送された『トム・ソーヤーの冒険』や『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』『フランダースの犬』は原作を読んだけど、大好きだった『ラスカル』はまだ読んでないなー、とふと思い、読んでみました。
どのくらい好きだったか、ってーと今でも主題歌をそらで歌えるくらいです。
シロツメクサの花が咲いたら
さぁ行こう ラスカル
六月の風がわたる道を
ロックリバーへ遠乗りしよう
神さまありがとう
ぼくに友だちをくれて
ラスカルに会わせてくれて
ラスカルに会わせてくれて
ありがとう
ぼくの友だち ラスカルに会わせてくれて
(『ロックリバーへ』岸田衿子:作詞/渡辺岳夫:作曲)
1977年と云えばぐりは5歳。この番組を見てアライグマを飼うのにものすごく憧れて、しょっちゅうペットショップのアライグマのケージにへばりついては、黒いアイマスクをかけたムクムクした小動物が、リンゴを洗ってかじったり木製のおもちゃを分解したりする様子をひたすら飽きもせずに眺めたものです。
閑話休題。
著者名を見て分かる通り、この物語は作者本人自身の経験を描いた自伝です。時は第一次世界大戦が終わりに近づいた1918年、舞台はローラ・ワイルダーの『大きな森の小さな家』でも知られるウィスコンシン州の田園地帯。
アニメでは確か主人公スターリングはお母さん子の弱虫な少年と云う設定ですが、原作のスターリング少年には既に母は亡く、自分で家事をしたり、アルバイトやちょっとした菜園経営で貯めたお小遣いでアニメには登場しなかった兄姉のためにクリスマスプレゼントを買い集めたりする、当時のアメリカの平均的な子どもと同じようにそれなりに自立した男の子として描かれています。
その彼の11歳から12歳の一年間、つまり完全な子ども時代から思春期への間の一種のモラトリアムを共に過ごした「友だち」として現れたのがアライグマの子ども・ラスカルです。
アニメと原作には家族構成以外にも設定が異なるところがたくさんあります。『ハイジ』や『フランダース』にもかなりそういう傾向があり、それはそれで制作当時日本の現代の子ども向けに分りやすい世界観をつくるために必要なプロセスだったんだろうと思います。でも『アン』はその中では原作に相当忠実に、と云うか相応に原作の精神を尊重してつくられた番組だったし、それは結果としてアニメの質を高める効果にもなっていました。
そう考えると、『ラスカル』も出来ればもっと原作に近い物語でアニメ化してもらいたかった、それも是非観てみたいと云う気がします。それほど原作とアニメは違う。
アニメはひとりの少年とペットの成長の物語だけど、原作はもっと情緒的で自由で、単なる子ども向けの物語ではない、一種の叙情詩のような小説です。その点では似たようなテーマのマージョリー・ローリングズの『子鹿物語』などとも異なっています。
原作の中に描かれるラスカルは今で云うペット、愛玩動物では決してありません。
物語の舞台は僻地と云うほどではないけれど、周囲を農耕地や森や川など豊かな自然に囲まれた街です。スターリングの家には母も家政婦もおらず、一緒に住んでいたのはほとんど家庭を顧みることのない、俗世から離れて暮す父親だけでした。父は幼くして母親を失った末息子のすることにほとんど口を挟まず、彼が犬猫だけでなくスカンクやカラスやアライグマと云った風変わりなペットを次々に家に入れても、家の中で5メートルを超えるカヌーを数カ月もかけて組み立てていても、意見らしい意見も云わず好きにさせていました。
そんな環境が永久に続く訳がありません。出征している兄はいずれ除隊するし、男性には身の回りを世話する人間が必要です。時々帰省して家事を手伝ってくれる姉たちにも将来がある。そのことをスターリング少年はうすうすと感じながら成長していきます。
今我々がペットと呼ぶ生き物は、彼らの一生を飼い主が引き受けるべき家族の一員としてとらえられています。でもここに描かれているラスカルは、生まれて間もない赤ん坊の時期から成獣になるまで、すなわち主人公スターリングと同じ世代を一時的に共有するまさに「友だち」のひとりです。
それをスターリングが予め知っていたのは、とりもなおさず彼が自然に囲まれ多くの動物の生態に触れながら育って来た体験に基づいた知識によるものであって、現代の子どもにはなかなか得ることの出来ない感覚です。
それにしても作中に描かれたウィスコンシンの自然のなんと美しいことか。香り高い針葉樹の森、宝石のような湖水や川、溢れるほどにみずみずしい田園。健全な子どもの目から見た、どこまでも善良で情け深い隣人たち、犯罪も差別も貧困もない単純で穏やかな街。大西洋を挟んだヨーロッパで戦争が行われていることが対比となって、街の平和さがより際立って夢のように感じる。
そしてやはりラスカルはとにかく愛らしい。好奇心が強く利口で器用で乗り物が大好き、自分をスターリングの兄弟であるかのように認識していながらも、誰に教わらなくても魚や虫を捕らえる術を知っている天性のハンター。こんな可愛い友だちを持ったスターリングを、28年経った今でも、ぐりは心底羨ましいと思う。
アニメにも出て来た麦わらでミルクをやるシーンや、角砂糖を洗って溶かしてしまうシーンはちゃんと原作にも出て来ました。アレ、いつかはナマで見てみたいです(笑)。
この小説には1969年にディズニーが制作した実写映画版があるそうですが、これは是非とも観てみたいものです。
1977年にフジテレビの「カルピスこども劇場」で放送されたアニメ『あらいぐまラスカル』の原作。
そう云えばこの枠で放送された『トム・ソーヤーの冒険』や『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』『フランダースの犬』は原作を読んだけど、大好きだった『ラスカル』はまだ読んでないなー、とふと思い、読んでみました。
どのくらい好きだったか、ってーと今でも主題歌をそらで歌えるくらいです。
シロツメクサの花が咲いたら
さぁ行こう ラスカル
六月の風がわたる道を
ロックリバーへ遠乗りしよう
神さまありがとう
ぼくに友だちをくれて
ラスカルに会わせてくれて
ラスカルに会わせてくれて
ありがとう
ぼくの友だち ラスカルに会わせてくれて
(『ロックリバーへ』岸田衿子:作詞/渡辺岳夫:作曲)
1977年と云えばぐりは5歳。この番組を見てアライグマを飼うのにものすごく憧れて、しょっちゅうペットショップのアライグマのケージにへばりついては、黒いアイマスクをかけたムクムクした小動物が、リンゴを洗ってかじったり木製のおもちゃを分解したりする様子をひたすら飽きもせずに眺めたものです。
閑話休題。
著者名を見て分かる通り、この物語は作者本人自身の経験を描いた自伝です。時は第一次世界大戦が終わりに近づいた1918年、舞台はローラ・ワイルダーの『大きな森の小さな家』でも知られるウィスコンシン州の田園地帯。
アニメでは確か主人公スターリングはお母さん子の弱虫な少年と云う設定ですが、原作のスターリング少年には既に母は亡く、自分で家事をしたり、アルバイトやちょっとした菜園経営で貯めたお小遣いでアニメには登場しなかった兄姉のためにクリスマスプレゼントを買い集めたりする、当時のアメリカの平均的な子どもと同じようにそれなりに自立した男の子として描かれています。
その彼の11歳から12歳の一年間、つまり完全な子ども時代から思春期への間の一種のモラトリアムを共に過ごした「友だち」として現れたのがアライグマの子ども・ラスカルです。
アニメと原作には家族構成以外にも設定が異なるところがたくさんあります。『ハイジ』や『フランダース』にもかなりそういう傾向があり、それはそれで制作当時日本の現代の子ども向けに分りやすい世界観をつくるために必要なプロセスだったんだろうと思います。でも『アン』はその中では原作に相当忠実に、と云うか相応に原作の精神を尊重してつくられた番組だったし、それは結果としてアニメの質を高める効果にもなっていました。
そう考えると、『ラスカル』も出来ればもっと原作に近い物語でアニメ化してもらいたかった、それも是非観てみたいと云う気がします。それほど原作とアニメは違う。
アニメはひとりの少年とペットの成長の物語だけど、原作はもっと情緒的で自由で、単なる子ども向けの物語ではない、一種の叙情詩のような小説です。その点では似たようなテーマのマージョリー・ローリングズの『子鹿物語』などとも異なっています。
原作の中に描かれるラスカルは今で云うペット、愛玩動物では決してありません。
物語の舞台は僻地と云うほどではないけれど、周囲を農耕地や森や川など豊かな自然に囲まれた街です。スターリングの家には母も家政婦もおらず、一緒に住んでいたのはほとんど家庭を顧みることのない、俗世から離れて暮す父親だけでした。父は幼くして母親を失った末息子のすることにほとんど口を挟まず、彼が犬猫だけでなくスカンクやカラスやアライグマと云った風変わりなペットを次々に家に入れても、家の中で5メートルを超えるカヌーを数カ月もかけて組み立てていても、意見らしい意見も云わず好きにさせていました。
そんな環境が永久に続く訳がありません。出征している兄はいずれ除隊するし、男性には身の回りを世話する人間が必要です。時々帰省して家事を手伝ってくれる姉たちにも将来がある。そのことをスターリング少年はうすうすと感じながら成長していきます。
今我々がペットと呼ぶ生き物は、彼らの一生を飼い主が引き受けるべき家族の一員としてとらえられています。でもここに描かれているラスカルは、生まれて間もない赤ん坊の時期から成獣になるまで、すなわち主人公スターリングと同じ世代を一時的に共有するまさに「友だち」のひとりです。
それをスターリングが予め知っていたのは、とりもなおさず彼が自然に囲まれ多くの動物の生態に触れながら育って来た体験に基づいた知識によるものであって、現代の子どもにはなかなか得ることの出来ない感覚です。
それにしても作中に描かれたウィスコンシンの自然のなんと美しいことか。香り高い針葉樹の森、宝石のような湖水や川、溢れるほどにみずみずしい田園。健全な子どもの目から見た、どこまでも善良で情け深い隣人たち、犯罪も差別も貧困もない単純で穏やかな街。大西洋を挟んだヨーロッパで戦争が行われていることが対比となって、街の平和さがより際立って夢のように感じる。
そしてやはりラスカルはとにかく愛らしい。好奇心が強く利口で器用で乗り物が大好き、自分をスターリングの兄弟であるかのように認識していながらも、誰に教わらなくても魚や虫を捕らえる術を知っている天性のハンター。こんな可愛い友だちを持ったスターリングを、28年経った今でも、ぐりは心底羨ましいと思う。
アニメにも出て来た麦わらでミルクをやるシーンや、角砂糖を洗って溶かしてしまうシーンはちゃんと原作にも出て来ました。アレ、いつかはナマで見てみたいです(笑)。
この小説には1969年にディズニーが制作した実写映画版があるそうですが、これは是非とも観てみたいものです。
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