落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

Yes, Virginia

2008年12月16日 | diary
小学校教師が生徒に「サンタは存在しない」と言い解雇される

実をいうとぐりは生まれてこの方サンタクロースを信じたことがない。
確か通っていた保育園でも普通にクリスマス会をやっていて、赤い服に白いヒゲの仮装をした「サンタクロース」にプレゼントをもらったりしていたはずだが、そのときでさえ「この人はサンタクロースじゃない」と妙に醒めた目でみていた。ただし幼いなりに既に空気を読むことは心得ていて、口に出して「あの人はサンタじゃない」なんてことはいわなかった。他の園児といっしょになってはしゃいでみせるくらいのことはやっていた。
ぐりがサンタクロースを信じなかったのは単に性格がひねくれていたからではない(笑)。母にはっきりと「クリスマスプレゼントは父が働いたお金で買ってくるものであって、それを見ず知らずの他人にもらってるなんて教えるのはおかしな話だ」といわれたからだ。まあ彼女の発言はまったくその通りだし、クリスマスどころか誕生日のお祝いごとからも縁遠かった両親の子ども時代を思えば、信仰してもいない宗教のお祭りを祝って贈り物をするなどという習慣が理解できないのもしかたがない。けどちょっと実もフタもなさすぎる物言いじゃありませんか?とも思わなくもない。石原壮一郎なら「大人気ない」というだろう(笑)。

ところがぐりが公立の保育園に入ったあと、ふたりの妹が預けられた私立の保育園はミッション系だった(爆)。クリスマスどころか毎日朝に夕に食事どきに礼拝やらお祈りの時間があり、普通の保育園では童謡を歌うところで賛美歌を教えられ、年中行事も全部キリスト教一色(たとえばお遊戯会の演し物は“東方三博士の礼拝”)の保育園で「サンタクロースは存在しない」なんて口が裂けても誰もいえない。なので妹たちは当然サンタクロースを信じていた。彼女たちが毎年クリスマス前に出すサンタクロースへの手紙を代筆して投函してやったり、24日の夜にはプレゼントを入れてもらう靴下と、サンタクロースをもてなす飲み物と軽食を枕元に用意するのにつきあってやっていたのを覚えている。
彼女たちが「サンタクロースは存在しない」と知ったのがいつのころなのかはわからない。初めからサンタクロースを信じていなかったぐりの子ども時代と彼女たちのそれに、どんな違いがあったかもわからない。
サンタクロースの存在を信じるのは確かに子どもの特権だが、その意義はいったいどこにあるのだろう。
疑問に思ったぐりが小学校の図書館で借りて読んだのがこの本。

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これはニューヨーク・サンという新聞に1897年に掲載された伝説的に有名な社説で、以後長い間、毎年クリスマスシーズンにあらゆる新聞に転載されている(原文日本語訳)。
当時これを書いたフランシス・チャーチ記者は「サンタクロースは存在するのか」と問う8歳のヴァージニアに、ごく優しい言葉でサンタクロースを信じることの意味を説いている。本を読んだ時点でぐりは10歳になるかならないかくらいの年齢で、うんなるほどねと素直に納得したものだったが、よく考えてみれば、「サンタクロースを信じることの意味」はサンタクロースの存在への疑念があったうえで理解されるものであって、その存在を信じるべきか否かという問いの回答にはなり得ない。
だから未だにぐりは、子どもに「クリスマスプレゼントはサンタクロースがくれるもの」と教える意味はよくわからないままである。

たとえこの世にサンタクロースがいなくても、人は妖精の夢や詩や音楽の美しさを楽しんだり、身近な人を愛しその笑顔を大切にすることはできる。
たとえこの世にクリスマスがなくても、人は誰にでも優しくしたり許したり受け入れたりすることはできるはずだ。
でもそのことをついつい忘れてしまうのも人間だったりする。残念なことに、けっこう人間は忘れっぽい生き物でもある。
それを年に一度、いちばん夜が長い寒い季節にみんなで集まって思い出すために、クリスマスとサンタクロースはやってくるのだろう。嘘でも幻でも、そんなものが必要なのが人間の愚かさなのかもしれない。


百貨店のツリー。

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4 コメント

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Unknown (liyehuku)
2008-12-18 14:07:35
キリスト教が国教と言っても過言ではなさそうなアメリカですが、サンタの影は意外なほど薄いです。時期になると彼をキャラクターとして使っている商品は巷に溢れているし、モールや図書館で子どもの願い事を聞いたりはしてますが、それにしては影が薄い。
クリスマスといえば家族が集まる時期、そして「クリスマスのプレゼント」といえば、家族や親しい人たちで贈り合う親密な-しかしやっかいな-もの、という印象が強いからでしょうね。
あとは、キリスト教とはいっても、カトリックではなくプロテスタント系が主流、というのもミソでしょうか。(「聖人」を否定したがる傾向がある。)
もちろん、同じ宗派でもいろいろな人がいるんですが・・・・・・。
去年のクリスマスシーズンにバプテスト教会でたまたま会った人が、
「でも、サンタなんて嘘でしょう?子どもに嘘なんて教えられないわ!」
と言った時、内心、
「なんとまあ、ナイーブな人だなあ」
と思った私ですが、周囲の人(教会のメンバー)もちょっとひいてましたね。
「いやいや、サンタクロースには実在のモデルがあって、その人物が地域の人たち贈り物を配っていたというのは本当のことなのよ。まるっきりの嘘ではないのよ」
と言われていました。
アメリカでどれくらいの数の子どもがサンタを信じてるのかなーというのは気になるところです。
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Unknown (ぐり)
2008-12-18 23:56:46
liyehukuさん

あ、そーなんですね。意外。やっぱり宗派によって考え方に随分違いがあるもんなんですよね。
でも今のサンタクロースのパブリックイメージの大方はアメリカで形成されたものではなかったでしたっけ(ノーマン・ロックウェルのイラストが有名)。時代とともにキリスト教も信仰側の姿勢も変化してるということなんでしょうか。

しかしサンタ=嘘なら宗教なんか全部嘘やんけ!とはさすがに誰もツッコめませんわね(笑)。
ところでサンタクロースのモデルはローマ時代の聖人ニコラウスというのはよく知られてますが、彼はプレゼントを配ったりはしてないらしいです。貧しくて娘を嫁にやれない家の煙突から金貨を投げ込み、それが炉端に干してあった靴下に入ったのがクリスマスプレゼントの始まり、という逸話はあります。もともとこの人の命日だかなにかが12月だったんですよね。

ところでアメリカではクリスマスがクリスチャン以外の人への差別?かなにかにあたるとして「メリークリスマス」とはいわず「ハッピーホリデイ」というようになったり、公共の場でツリーを飾らなくなったりしたところもあると聞きますがホントですか?
それこそナイーヴやなーと思いますが。
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Unknown (liyehuku)
2008-12-19 06:04:31
確かに公共の機関や公立の学校は気を使っているみたいですね。(「メリークリスマス」→「ハッピーホリデイ」。)
でもあちこちで当然のように「メリークリスマス!」と言われるのでそういう気遣いがほとんどかき消されているというか・・・・・・。
あと、そういう類の気遣いは、単に他宗教の人への配慮のためというだけでなく、クリスチャン側、というか各キリスト教教会の側にクリスマスをどう過ごすかというこだわりがそれぞれあってその反映かなあ、という気も。(矜持の裏返しというか。)
こちらで過ごしていると「クリスチャン以外の人への差別にあたるから気を使ってます」という雰囲気は全体的に全然ないんですけどねー。
もっとも、大都会の雰囲気はまたこことは違うのかもしれないです。・・・・・・と、一昨日、用事でヒューストン(=大都市)に行って思いました。
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Unknown (ぐり)
2008-12-20 00:17:42
liyehukuさん

やっぱり地域によっても違いますよね。
なるほどー。
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