映画:「闇の子供たち」、上映中止は残念‐‐タイで監督会見
タイの人身売買・臓器売買描く『闇の子供たち』、バンコク映画祭で上映中止
人は人 我は我なり されど仲よき哉日誌:タイでは見れない「闇の子供たち」 (会見詳細)
「少女から生きたまま心臓移植」 映画「闇の子供たち」の問題PR
昨日現地で監督側の記者会見が行われましたがー。
今回の中止でタイ国内での上映がダメになったってわけではなくて、これから編集を変えて上映できるように継続してはたらきかけてくとゆーことですが、そのバージョンも是非とも観てみたいですね。もしかしたら却ってそれでよくなるかもしれないし。
しかしこのJ‐CASTの記事はなんでしょーな?これだけじゃなくてレビューサイトにも「反日作家原作のあたかも事実であるかのように嘘を描いた捏造映画」なんて投稿も結構目立つんだけど、ぐりが知る限り製作・配給側が自らこの映画をノンフィクションとしてPRした事実はないんじゃないかなあ?あんのかな?知識ゼロのボケた媒体側のミスリードではなく?つかあったとしても、商業映画の内容を事実として鵜呑みにするのはそれはそうする人の自己責任じゃないの?だって映画ですよ。「実話に基づく」と明確にうたった映画だって、便宜的に事実を作り変えることはよくある。それをいちーちここが違うどこが違うとつつきまわすことにどんだけ意味があるっちゅーの。大体この映画の原作はれっきとした小説だから、実話なんかじゃないことはあえていうまでもないことだ。記事中の医師の証言も劇場用パンフレットに掲載されてるしー。
この記事が上映中止報道の直後に出てきたとこがまたねえ。べつにぐりは映画そのものを擁護したいワケじゃないけど、事実に反するとゆーツッコミをいれたければ、じゃあ事実はどーなんだっちゅー独自の反証が必要じゃないのかね?それがなかったら子どもが「お前のかーちゃんでべそ」なんて囃すのといっしょじゃね?
ぐりは原作は読んでないけど、この映画を観る以前からと観た後で、人身売買について何冊か資料を読んで、関連のNGOの話を聞きに行ったりインターネットで調べたりして、映画に描かれてることはフィクションだけど、ほぼ同じようなことや、もっともっとひどいことが現実に起こっていて、その現実と日本に住む我々は決して無関係じゃない、という結論を自ら得た。というか正確にいえば、今のところ、半ば得たつもりになっている。そしてこれからまだまだ知る必要があると思っている。
ぐりは映画に完璧な真実なんか求める必要もないし、そんなもの求める方がナンセンスだと思う。そもそも真実は与えられるものじゃなくて自分で導き出すものじゃないの?そんなん常識じゃないの?映画はそのフックになればじゅうぶんだし、この映画はそれだけの機能はきっちり果たしてると思う。
資料を読んだり人の話を聞いたりしたぐりが思うのは、この映画を「事実じゃない」と声高に批判する人ほど、実際に何が行われているかという現実に無関心なんじゃないかということだ。
劇中、エイズを発症してゴミ袋に詰めて捨てられた少女が命からがら帰り着いた我が家で、親の手で生きながら焼かれるという非常にショッキングなシーンがあった。日本の大多数の観客はあまりの哀れさと凄惨さに暗い気持ちになるだろうと思われる場面だが、現地で活動するNGOのレポートを読んだあとではまったく別の風景にも見えてくる。
NGOの救出活動・当局の摘発・脱走などで売春組織から逃れた買春被害者のほとんどは、件の少女のように故郷に帰りたがるという。だがさまざまな事情で帰れない被害者も大勢いる。帰れない被害者の更生の道は険しい。再びブローカーの手にかかって売春宿に逆戻りする人もいる。被害者であるにもかかわらず入管施設や留置所では犯罪者扱いされ虐待を受ける人もいれば、どうにか故郷に戻れたもののHIV感染や売春の過去を理由に差別された挙句に殺される人もいる。被害者の郷里は都市部から隔絶された僻地が多く、場所によってはいったん帰郷すれば行き届いたHIV治療が受けられる保障はない。
そういう観点からいえば、件の少女は必ずしも可哀想とはいいきれない。観る人によっては「家に帰れて親に会えたんだから良かったじゃない」「ゴミ集積所で死ななかっただけ上等」ぐらいのことはいえてしまうかもしれない。たとえ家に入れてもらえなくて、蟻にたかられながらガソリンかけて燃やされて死ぬとしても。彼女の妹だって、ちゃんと病院で麻酔して手術されるだけマシだなんていう人だっているかもしれない。子どもの臓器密売事件の報道記録を見ていれば、この映画に描かれたような事例くらいなら絶対に起こりえないとはいえないし、もっとひどい最期だっていくらでもある。可哀想どころじゃないよ。何も映画に出て来た子どもたちはラッキーだとかいうわけじゃないけど、いずれにせよ、映画だけ観てわかったようなつもりになってしまうのはとても怖いことだ。
それほどまでにほんとうの現実は厳しい。こんな映画つくりごとだ、といって反発するのも勝手だが、ぐりとしては、つくりごとでまだよかったよといいたいくらいである。どーせこの映画を話題にするなら、ツッコミどころは他にもあるだろーに。おめでたいことでけっこうだ。現場で戦ってるNGOの人たちにもおんなじこといってあげてみてくださいな?
この上映中止に関するニュースがどこもお粗末で笑える。
出演してる警官ほとんどホンモノなのにそんなの無許可で撮影できるワケがないでしょ。ゲリラ撮影やってたじゃんとかツッコんでる人もいたけど、クルーが警戒してたのは当局じゃなくて現地マフィア(賄賂もらってるチンピラ警官含む)である。以前ドイツのクルーが同じ題材を撮ろうとして恐喝に遭ったことがあるから。逆に私服警官に護衛してもらって撮影したパートもある。これらはすべて監督や出演者のインタビューで語られていてインターネットで閲覧可能である。まともな日本語読解能力があれば誰でも知ることができる程度のネタだ。AFPの記事、上映中止に関する監督側のコメントが出てないて、昨日現地で記者会見やってますって。昨日の時点で時事通信が配信してます。
ぐりも無駄に知った口を知らずにきいてこれ以上馬鹿をみないよーに、これからもっと勉強しよーと思いまーす。
ポラリスプロジェクト:【9月27日】「人身取引大国ニッポン:女性や子どもたちへの暴力をなくすために」 第一回勉強会
ピープルズプラン研究所:一度に読み解くセックスワークと人身取引
関連レビュー:
『闇の子供たち』1/2
『現代の奴隷制―タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』 アジアウォッチ/ヒューマンライツウォッチ/女性の権利プロジェクト著
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
『幼い娼婦だった私へ』 ソマリー・マム著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著
寝る子は育つ。
東京見聞録:東京の中華街 池袋西口を歩いてみた /東京
このへんホントに中国系のお店多いよね。つーてもぐりが知ってんのは西口っちゅーより北口?本屋とかビデオ屋とか食材屋とか茶房とか。
ここだけじゃなく東京には他にも中国系の店が集まってる場所はあって、神保町なんかもけっこう多い。最近行ってないなーそーいえばー。
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NGOの救出活動・当局の摘発・脱走などで売春組織から逃れた買春被害者のほとんどは、件の少女のように故郷に帰りたがるという。だがさまざまな事情で帰れない被害者も大勢いる。帰れない被害者の更生の道は険しい。再びブローカーの手にかかって売春宿に逆戻りする人もいる。被害者であるにもかかわらず入管施設や留置所では犯罪者扱いされ虐待を受ける人もいれば、どうにか故郷に戻れたもののHIV感染や売春の過去を理由に差別された挙句に殺される人もいる。被害者の郷里は都市部から隔絶された僻地が多く、場所によってはいったん帰郷すれば行き届いたHIV治療が受けられる保障はない。
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ぐりも無駄に知った口を知らずにきいてこれ以上馬鹿をみないよーに、これからもっと勉強しよーと思いまーす。
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寝る子は育つ。
東京見聞録:東京の中華街 池袋西口を歩いてみた /東京
このへんホントに中国系のお店多いよね。つーてもぐりが知ってんのは西口っちゅーより北口?本屋とかビデオ屋とか食材屋とか茶房とか。
ここだけじゃなく東京には他にも中国系の店が集まってる場所はあって、神保町なんかもけっこう多い。最近行ってないなーそーいえばー。
そうか、この国際映画祭には『ペルセポリス』っていう前例があったんですね。いったん選ばれた作品が上映中止になるなんてとんでもない大事なのかと思っちゃいました(汗)。
監督の記者会見によれば、もともとタイの検閲に合わせてカットや再編集も辞さない覚悟で地道に上映の道を探ろうとしていたみたいですから、話が振り出しに戻っただけとも言えます。ノーカット版を上映できる機会を失ったのは残念ですけれど、きちんと現地で記者会見して冷静に対応してるし、さらにその場にプラパドン・スワンバーンも同席しているのを見て、ちょっとほっとしました(できれば、彼が演じたチットを主人公にしたヴァージョンの『闇の子供たち』が観てみたかったりします)。
「生きたまま心臓移植なんて嘘っぱち、だからこの映画はダメ」式の批判は前からちょくちょく目にしてましたけど、私が読んだかぎりでも、監督はインタヴューではっきり「この部分はフィクション」だとおっしゃってたし、製作サイドがノンフィクションだと喧伝したことなんてないはず。だって原作は小説なんですから。もうぐりさんのおっしゃるとおり、なんでこんなことが攻撃材料になるのか理解に苦しみます。臓器売買が現実である以上、あの心臓移植のくだりがフィクションかどうかなんてどうでもいい問題なのに。
ところで、『悲夢』はオダギリジョーだしギドクだし、最悪でも一般公開されないってことはないと信じてますけど、『東邪西毒:終極版』はどうなんでしょう。映画祭で上映されないと日の目は見ないかと…。心配です。
コメントありがとうございます。
いつでもおいでませ。
>いったん選ばれた作品が上映中止になるなんてとんでもない大事なのかと思っちゃいました(汗)。
バンコク国際映画祭はまだ今年で6回めという歴史の浅い映画祭ですし、上映本数も東京国際映画祭と比べると半数前後という、まあぶっちゃけ大した映画祭じゃないみたいですから〜。国際映画製作者連盟の公認もないし。『闇子』が正式出品されたカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭は公認です。
>彼が演じたチットを主人公にしたヴァージョンの『闇の子供たち』が観てみたかったりします
それすごい観たいですね。
元買春被害者のソマリー・マムの自伝『幼い娼婦だった私へ』なんか是非とも映画化してほしいんだけど・・・難しいかなあ。
>『東邪西毒:終極版』はどうなんでしょう。
観た人によれば音楽が替わっただけで編集はいじってないらしいですよ。映画祭でやると思ったけど、プログラムディレクターが去年交替して作品傾向ずいぶん変わりましたもんね。淋しいわあ。
明日からプレリザーブも始まりますがー。どないしょ・・・。