『おいしいコーヒーの真実』
ぐりはコーヒーが好きだ。
豆にこだわるほどではないが、20代のとき初めて訪れたイタリアで飲んで以来、イタリアンスタイルの濃いエスプレッソが大好きになった。スターバックスにもよく行くし、セガフレードも好き。そのどちらかでなければタリーズやエクセルシオールにも入るけど、ツンと酸味があって香りに特徴のあるコーヒーが飲みたければやはりスタバが確実だと思う。たぶん。
さてそのスタバ、ぐりがよく飲む定番メニュー、スターバックスラテのトールサイズは¥360。この¥360のうち、コーヒー豆の生産農家が得る報酬はいったいいくらになるか。答えは文末で。
この映画の主人公は世界で最も高品質のコーヒー豆を生産するエチオピアの農民たちである。
世界中のあらゆる人々に愛され毎日飲まれているコーヒーを育てている彼らは極端に貧しく、安全な水や最低限の食糧さえ絶望的に不足している。
そこで日本の農協で研修をしたメスケラ氏はエチオピアでも農協を組織し、従来コーヒー豆を買いにくる中間業者の手を借りずに、直接海外のバイヤーに営業をかけて適正価格で豆を売る活動を始めた。
映画には彼らの生活やメスケラ氏の奮闘と、欧米諸国の華麗なコーヒー文化、コーヒー業界の最先端とが交互に登場する。そうすることで、われわれが毎日楽しんでいるコーヒーの先にある生産者とのつながりがみえてくるようになっている。
メインビジュアルにも使用されている豆の選別作業のシーンで、ぐりは心の底から唖然としてしまった。
テーブルに山と積まれた豆から、ずらりと並んだ女性がひとつぶひとつぶ、欠品をとりのぞいている。すべて手作業。何の道具も用いていない。彼女たちは一日8時間この仕事をして、日給は$0.5。一日の報酬がたったそれだけ。毎日豆を選り分けて、日本でスターバックスラテを一杯飲むのに7日かかる。
これはどう考えてもおかしい。
コーヒー農家はいくらコーヒーをつくってもお金にならないので、何年もかけて丹誠したコーヒーの木を伐ってチャットを植える。チャットは麻薬植物で、コーヒーの20倍以上の値で売れる。子どもを学校に行かせるため、親としてはどうしてもお金がほしい。麻薬を栽培すること、大事なコーヒーの木を伐ることに胸をいためても、背に腹は代えられない。
コーヒー豆に適正なお金が支払われないというだけの問題じゃない。豊かな国々が貧しい国を搾取するということがいったいどんな現実をうみだしているのか、それをコーヒーという世界で最もポピュラーな嗜好品を通して語ろうとしているのだ。
ネスレやP&Gやサラ・リーなど、コーヒー豆の流通最大手といわれる企業はこの映画の取材に応じなかったそうで、もっともおいしい中間マージンを吸い上げているコングロマリットの部分は映画には具体的には登場しない。しかしおそらく一番黒いであろうそのパートが直接描かれないことで、映画のメッセージがより明確にクリアになっているような気もする。
結局問題は誰が悪いとか誰がトクして誰が損してとかそういうことではなく、現実にじゃあ何が求められてるかってことの方が重要だったりする。それがこの作品では、アフリカに必要なのは食糧援助ではなく、各国が自立して先進国と対等に取引できる経済システムを育てていくこととされている。
その道は決して平坦ではないとは思う。でもメスケラ氏のように実績を上げている人々もいる。日本ではつい最近アフリカ開発会議が行われたばかりだけど、アフリカを飢えさせたグローバリズムを良い方向に転換させていくのは、これからの先進国の義務でもあるだろう。
コーヒーのみならず多くの食糧を輸入に頼っている日本のわれわれは、口に入るものそれぞれに海の向こうに生産者がいて、彼らにも家族がいることをもっと意識するべきなのだろう。ひとくちコーヒーを飲むごとにそれを思いだすことにどんな意味があるのか、今はまだわからないけど。
答え:¥0.36。日本の喫茶店で供されるコーヒー一杯あたりのコーヒー農家の収益はわずか0.1%。
劇場用パンフレットや公式サイトに掲載されている数値はイギリスでの統計。
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徳川園にて。
性的暴行:フィギュア元コーチを逮捕 愛知県警
こういう事件ってなかなか報道されませんけど、コレはもしかしてブームのフィギュアだからニュースになってんのかしら?どーでしょーね?
コーチや監督が選手に性的な関係を求めるなんてケースは子どもでも大人でもよく聞く話だよね。あんまり公けにはならないけど。競技を問わずスポーツ界のいちばん黒い部分なんじゃないかなあ。
ぐり自身は体育会系じゃないけど妹ふたりはバリバリコテコテの体育会系だったし、こういうことが起きてしまう背景はなんとなくわかる。競技に真剣に打ち込んでると人間他のことはかなりどうでもよくなるってことがある。師匠と教え子の関係も異常に密着度高くなるし、絶対的な上下関係が保証されちゃうから、下心のある人間はどうしてもつけこみたくなる。つけこまれた方も競技のことしか頭になかったりしてつい流されてしまったりする。
うちの妹たちは直接そういう経験をしたことはないけど、卒業して何年か後に恩師のひとりが同じような事件を起こして転勤になった。ぐりもよく知ってる人です。チームを何度も全国大会まで導いた熱血監督で、日本代表チームに入るような選手も何人か育てた彼が異動して、母校からその部はなくなってしまった。そんな彼でも事件が報道されたとき周囲の人はだれも驚かなかった。ぐりも「ああやっぱり」と思った。つまりいきなり事件になっちゃうワケじゃない。なるべくしてなるし、なりそうだなってことは周りの人にはけっこうわかってたりする。
今回に限らず、こういう事件はときどき表沙汰にはなっても、きちんと問題解決が議論されるところまでいったことはないような気がする。被害者の気持ちを思えばあまり騒ぎたてるのもどうかという意見があるのはわかるけど、ほんとにそれでいいのかなあ。
ぐりはコーヒーが好きだ。
豆にこだわるほどではないが、20代のとき初めて訪れたイタリアで飲んで以来、イタリアンスタイルの濃いエスプレッソが大好きになった。スターバックスにもよく行くし、セガフレードも好き。そのどちらかでなければタリーズやエクセルシオールにも入るけど、ツンと酸味があって香りに特徴のあるコーヒーが飲みたければやはりスタバが確実だと思う。たぶん。
さてそのスタバ、ぐりがよく飲む定番メニュー、スターバックスラテのトールサイズは¥360。この¥360のうち、コーヒー豆の生産農家が得る報酬はいったいいくらになるか。答えは文末で。
この映画の主人公は世界で最も高品質のコーヒー豆を生産するエチオピアの農民たちである。
世界中のあらゆる人々に愛され毎日飲まれているコーヒーを育てている彼らは極端に貧しく、安全な水や最低限の食糧さえ絶望的に不足している。
そこで日本の農協で研修をしたメスケラ氏はエチオピアでも農協を組織し、従来コーヒー豆を買いにくる中間業者の手を借りずに、直接海外のバイヤーに営業をかけて適正価格で豆を売る活動を始めた。
映画には彼らの生活やメスケラ氏の奮闘と、欧米諸国の華麗なコーヒー文化、コーヒー業界の最先端とが交互に登場する。そうすることで、われわれが毎日楽しんでいるコーヒーの先にある生産者とのつながりがみえてくるようになっている。
メインビジュアルにも使用されている豆の選別作業のシーンで、ぐりは心の底から唖然としてしまった。
テーブルに山と積まれた豆から、ずらりと並んだ女性がひとつぶひとつぶ、欠品をとりのぞいている。すべて手作業。何の道具も用いていない。彼女たちは一日8時間この仕事をして、日給は$0.5。一日の報酬がたったそれだけ。毎日豆を選り分けて、日本でスターバックスラテを一杯飲むのに7日かかる。
これはどう考えてもおかしい。
コーヒー農家はいくらコーヒーをつくってもお金にならないので、何年もかけて丹誠したコーヒーの木を伐ってチャットを植える。チャットは麻薬植物で、コーヒーの20倍以上の値で売れる。子どもを学校に行かせるため、親としてはどうしてもお金がほしい。麻薬を栽培すること、大事なコーヒーの木を伐ることに胸をいためても、背に腹は代えられない。
コーヒー豆に適正なお金が支払われないというだけの問題じゃない。豊かな国々が貧しい国を搾取するということがいったいどんな現実をうみだしているのか、それをコーヒーという世界で最もポピュラーな嗜好品を通して語ろうとしているのだ。
ネスレやP&Gやサラ・リーなど、コーヒー豆の流通最大手といわれる企業はこの映画の取材に応じなかったそうで、もっともおいしい中間マージンを吸い上げているコングロマリットの部分は映画には具体的には登場しない。しかしおそらく一番黒いであろうそのパートが直接描かれないことで、映画のメッセージがより明確にクリアになっているような気もする。
結局問題は誰が悪いとか誰がトクして誰が損してとかそういうことではなく、現実にじゃあ何が求められてるかってことの方が重要だったりする。それがこの作品では、アフリカに必要なのは食糧援助ではなく、各国が自立して先進国と対等に取引できる経済システムを育てていくこととされている。
その道は決して平坦ではないとは思う。でもメスケラ氏のように実績を上げている人々もいる。日本ではつい最近アフリカ開発会議が行われたばかりだけど、アフリカを飢えさせたグローバリズムを良い方向に転換させていくのは、これからの先進国の義務でもあるだろう。
コーヒーのみならず多くの食糧を輸入に頼っている日本のわれわれは、口に入るものそれぞれに海の向こうに生産者がいて、彼らにも家族がいることをもっと意識するべきなのだろう。ひとくちコーヒーを飲むごとにそれを思いだすことにどんな意味があるのか、今はまだわからないけど。
答え:¥0.36。日本の喫茶店で供されるコーヒー一杯あたりのコーヒー農家の収益はわずか0.1%。
劇場用パンフレットや公式サイトに掲載されている数値はイギリスでの統計。

徳川園にて。
性的暴行:フィギュア元コーチを逮捕 愛知県警
こういう事件ってなかなか報道されませんけど、コレはもしかしてブームのフィギュアだからニュースになってんのかしら?どーでしょーね?
コーチや監督が選手に性的な関係を求めるなんてケースは子どもでも大人でもよく聞く話だよね。あんまり公けにはならないけど。競技を問わずスポーツ界のいちばん黒い部分なんじゃないかなあ。
ぐり自身は体育会系じゃないけど妹ふたりはバリバリコテコテの体育会系だったし、こういうことが起きてしまう背景はなんとなくわかる。競技に真剣に打ち込んでると人間他のことはかなりどうでもよくなるってことがある。師匠と教え子の関係も異常に密着度高くなるし、絶対的な上下関係が保証されちゃうから、下心のある人間はどうしてもつけこみたくなる。つけこまれた方も競技のことしか頭になかったりしてつい流されてしまったりする。
うちの妹たちは直接そういう経験をしたことはないけど、卒業して何年か後に恩師のひとりが同じような事件を起こして転勤になった。ぐりもよく知ってる人です。チームを何度も全国大会まで導いた熱血監督で、日本代表チームに入るような選手も何人か育てた彼が異動して、母校からその部はなくなってしまった。そんな彼でも事件が報道されたとき周囲の人はだれも驚かなかった。ぐりも「ああやっぱり」と思った。つまりいきなり事件になっちゃうワケじゃない。なるべくしてなるし、なりそうだなってことは周りの人にはけっこうわかってたりする。
今回に限らず、こういう事件はときどき表沙汰にはなっても、きちんと問題解決が議論されるところまでいったことはないような気がする。被害者の気持ちを思えばあまり騒ぎたてるのもどうかという意見があるのはわかるけど、ほんとにそれでいいのかなあ。
エチオピア、私も行ってみたくなりました。
エチオピアの国も綺麗だけど、人もすごく綺麗でよね。彫刻みたい。
エチオピアのコーヒーは映画に出て来たようにスバでも飲めるし、豆はフェアトレード商品が下記で買えるようです。
http://shop.southerly.co.jp/shopdetail/002001000002/
http://www1.enekoshop.jp/shop/choosee/item_detail?category_id=6727&item_id=93787