『後妻業の女』
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柏木亨(豊川悦司)の結婚相談所で知り合った武内小夜子(大竹しのぶ)と結婚後、脳梗塞で倒れた中瀬耕造(津川雅彦)には、前妻との間に尚子(長谷川京子)と朋美(尾野真千子)という娘がいた。間もなく耕造は世を去るが、全財産をひとりで相続すると書かれた公正証書を持ちだした小夜子に不審を抱いた朋美は、弁護士の守屋(松尾諭)に相談。元警官で探偵の本多(永瀬正敏)が調査に着手すると、柏木と小夜子をめぐる怪しい事件の数々が浮かび上がり・・・。
誰かにそばにいてほしい。大事にされたい。人のあたたかみに触れていたい。
そんなものは人間が生まれてから死ぬまで、誰もが当たり前に抱く感情で、大なり小なり人はその欲求に翻弄され、あるいはどうにか消化しながら生きている。中にはうまく消化することができず、己を見失うほどその業に溺れる人もいる。だからこそその業を道具に商売ができると考える人間もいる。実際に世界中にその手のビジネスは隆盛しまくっている。是も非もない、それが世の中だ。
そのビジネスを極端に先鋭化したのが、この映画に描かれる「後妻業」なのかもしれない(この呼称はフィクションらしいけど)。
こうしたえもいわれぬ人間の感情の本質が、この物語の醜悪さを、多面的に明るくも妖しくも変幻自在に魅力的にみせている。
劇中で大竹しのぶはいう。人間誰しも生まれるときも死ぬときもひとりで、彼岸にお金を持ち去ることはできない。
であれば、命の燃え尽きる最後のひとときを、甘美に幸せな夢で満たすことで対価を得る商売のどこに非難されなくてはならない汚点があるというのか。まあ確かに筋は通ってるし、嘘ではない。死ぬ人間にお金は必要ない。生きている人間にはお金が必要である。生きていて良かったと思える最期のために使われるお金の正当性を、他人が干渉できるものではないのかもしれない。
この映画では、人が無意識に思いこんでいる(思いこまされている)正義がいかに軽薄かを、ただただブラックにユーモラスかつ生々しく描写することに終始している。
出演者全員の驚異的な熱演も、バリッバリにキマった関西弁のシナリオも、完全にやりきった感満載のプロダクションデザインも、映像も音楽も、全部ががっちりといっさいのブレもなくまったく同じベクトルに全エネルギーを放出しきっている。
だから観てる方には彼らがいいたいこと、伝えたいことが思いっきりスパッとまっすぐ刺さってくる。こんなに気持ちのいいことはない。
大竹しのぶが天才なのはわかってたけど、この作品では他のすべての出演者が完璧にそれぞれの仕事をやりきってました。
いやもうマジ最高。うん、面白かった。大傑作でした。
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誰かにそばにいてほしい。大事にされたい。人のあたたかみに触れていたい。
そんなものは人間が生まれてから死ぬまで、誰もが当たり前に抱く感情で、大なり小なり人はその欲求に翻弄され、あるいはどうにか消化しながら生きている。中にはうまく消化することができず、己を見失うほどその業に溺れる人もいる。だからこそその業を道具に商売ができると考える人間もいる。実際に世界中にその手のビジネスは隆盛しまくっている。是も非もない、それが世の中だ。
そのビジネスを極端に先鋭化したのが、この映画に描かれる「後妻業」なのかもしれない(この呼称はフィクションらしいけど)。
こうしたえもいわれぬ人間の感情の本質が、この物語の醜悪さを、多面的に明るくも妖しくも変幻自在に魅力的にみせている。
劇中で大竹しのぶはいう。人間誰しも生まれるときも死ぬときもひとりで、彼岸にお金を持ち去ることはできない。
であれば、命の燃え尽きる最後のひとときを、甘美に幸せな夢で満たすことで対価を得る商売のどこに非難されなくてはならない汚点があるというのか。まあ確かに筋は通ってるし、嘘ではない。死ぬ人間にお金は必要ない。生きている人間にはお金が必要である。生きていて良かったと思える最期のために使われるお金の正当性を、他人が干渉できるものではないのかもしれない。
この映画では、人が無意識に思いこんでいる(思いこまされている)正義がいかに軽薄かを、ただただブラックにユーモラスかつ生々しく描写することに終始している。
出演者全員の驚異的な熱演も、バリッバリにキマった関西弁のシナリオも、完全にやりきった感満載のプロダクションデザインも、映像も音楽も、全部ががっちりといっさいのブレもなくまったく同じベクトルに全エネルギーを放出しきっている。
だから観てる方には彼らがいいたいこと、伝えたいことが思いっきりスパッとまっすぐ刺さってくる。こんなに気持ちのいいことはない。
大竹しのぶが天才なのはわかってたけど、この作品では他のすべての出演者が完璧にそれぞれの仕事をやりきってました。
いやもうマジ最高。うん、面白かった。大傑作でした。
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