『硫黄島の星条旗』 ジェイムズ・ブラッドリー/ロン・パワーズ著 島田三蔵訳
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映画『父親たちの星条旗』の原作本。
読んでいてふと、数年前ホノルルのあるダイナーでみた風景を思い出した。場所はヒルトン・ハワイアン・ビレッジの近く、近所に米軍専用のハレ・コア・ホテルもあるフォート・デ・ラッシー公園の向かいの店だったと思う。時期は11月の初め、ちょうどVeterans' Day(退役軍人の日)の少し前だった。
ハワイに行った経験のある方はご存知かと思うが、当地を訪れるアメリカ人観光客には退役軍人やその家族も多い。その日の朝、パンケーキと卵料理の伝統的なアメリカの朝食を食べに店に入ったぐりと連れのテーブルの隣にも、それと思しき老人のグループがいた。
年のころは70代後半か80代くらいの男性ばかり4人組。ひとりは四肢が不自由らしく車椅子に寝そべった状態で、傍に座った男性が少しずつスプーンで食事を食べさせていた。
年齢からいえば、おそらく第二次世界大戦か朝鮮戦争に従軍した人たちだろう。日本では戦争にいったとわかる人たちの姿を直接目にすることはほとんどない。だからこそ日本は平和なのかもしれないし、戦後世代は戦争をずっと昔に終わったものとして関心の外へ追いやることができるのかもしれない。
だが実際に戦争にいった人たちにとってはそうはいかない。生き残った人には戦後の人生があるし、亡くなった人の遺族は家族を奪われた悲しみを一生背負うことになる。
ホノルルのダイナーで、ぐりは初めてそのことを実感した。
著者ジェイムズ・ブラッドリーの父にとっても、それは同じだった。
アメリカで最も有名な戦争の聖像─アイコン─に写っていたジョン・ブラッドリーが、家族に硫黄島での体験を語ることは生涯ほとんどなかった。彼は本心ではその体験を忘れたかったに違いない。覚えておくにはあまりにも苦しい体験だった。しかしさまざまな理由によってその記憶は彼を捕らえて放さなかった。そして彼は沈黙することによってその体験と自分を切り離そうとした。
この本には、彼のようなごくふつうのアメリカ市民が、どんな時代の、どんな町の、どんな夫婦の家に生まれ、どんな子ども時代を過ごし、どんな風に大きくなったか、どんな過程を経て軍に志願し、どんな訓練を受け、どんな前線で、どんな戦闘を経験し、どんな経緯で硫黄島に送られ、そこでどんな戦闘を行い、あの日どんな風に星条旗を掲揚したか、その後いつどんな攻撃を受けて死んだか、あるいはどう生き残って帰国したか、死んだ青年たちの家族がどうなったか、生きて帰った者は戦後どんな人生を送ったかが、ごくふつうのアメリカ市民の伝記として、実にいきいきと、あたたかくやさしい視線で、ひとりひとりにぴったりと寄り添うように描かれている。
ほんとうにほんとうに、彼らはごくふつうの、どこにでもいるアメリカの男の子だった。ぜんぜん特別じゃない、そこにいれば誰だってそうしたであろう行いの連続の結果、1945年2月23日の午後、擂鉢山の火口で星条旗を掲げることになった。
それだけのことだった。彼ら自身にとっては、すべてが偶然の産物だった。
ところがそこで撮られた写真がたまたま綺麗だったために、アメリカという国家によってそのイメージは必然に変えられてしまった。
当事者にとってはとくに意味もないなんでもない一瞬が、伝説になり神話となっていく過程も、この本には詳しく書かれている。戦争が国家事業であり、イメージがマスコミによって増殖し勝手に歪曲されていくというセオリーが手に取るようにわかる。本人たちにはなすすべもない。
この本のいちばんわかりやすいところは、それが第三者の一般論ではなく、また本人の体験談でもなく、その身内の手による調査として描かれているという側面だろう。戦争によって傷ついた父とその仲間たちを開放してやりたいという、肉親だからこそのいたわりの心が、この本を読みやすく、受け入れやすくしている。またブラッドリー氏自身が上智大学に留学し日本で暮らしていたという経歴が、太平洋戦争そのものを日米どちらかの視点に偏ることなく、あくまで前線の兵士たち同士の戦いという面に限定して描くことを成功させているような気がする。
ぐりがこの本を読んで最もショックを受けたのは、硫黄島戦の直前、1944年11月の総選挙の際、タラワで訓練中だった兵士たちには不在者投票が許可されたのだが、ほとんどの兵士は若すぎて選挙権を持っていなかったという一文だった。
選挙権もない、本来ならまだハイスクールに通ったり、父親の仕事を手伝ったりしているはずの男の子たち。休暇に酒を飲むことも出来ないほど若かった男の子たち。のちに国旗掲揚者になった6人のうちの数人は女の子とデートしたことすらなかった。
それほど彼らは若かったのだ。
また、この本には海兵隊の伝統とその文化、精神についても易しく書かれている。軍事的な知識のないぐりは『ジャーヘッド』を観ても原作を読んでも、なぜ海兵隊が“特別”なのかいまひとつぴんとこなかったのだが、この本を読んでやっとなんとなくわかるような気がした。
かといって急に海兵隊を含めた軍隊や戦争を賛美したりするキモチには絶対ならないけどね。当り前だけど。
とりあえず太平洋戦争が一体どんな戦いだったのか、そのとき日米両国がどんな姿勢で戦いに挑み、硫黄島戦がどれほどの激戦だったか、そこで日本兵と海兵隊員がどう戦ってどう死んだのかはすごくよくわかる本です。
いい本だと思います。読んでよかった。読みやすいし、誰にでもオススメできます。とくに映画をみた方は是非読んでみてほしいかも。
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映画『父親たちの星条旗』の原作本。
読んでいてふと、数年前ホノルルのあるダイナーでみた風景を思い出した。場所はヒルトン・ハワイアン・ビレッジの近く、近所に米軍専用のハレ・コア・ホテルもあるフォート・デ・ラッシー公園の向かいの店だったと思う。時期は11月の初め、ちょうどVeterans' Day(退役軍人の日)の少し前だった。
ハワイに行った経験のある方はご存知かと思うが、当地を訪れるアメリカ人観光客には退役軍人やその家族も多い。その日の朝、パンケーキと卵料理の伝統的なアメリカの朝食を食べに店に入ったぐりと連れのテーブルの隣にも、それと思しき老人のグループがいた。
年のころは70代後半か80代くらいの男性ばかり4人組。ひとりは四肢が不自由らしく車椅子に寝そべった状態で、傍に座った男性が少しずつスプーンで食事を食べさせていた。
年齢からいえば、おそらく第二次世界大戦か朝鮮戦争に従軍した人たちだろう。日本では戦争にいったとわかる人たちの姿を直接目にすることはほとんどない。だからこそ日本は平和なのかもしれないし、戦後世代は戦争をずっと昔に終わったものとして関心の外へ追いやることができるのかもしれない。
だが実際に戦争にいった人たちにとってはそうはいかない。生き残った人には戦後の人生があるし、亡くなった人の遺族は家族を奪われた悲しみを一生背負うことになる。
ホノルルのダイナーで、ぐりは初めてそのことを実感した。
著者ジェイムズ・ブラッドリーの父にとっても、それは同じだった。
アメリカで最も有名な戦争の聖像─アイコン─に写っていたジョン・ブラッドリーが、家族に硫黄島での体験を語ることは生涯ほとんどなかった。彼は本心ではその体験を忘れたかったに違いない。覚えておくにはあまりにも苦しい体験だった。しかしさまざまな理由によってその記憶は彼を捕らえて放さなかった。そして彼は沈黙することによってその体験と自分を切り離そうとした。
この本には、彼のようなごくふつうのアメリカ市民が、どんな時代の、どんな町の、どんな夫婦の家に生まれ、どんな子ども時代を過ごし、どんな風に大きくなったか、どんな過程を経て軍に志願し、どんな訓練を受け、どんな前線で、どんな戦闘を経験し、どんな経緯で硫黄島に送られ、そこでどんな戦闘を行い、あの日どんな風に星条旗を掲揚したか、その後いつどんな攻撃を受けて死んだか、あるいはどう生き残って帰国したか、死んだ青年たちの家族がどうなったか、生きて帰った者は戦後どんな人生を送ったかが、ごくふつうのアメリカ市民の伝記として、実にいきいきと、あたたかくやさしい視線で、ひとりひとりにぴったりと寄り添うように描かれている。
ほんとうにほんとうに、彼らはごくふつうの、どこにでもいるアメリカの男の子だった。ぜんぜん特別じゃない、そこにいれば誰だってそうしたであろう行いの連続の結果、1945年2月23日の午後、擂鉢山の火口で星条旗を掲げることになった。
それだけのことだった。彼ら自身にとっては、すべてが偶然の産物だった。
ところがそこで撮られた写真がたまたま綺麗だったために、アメリカという国家によってそのイメージは必然に変えられてしまった。
当事者にとってはとくに意味もないなんでもない一瞬が、伝説になり神話となっていく過程も、この本には詳しく書かれている。戦争が国家事業であり、イメージがマスコミによって増殖し勝手に歪曲されていくというセオリーが手に取るようにわかる。本人たちにはなすすべもない。
この本のいちばんわかりやすいところは、それが第三者の一般論ではなく、また本人の体験談でもなく、その身内の手による調査として描かれているという側面だろう。戦争によって傷ついた父とその仲間たちを開放してやりたいという、肉親だからこそのいたわりの心が、この本を読みやすく、受け入れやすくしている。またブラッドリー氏自身が上智大学に留学し日本で暮らしていたという経歴が、太平洋戦争そのものを日米どちらかの視点に偏ることなく、あくまで前線の兵士たち同士の戦いという面に限定して描くことを成功させているような気がする。
ぐりがこの本を読んで最もショックを受けたのは、硫黄島戦の直前、1944年11月の総選挙の際、タラワで訓練中だった兵士たちには不在者投票が許可されたのだが、ほとんどの兵士は若すぎて選挙権を持っていなかったという一文だった。
選挙権もない、本来ならまだハイスクールに通ったり、父親の仕事を手伝ったりしているはずの男の子たち。休暇に酒を飲むことも出来ないほど若かった男の子たち。のちに国旗掲揚者になった6人のうちの数人は女の子とデートしたことすらなかった。
それほど彼らは若かったのだ。
また、この本には海兵隊の伝統とその文化、精神についても易しく書かれている。軍事的な知識のないぐりは『ジャーヘッド』を観ても原作を読んでも、なぜ海兵隊が“特別”なのかいまひとつぴんとこなかったのだが、この本を読んでやっとなんとなくわかるような気がした。
かといって急に海兵隊を含めた軍隊や戦争を賛美したりするキモチには絶対ならないけどね。当り前だけど。
とりあえず太平洋戦争が一体どんな戦いだったのか、そのとき日米両国がどんな姿勢で戦いに挑み、硫黄島戦がどれほどの激戦だったか、そこで日本兵と海兵隊員がどう戦ってどう死んだのかはすごくよくわかる本です。
いい本だと思います。読んでよかった。読みやすいし、誰にでもオススメできます。とくに映画をみた方は是非読んでみてほしいかも。
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