ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

桃島へ 大江山へ

2013年03月05日 | 百伝。
今日は、啓蟄。

最近は、頭を振るだけで、片方の目が痛くなります。

目が見える限り、身体が動ける限り・・ポックリを目指します。

お天気もよいので、息子の運転で、丹後の国まで出かけて参りました。

先に見える若狭富士の向こう側から、京都府舞鶴市になります。





舞鶴から、由良川を渡ると・・

右に行けば、桃島、宮津の天の橋立。

左に行けば、福知山の大江山。

・・丹後に入ります。

この地域は、元伊勢神宮、浦島神社の伝承多数有り・・面白いです。

大江山には、酒呑童子の鬼伝説もあります。

右に曲がりました。

山椒大夫屋敷跡です。



天の橋立を眺めながら、昼食です。





対岸まで、レンタルの自転車で渡りました。

途中に、日本名水百選のひとつ、磯清水です。

看板には「飲まないでください」と書かれています。

海に近いので「不味い」のか「大混雑」の予防の為か・・その意図が不明です。



以前、この水を飲んでみましたが・・百島の実家の井戸水の方が美味しかったです。



元伊勢篭(もといせこの)神社にもお参りです。



天照大神の孫が、祀られています。



伊勢に鎮座されるまえの50年間、国津神(各地域の氏神)の同意を得られないので、天照大神は、丹後にも鎮座されておりました。



千三百年の歴史伝承もありますが、とても新しくて、数年前に建て替えられたものです。

さて、時間が足りなくなり、大江山まで、足を伸ばすことはできませんでした。

今度の機会に、また・・です。

この丹後は、ミステリアスなドラマのように面白い地域です。

NHKの火曜ドラマも面白いです。

「いつか陽のあたる場所で」「書店員ミチルの身の上話」

おそらく、これが「桃島」なのでしょう。



桃島伝説です。


安土桃島時代

2013年03月05日 | 百伝。
随分昔、尾道市関連の古文書に「備後の国、桃島の北浦何某という者が、倭寇で活躍した」とあったのを記憶しています。

倭寇として活躍・・?

桃島という地名を、インターネットで探してみると、実に少ないのです。

志賀直哉も一時暮らした・・兵庫県の城崎温泉に桃島(ももしま)というのがありました。

それと、京都府宮津の天の橋立に行く途中に「桃島」という小さな岩礁のような島があります。

森鴎外の「安寿と厨子王」が捕らわれた・・山椒大夫の屋敷跡が、近くにあります。

石見の国の森鴎外は、尾道や百島界隈をよく知っていたのでは?・・という個人的な想いがあります。

さて、話が変わりますが・・安土桃山時代という時代区分があります。

現代の歴史専門家によれば、何故「桃山」なのか?・・と疑問符がつくそうです。

江戸時代になり、安土桃山時代の名がつき、教科書でも「安土桃山時代」と学びました。

織田信長が、最後に築いた安土城・・。

豊臣秀吉が、最後の築いた伏見城・・。

一説には、伏見城が崩壊したあとに、桃を植えたので、あの地域は、その後「桃山」になったそうです。

ならば、安土伏見時代や、安土大坂時代では?・・という専門家の意見です。

今では、織豊時代という呼び方もあります。

伏見は、不死身に通じます。

徳川にとって、織田も豊臣も不死身では、都合が悪いでしょう。

近くに流れる川は、宇治川・・近くには、この世の極楽浄土の平等院があります。

つまりは、宇治川は、桃源郷の近くに流れる三途の川を意味したのです。

安土桃山と名付けた方は、おそらく豪華絢爛を意味する安土城と桃源郷を重ねて「桃山」と名付けたのでしょう。

・・ならばです。

安土桃島時代でも、よかったのでは・・という個人的な想いです。

当時、百島は、桃島だったのかもしれません。