ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

日曜日あさいちばん

2013年04月07日 | 千伝。
今朝のラジオ番組・・ハプニングを聴くことができました。

今日は何の日?

平成6年の今日(4月6日)・・オリックス球団が、佐藤選手と鈴木選手の名簿登録に「パンチ」と「イチロー」というネームを申請したようです。

今から、19年前の「今日は何の日」でした。

その後、イチローは、世界のイチローになりました。

アジア大学から熊谷組、そして、プロに進んだパンチ佐藤は、もっと野球で、がんばってほしかったなぁ!

と、思い出していると・・。

和やかな、穏やかな朝のラジオ番組の雰囲気が一転して「えっ!」という状態になりました。

担当アナウンサーが、パートナーの女性アナを叱責している声が入ってきました。

「そこは、もっとゆっくり読まないと。時間が余っちゃうよ!」という注意指導。

聞き苦しかった部分を、あとで謝罪していましたが、アナウンサーの仕事も、野球選手の仕事も大変です。

高校時代、広島県の同年代のスパースターと言えば、夏の甲子園優勝を果たした広島商業野球部主将の金光選手でした。

・・広島カープに入った同期である達川捕手では、ありません。

金光選手・・その後、法政大学へ進学、同期に江川卓もいて黄金期を築く法政大学野球部主将にもなります。

卒業時、江川のドラフト問題の大騒動がありました。

その陰で、金光選手も、確か近鉄(現オリックス)から?ドラフト1位で指名されます。

しかし、金光選手はプロの道へ進まず、生涯、アマチュア野球を選びます。

その後のアマ野球界での華々しい活躍と経歴にも目を引きますが、法政大学野球部監督になってから、どうも大変です。

野球部員から「監督交代という嘆願書」騒動、山本浩二を含むOB会との対立から、とうとう監督辞任になったようです。

金光興二さん・・野球は、九回裏からです。

もう一度、広島県野球界のため、アマチュア野球界のためにも、名の通り、興して頑張ってほしいなぁ。

それから、パンチ佐藤・・今、何をしているのか?

頑張ってほしいなぁ。

日曜日朝いちばん・・百島を思い出す朝です。