ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

九十九里生まれの男

2013年04月19日 | 千伝。

今年は、もう散ったようですが、日本三大巨桜のひとつ、岐阜県の樹齢約1500年の根尾谷淡墨桜を見に行けたらよいかな・・と昨日、思いつきました。

運がよければ、郊外の池田町ルートで林道に入り、岐阜県側に入れるのですが・・残念。

この先は、積雪のために、まだ通行止めでした。

行き止まりの道・・。



それと、この付近、どうも殺気が漂っていて、エンジンを止めて、周りを心静かに見渡してみました。



すると、冬眠から目覚めた熊なのか、猪なのか・・遠くに黒い生き物が動いているのが見えました。

「落ちたら死ぬ」という道路標示の看板がある国道517号線よりも、この道の方が、まだ、マシかな・・?

・・と思いながら、Uターンです。

途中に、「かずら橋」があります。

この界隈は、渓流温泉冠荘という施設もあり、寛げる場所でもあります。





帰りがけに、日本の滝百選のひとつ・・福井県では唯一選ばれている「龍双ヶ滝(りゅうそうがたき)」に立ち寄りました。

頭上60メートルから、勢いよく水が滝となって落ちてきます。





今日は、地図の日・・伊能忠敬が55歳の時に、日本地図作成に出発した日。

その後、17年間・・日本中の道なき道を歩き廻りました。

人生50年と言われた江戸時代・・忠敬50歳の時、家業を全て長男に譲ります。

忠敬51歳で、当時の天文学の第一人者、32歳の高橋至時の門下生となるために江戸へ出ます。

幼い頃からの夢・・天文学を本格的に勉強する為です。

その後の伊能忠敬の活躍は、驚異的なものでした。



九十九里浜で生まれた伊能忠敬の生涯を思い浮かべます。