ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

V-day

2014年02月15日 | 易行難行修行
昨日は、V-day(バレンタインデイ)でした。

たくさんのチョコレートを頂きました。(ホント!)

今日は、そのチョコレートをかじりながら「凍りついた瞳」ささやななえ 椎名篤子原作・・という20年程昔に出版されたドキュメンタリー・コミックを読んでいました。

20年昔、この頃からセクハラやらストーカー、そして児童虐待という言葉や表現が、社会問題として大きく表面化され始めた時代だと記憶しています。

タイトルの「凍りついた瞳」とは、虐待された子どもが、表情を失った冷たい目を指す医学用語「凍りついた凝視」(Frozen watchfulness)から引用されたとのことです。

・・暗い気持ちになりますね。

一生涯、消えない心の闇となりますから、深刻な生活問題となります。

児童虐待ばかりではなく、イジメ問題もそうですが、人間は、どうしても・・いちばん弱い人間を標的にするようです。

犬や猿の世界にも「イジメ」は、存在します。

その際、人間という飼い主が、可愛い犬や猿を抱きかかえて、全力でイジメル相手から守ります。

人間世界も同じだと考えるのです。

イジメられる子は、イジメる子から、全力で逃げなさい。

全力で逃げる方法と闘う方法を考えなさい。

そして、親は・・我が子がイジメられているならば、親は全力で守らなければなりません。

イジメる相手に向かって「おまえら、これ以上イジメると、本気で殺すぞ」と言えるぐらいの親の捨て身の覚悟も必要です。

ところで、統計上、イジメっ子というのは、何故か・・余り長生きしていません。

だから、イジメられる子は、自殺など考えず、長いスパーンで物事を捉えて考えて生きて欲しいものです。

話を戻します。

「凍りついた瞳」の子供たち。

今回の読後感・・悲しいことは、子を守るべき親が、子を虐待しているという社会問題でした。

人間というのは、自分が弱いという立場をもっと強調した方が、よいかもしれません。

さて、V-dayも過ぎて、来月は、W-day(ホワイト・デイ)の御返しを忘れないように。

倍返しではありませんが、御返しです。

ぼくのような能天気な人間が、社会の弱者を支援できるのか?という自問もあります。

「どんと、コイ!!・・ありがとう。V-day!!」

自分に打ち克つこと・・Victory-dayです。

喝。