ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

自立問題

2014年02月25日 | 易行難行修行
今回の講義テーマは、「あるべき社会での贅沢な死」でした。

「贅沢な生き方」ならば・・あなたは、自立して生きていますか?

という思考アングルから踏み込んでいけます。

ますます超高齢少子化・貧困社会に突き進む日本・・この日本という国自体が自立していますか?

と、問いたくなりました!

もうあと10年ぐらい、「死」という日本社会の価値観が大きく変わるような気もします。

政府は、10年後を目安に、現在の在宅で看取りを人口比率2割程度を4割程度に上げたいようです。

根拠のない楽観世代と呼ばれる団塊の世代が、後期高齢者となる10年後・・誰が、何処で、面倒・介護、お世話をするのでしょうか?

根本的には、既に日本の家族力というものが崩壊しています。

在宅で死を迎えるというのは、夢の夢です。

と言うよりも、孤立無縁という儚ない死です。

2025年問題・・10年後の日本人の死という意識は、病院で迎える死が「贅沢な死」になっているはずです。

問題意識とは、何でしょう?

問題があるということは、どういう意味を持つのでしょう?

人間は、生まれてきた時点から、誰もが「生きていく問題」を抱えてきたのかもしれません。

今の生活、今の生き方に問題の無い人間は、きっと「贅沢な生き方」をしているのでしょう。

問題があれば、それを解決するための「理想の姿や風景」があるはずです。

その理想と問題のギャップを埋めてゆくのが、社会の営み、幸福への追求ではないかと考えるのです。

その曖昧な自立が、社会という福祉問題なのかもしれません。

・・つづく。