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龍馬の手紙

2014年04月13日 | 千伝。
江戸時代末期、薩長同盟、大政奉還の立役者と言われる坂本龍馬が暗殺される直前に、土佐藩の重臣後藤象二郎へ宛てた直筆の手紙の草稿が見つかったという「龍馬の手紙・・大発見」というニュース。

その手紙の内容は、大政奉還直後、暗殺される直前・・龍馬は大急ぎで福井まで行き、三岡八郎(後の由利公正)と会談、そして、新政府の財政担当者として、三岡八郎しかいないという進言・推薦を手紙に認めているとのこと。

坂本龍馬という人物は、手紙を書くことに非常に熱心で、その内容もユニークです。

龍馬は、二度、福井へ訪問しています。

初めて、福井を訪問した際、福井藩から五千両という大金を借用しているのです。
(当時の福井藩の年間予算額だとか、現在に換算すれば約11億円だとか・・よく判りません)

五千両という大金を手にした龍馬・・気も大きくなるはずです。

福井から京に戻った龍馬は、早速、土佐の姉に、あの有名な文面を書いた手紙を送っています。

「・・日本を洗濯せし候」。

今回、発見された手紙で、龍馬は「新政府の財政運営をどうするか、構想を練っていたとか、人を見る目があったとか」・・高い評価を受けています。

福井藩の立場から言わせていただくと、「龍馬は福井に大きな恩義がある」ということです。

五千両という借金を踏み倒した龍馬という人物を「福井が風雲児に育てた」ということです。

因みに、龍馬が推薦した三岡八郎という人物・・福井藩士時代は、橋本佐内と切磋琢磨。

なかなかのアイデアマンとして、藩の財政を担当、福井の醤油や生糸を集めて、長崎からヨーロッパに輸出しています。

莫大な利益を上げて、福井藩の財政を立て直しにも成功しています。

明治維新後、由利公正と名乗り、五箇条の御誓文を起草します。

その後、東京府知事として、銀座に煉瓦作りの建物を並べて、欧米並みの通りへと日本初の区画整理、現在に至る「世界に誇る銀座」の発展基盤を創出しました。

三岡八郎(のちの由利公正)・・我が家の近所から輩出しています。

福井の誉れです。

龍馬、最後の手紙の大発見・・大金五千両以上の価値があります。