ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島に問う。

2014年04月11日 | 百伝。
日本全国・・限界集落は、増加の一方です。

・・わが故郷の百島も然り。

いつのまにか、人が消えて、集落も消滅する現代の日本社会の縮図です。

総務省が、限界集落、過疎対策の一環として、支援員制度というものを導入しているとのこと。

支援員は、地域での意識調査、声掛け運動、農産物の販売、草刈り、行政とのパイプ役等・・その活動も幅広いとのこと。

また、総務省は、都市部から過疎地に移り住んで、農業や高齢者の生活支援をする「地域おこし協力隊」の派遣事業も展開しているとのこと。


(写真提供:百島ネットワーク)

目の前に見える百島から
カヤックを漕いで来る人がいる。
このカフェへ。
百島を眺めるために。
尾道・境ガ浜マリーナ内(カフェ・爽風Cafe)にて。

百島は、賑わいのある生活を求めるべきなのでしょうか?

百島は、静かなる安心生活を求めるべきなのでしょうか?

百島には、今後それぞれの異なる答えに応じる様々な人材・・キャプテン、ツトムさん、ハンダさんの各々の生き方(存在感)も必要となります。

百島の過疎問題は、日本の未来を問う最前線の問題でもあるのです。

今日の百島ニュースでした。

真面目な介護最前線

2014年04月11日 | 千伝。
桜前線・・今日は散るまえに足羽川の土手沿いを、けいりん場の桜並木まで散策して参りました。



散策しながら、昨日の院内会議の内容と今後の私案を考えていました。

それと、社会保障論・・次のテーマの課題文の草稿準備も考えていました。

・・社会保障とは、何だろう?

現在の日本社会の介護最前線の状況も説明すると・・ぼくの仕事の立場から説明します。

以前、昭和ヒトケタ生まれの方が、要介護状態になり入院患者さんも増えた・・と書いた記憶があります。

最近、昭和10年代生まれの方の要介護、入院患者さんが増え始めています。

考えていた以上の速いスピードでの増加です。

あと10年後の2025年問題・・即ち昭和20年代の団塊世代の要介護、入院患者さんも圧倒的に増えるという現実です。

まずは、とても気にかかるのが老々介護の大増加です。

その時点で、交通弱者となる身内、ご家族への配慮が必要なのです。

介護部署の責任者の立場として、「患者さんの洗濯物、ティシュ、おしりふき等の雑品は、ご家族自ら持参して頂きたい。そして訪問見舞い回数を増やして欲しい」という前提条件でのメッセージを発信して、お願いしているのですが、その約束事が崩れてゆく状態になっています。

まずは、身寄りとなる子供が県外の都会に暮らしていて、お世話をする若い身内の方がいないというケースが増えています。

そういう場合になると、逆にお願いされて、散髪を含めて、全て我々のサイドで用意、サービス提供となります。

ぼくの暮らす場所は、都市部と農村部の両方の生活面を垣間見ることが出来ます。

「他の施設、病院は、全部してくれたのに」という頼みごと、苦情が増えているのも事実です。

「洗濯物も持って帰れないのか?」と言いたくなる家族に限って、ほとんど来なくなります。

現代版の「姥捨て山状態」が、現実なのです。

「いくらでも金を出しますから、(すべてのサービス提供を)そちらでお願いできませんか?」という老々介護。

それが出来ない貧しい老々介護となると、・・ツライものがあります。

また、老々介護ではないけど、いつのまにか洗濯物も持ってこないで、着替えも何にも無い放置状態の患者さんもいます。

すべて、我々の貸出サービスです。

今まで、何十人もお見送りをしたので、「死」という別れが日常的にも鈍感になっているのも事実です。

でも、今の寝たきりの患者さん、要介護者の皆さん・・幸せかもしれません。

今は、ぎりぎり最低限の介護が保障されて、ちゃんとお見送りできるからです。

でも、十年後の日本の介護社会・・。

全く、ベッド数が足りないのです。

全く、介護従事者が足りないのです。

親の看取り、または70歳すぎての伴侶の看取り・・最後まで24時間在宅介護できますか?

365日間24時間体制の訪問介護従事、または、そのビジネスできますか?

・・誰がするのでしょうか?

誰もが介護されるという社会保障が済し崩しになる可能性が高い・・十年後の日本社会なのです。

足腰鍛えていないと・・自転車競輪場前の桜を愛でながら今日考えたことです。