ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島の潮干狩り

2014年04月22日 | 百伝。
潮干狩りという言葉は、郷愁があります。

でも、その郷愁にも制約があるようです。

ぼくの幼い頃の記憶です。

かつて、百島の人口が三千人近くいた頃、砂浜には、毎日毎日、多勢の人が、うじゃうじゃと貝(きゃぁ=あさり)を掘っていました。

貝が、百島の主食だったとは言いませんが、食の糧として重要な部分を占めていたようです。

毎日毎日、掘っても掘っても、貝は、うじゃうじゃと・・繁殖していた不思議な事実です。

そして、その百島の貝が、じつに美味かった。

かつてのシルバーオックスの創業者・西崎保三さんも、新春のテレビ番組の中で「百島の貝は、日本一美味しいんです」と言ってました。

ぼくの父も、百島の貝のことを同じように「日本一、美味しい」と言ってました。

ぼくも、子供の頃、食べた百島の貝は、非常に美味しかった・・という記憶があります。

おそらく、いまの百島の貝とは、別格の味覚が備わっているような気がします。

貝というのは、掘れば掘れほど、少なくなるのではなく、増えるという不思議な生態機能があるようです。

子供の頃、いつでも、どこの砂浜に行っても、貝を掘ることができました。

当時、百島漁業協同組合が制約したことがなく、自由に潮干狩りが出来ました。

百島漁業組合が、お隣りの浦崎漁業組合と合併して、「浦島漁業協同組合」になりました。

それ以降、百島の浜辺は、「浦島協同漁協の管理区域だから、潮干狩りは制約されている」とのこと。

つまり、漁業組合員の方以外の一般人の方は、自由に貝を掘ることが出来なくなっているようです。

今、百島で、漁業専従者は、いらっしゃるのでしょうか?

そう言えば、亡くなった叔父は、漁協組合員に登録しているとか言ってました。

貝は、掘らねば増えない、味もよくならないのに・・。

百島の浜辺なのに・・。

百島に暮らす人間が、浜辺のゴミ拾いをしているのに・・。

・・不思議です。

浦島漁業協同組合の方は、百島の浜辺で、どんな豊かな漁場作りをしているのでしょうか?

「漁協の管理区域」という権利の主張は、法律上、どこから生じているのでしょうか?

漁業組合員ならば、自由に潮干狩りが出来るのでしょうか?

では、漁業組合員になるのには、どんな手続きが必要なのでしょうか?

まさか、世襲制ではないと思うのですが・・。

百島では、週末芸術、週末農業は可能ですが、週末漁業も、週末林業も、可能になって欲しいものです。

週末(ウィークエンド)の過ごし方、百島の潮干狩りは、郷愁を感じます。

今日の百島ニュースの焦点でした。