百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

近江と遠江。

2020年08月19日 | 千伝。
琵琶湖を周回する湖岸道路(さざなみ街道)を行くと、この酷暑の炎天下にもかかわらず、腕捲りをしたライダーやサイクリストの多くとすれ違います。



賤ヶ岳中腹から、日本三大弁財天の竹生島を眺めます。



湖岸には、水遊びの集団、素っ裸で日光浴・・・真っ黒な肌は、火傷しないのかな?



若さという特権なのかな?

夏と冬の時季には、バイクに乗るのには、体力的にもちょっと無理な年齢になりました。



琵琶湖は、富士山周辺と同じような独特な地域性があります。

昔の人は、若狭近江、遠江駿河と、よく名付けたものです。



この夏、若い自営業の挑戦者の方と話す機会を得て思う事あり。

近江商人もいれば、遠江商人もいます。

顧客が百人いれば、大丈夫です。

顧客千人ならば、経営は安定です。

万人に顧客満足を与えるとなると、花火の打ち上げと似ています。


彦根市百々。

2020年08月19日 | 日本の百々巡り。

彦根市鳥居本町(旧百々村)まで参りました。

近江鉄道から数十M先には、東海道新幹線が走っており、同じ空間に異なる時間の流れ、速さを感じました。





この駅から数分歩けば、すぐ中山道。

猛暑で誰も歩いてはいませんが、かつて賑やかな中山道の宿場町の面影は、残っています。



鳥居本町の交流センターに立ち寄ると、高齢者ばかりが集まって二つ三つの麻雀卓を囲んで、賑やかでした。

百々(どど)の事、お訊きしたいのですが?

と尋ねると、高齢者の方々、一斉にあれやこれやと答えてくれるのです❗

中でも、百々さんという方が居られて、親切に教えてくださって感激ものでした。

町内には、今も百々という姓(苗字)を持つ家が、七、八軒あるとの事。

百々屋敷があった場所やら、この界隈には、百々山もあるとのこと。

かつて、百々氏は、佐和山城主として、この地の土豪まで成り上がったとのこと。

佐和山城のモノは、石田三成が敗れた関ヶ原の戦い以降、今の彦根城を築城する際、ほとんど活用されたとのこと。

僕から、瀬戸内海の越智氏から河野氏、河野氏から百々氏への簡単な系統系譜を説明をすると、もっと百々一党に歴史のスポットライトが当たってもよいのではないかと、共感して盛り上がりました。

さきに百々ありて、伊賀、甲賀、柳生です。

百々住宅家が、今、蕎麦屋さんになっているとのこと。

早速、訪ねてみました。

百が四つ、百百百百(どどもも)という蕎麦屋さんでした。



生憎の定休日でしたが、裏手の駐車場に車を止めると、お二人の方がいました❗

店長、店主かな?

鳥居本町に立ち寄った経緯を説明して、店内を見せてほしいとお願いすると、快く受けてくださいました。





この十割手打ち そば処 「百百百百」。

立ち入った事まで聞けませんでしたが、この屋敷を買い取り、昨年オープンしたばかり、とのこと。

若いご主人は、長野県から来られて、蕎麦屋を開業。

蕎麦を自分自身で畑で栽培されているとの事。

忙しい中、慌ただしく訪問したのに、親切丁寧に対応してくださり、感謝です。

先日、訪問した加賀市百々町のブーケも然り。

百の繋がりが、未来のどこに続くのかな?

百が、導くのかな?

帰り道、百々山に登ってみました。



低い山ですが、四駆以外の車で上がるのは、危険です。

百の繋がり、過去ではないね、未来への何かかもしれません。