ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

アンネ フランク (1929~1945)

2020年08月16日 | 空木宝剣
昨日 Eテレで、「アンネ フランク 時を越えるストーリー」を観る。

ホロコーストの時代にオランダは、アムステルダムの屋根裏に隠れ住み、13才からつけたアンネの日記。

架空の友人キティちゃんに、日常を吐露する形で綴られたとの事。

ペータは、兄妹と思っていたが、同居人という事だった。

戦争は悲劇であるが、多くの悲劇は、語られる事もなく過ぎ去って行く。

アンネも、日記を書いていなかったら、その存在が後世まで及ぶ事はなかっただろう。

驚いたのは、1945年当時16才だったという事。

戦後75年。

91才の母親と同い年という事に気付いた。

戦争を生き伸びた人には、「それからの物語」がある。

このコロナ禍。

ホロコーストの時代を生きた世代の、子や孫に対する警鐘かも知れない。

送り火。

2020年08月16日 | 千伝。
昨日、世界では対日勝利記念日。

日本は、終戦記念日。

終戦特集としての番組「明子のピアノ」「太陽の子」を観ていました。

広島、ヒロシマ。

政治、戦争指導者は、今も昔も、市井に生きる個人の感情よりも国体護持、自己保身の方が重大な関心事なのでしょう。

20代、30代の若者の戦死、自死は、社会の何かが歪んでいるのかもしれません。

「太陽の子」の番組最後に、遺作となった俳優三浦春馬さんの死を悼んだテロップが流れていました。

三浦春馬さん、軽い役が似合わない好い役者でした・・・合掌。

焚き火が趣味だと言っていた渡哲也さんも亡くなりました。

「大都会」「西部警察」、ライフル銃を持って撃ちまくる役を「いい歳をしたオッサンがね」と自分自身を揶揄していた渡哲也さん・・・好い役者さんでした。

20代の頃に暮らした調布市のアパート、歩いて数分の所に石原プロダクションがありました。

近所の畑を潰して出来た砂利の駐車場には、西部警察で使われていた特殊な車両や車がいっぱい駐車していました。

豪華というよりも、石原プロの直向きな経営状態に感心しました。

でも、石原裕次郎さんも、渡哲也さんも、ここを根城に踏ん張っているんだ・・・と、転職するならば、石原プロ・・・そう思いながら、マスコミの片隅で働いていた20代の頃を思い出します。

石原プロも解散するとのこと、寂しくなります。

ちなみに、石原裕次郎さんの母方のルーツは、広島県。

渡哲也さん、渡瀬恒彦さん兄弟、淡路島育ちですが、お父様は、広島県出身だとお喋っていました。

焚き火が趣味だった渡哲也さん、大好きな俳優さんでした。

家族葬のみ、送る会等無用とのこと。

法名を、故郷淡路島の寺より、すでに生前に用意してあったとのこと。

その生き方にも、教えられます。

送り火の日、ご冥福をお祈り申し上げます。