一昨日は、ヒロシマ原爆忌。
明日は、ナガサキ原爆忌。
原爆投下後、「これから75年間は、草木は生えないだろう」と言われて、75年目の今年。
しかし、草木はあっという間に生えました。
そして、この75年の間、核兵器も一万倍に威力増強、拡大増加。
ほんとうに、この75年間、草木が生えなかったならば、地球上のすべての核兵器は廃絶していたかもしれません。
今や地球上には、人類を地球文明を絶滅させるに十二分な約1万5000発の核兵器が存在しているとか❗
水爆級になると三発投下で、日本国全体が壊滅状態になるのです。
ここ数日間、海外メディアに投稿するコメントを読んでも、相も変わらず、原爆投下の背景説明やら非人道的な責任結果ばかりです。
戦争を終わらせるために投下、真珠湾攻撃を思い出せ、日本軍の残虐行為を思い出せ、大日本帝国の市民に全く責任は無いのか?
世界は、各々自分自身が正義だと考えているのです。
僕は、20代の頃に東京の日本原水爆被害者団体協議会(被団協東友会)や草の根の平和運動にも二世として参加していました。
ただ、活動部分のどこかで政治色が入るのが嫌で、離れて行きました。
平和とか福祉は、戦争の反対側に位置する人道主義を基本とします。
その人道主義の世界は、イジメ、経済貧困、病苦、自殺他殺、勝ち負け、勝者敗者、社会的弱者が存在してはならないのです。
例えば、人間の魂を安逸を求め、悲嘆を救うはずの宗教なのに、宗教戦争、宗教分派対立の争いがあります。
ナガサキに原爆が投下された翌日から毎日、長崎のクリスチャンは神に祈りを捧げたようです。
神様に、何を祈ったのでしょうね?
人間の非情への救いなのかな?
目の前には、神様は存在しませんが、想いの中に存在します。
想いも、祈りも、気持ちも、物質です。
物質だと考えると、神は存在することになります。
神様と悪魔も、ウィルスも然りです。
宗教と平和、戦争と平和、経済と平和・・・経営と雇用、暴力と非暴力、疫病と健康、吹きこぼれと落ちこぼれ、出しゃばりと引きこもり、男性と女性、多様性と同一性等々。
半沢直樹の倍返しだけでは、丸く収まらないのが社会の日常生活。
百倍の恩返しのような優しさも必要なのでしょう。
社会機能の維持には密接な潤滑油があってこそが、平和な日常生活のなのでしょう。
日常生活の維持は、時々非日常という役割(例が山へ海へ、ディズニーへUSJへ)も大切。
異日常という異文化への理解も含めてです。
ノーモア、ヒロシマ。
ノーモア、ナガサキ。
今年と来年は、防災学、平和学を学び直して、2年後から平和運動の活動従事したいかなぁ。
百倍の平和学は、譲り合いの優しさ沸騰点、尊いはずなのです。
明日は、ナガサキ原爆忌。
原爆投下後、「これから75年間は、草木は生えないだろう」と言われて、75年目の今年。
しかし、草木はあっという間に生えました。
そして、この75年の間、核兵器も一万倍に威力増強、拡大増加。
ほんとうに、この75年間、草木が生えなかったならば、地球上のすべての核兵器は廃絶していたかもしれません。
今や地球上には、人類を地球文明を絶滅させるに十二分な約1万5000発の核兵器が存在しているとか❗
水爆級になると三発投下で、日本国全体が壊滅状態になるのです。
ここ数日間、海外メディアに投稿するコメントを読んでも、相も変わらず、原爆投下の背景説明やら非人道的な責任結果ばかりです。
戦争を終わらせるために投下、真珠湾攻撃を思い出せ、日本軍の残虐行為を思い出せ、大日本帝国の市民に全く責任は無いのか?
世界は、各々自分自身が正義だと考えているのです。
僕は、20代の頃に東京の日本原水爆被害者団体協議会(被団協東友会)や草の根の平和運動にも二世として参加していました。
ただ、活動部分のどこかで政治色が入るのが嫌で、離れて行きました。
平和とか福祉は、戦争の反対側に位置する人道主義を基本とします。
その人道主義の世界は、イジメ、経済貧困、病苦、自殺他殺、勝ち負け、勝者敗者、社会的弱者が存在してはならないのです。
例えば、人間の魂を安逸を求め、悲嘆を救うはずの宗教なのに、宗教戦争、宗教分派対立の争いがあります。
ナガサキに原爆が投下された翌日から毎日、長崎のクリスチャンは神に祈りを捧げたようです。
神様に、何を祈ったのでしょうね?
人間の非情への救いなのかな?
目の前には、神様は存在しませんが、想いの中に存在します。
想いも、祈りも、気持ちも、物質です。
物質だと考えると、神は存在することになります。
神様と悪魔も、ウィルスも然りです。
宗教と平和、戦争と平和、経済と平和・・・経営と雇用、暴力と非暴力、疫病と健康、吹きこぼれと落ちこぼれ、出しゃばりと引きこもり、男性と女性、多様性と同一性等々。
半沢直樹の倍返しだけでは、丸く収まらないのが社会の日常生活。
百倍の恩返しのような優しさも必要なのでしょう。
社会機能の維持には密接な潤滑油があってこそが、平和な日常生活のなのでしょう。
日常生活の維持は、時々非日常という役割(例が山へ海へ、ディズニーへUSJへ)も大切。
異日常という異文化への理解も含めてです。
ノーモア、ヒロシマ。
ノーモア、ナガサキ。
今年と来年は、防災学、平和学を学び直して、2年後から平和運動の活動従事したいかなぁ。
百倍の平和学は、譲り合いの優しさ沸騰点、尊いはずなのです。