ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

津山市加茂町百々。

2020年11月09日 | 日本の百々巡り。

桃の国、晴れの国、岡山県の百々巡りをして参りました。

津山市、美咲町、そして、倉敷市玉島へ。



初めに、岡山県北東部に位置する津山市の百々(どうどう)まで出掛けて参りました。

中国自動車道津山IC で降りて、さらに北へ15~20キロほどの位置する加茂町(現、津山市)まで向かいました。



加茂町は、加茂川沿った美しい町でした。

地図を見ていると、やはり荒神山も青山もあります。

百々温泉の看板が見えたので、その指示通りに入ると、百々温泉は中原地区になっています。

その界隈をウロウロしていると、百々地区への道標を見つけました。



いつものように誰も歩いていないので、百々地区の集落をぐるりと廻って、二、三枚写真を撮って、次の美咲町の百々へ向かうつもりでした。



とりあえず、高い場所に上がって俯瞰するのがよいと考えて上がって行くと、一人百々地区の方が、偶然歩いていました。

お声掛けして、「日本中の「百」を巡るつもりです」と言うと、立ち話なのに盛り上がりました。



やはり、「百」への愛情に対して共感するのです。

この地域の会長も務めたこともあるという岡崎さん。

岡崎さんと・・・出会えて善かった!

僕が知る「百島」という地域性、歴史観、岡崎さんの「百々愛」と相通じるものがあるのです。

百という団結力、固い絆・・・そして、(隠れ砦の反対語の)隠さない砦、関所、軍の殿(しんがり)のような独特の歴史風土があるという共通認識です。

この百々には、源平の戦いの頃からの言い伝えが残っているとのこと。



寿永3年(1184年)、平敦盛を討ち取った源氏方の熊谷次郎直美、時に16か17歳の若武者だったとのこと。無常を感じた直美は出家して諸国を巡り、この地に立ち寄り、桜の杖を土に立てると根を張り、桜が咲いたとのこと。

・・・桃ではないのかなぁ?

別れ際に去ろうとすると、岡崎さんが一言。

「あの目に前にある山(日詰山)に、全国から人が来るんだよ」



よく聞いてみると、この百々出身で百歳まで生きた田中富三郎さんという方、大阪に出て財を成し、この百々から大阪に「サムハラ神社(現:西区立売堀)」を分祀、分霊したところ、現在は強力なパワースポットのような有名な存在地になっているとのこと。

岡崎さんのアドバイスの従い、帰り際、その奥の宮「サムハラ神社」に参詣しました。



吃驚仰天でした。

確かに、朝早くから、全国から参拝者が来られていました。

田中富三郎翁という伝説人物、サムハラ神社御参詣感想、等々は後日に。

別れ際、最後まで手を振ってくれた岡崎さんに感謝感激、拝。

さて次は、加茂町百々から、車で約1時間南下して、美咲町百々まで参りました。


百島愛。

2020年11月09日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
また、百島の宝が一つ消えました。

溢れる百島愛一筋だった藤田武士さんが亡くなられたとのこと。

藤田さんは、松下電器を退職後、故郷の百島に戻り、百島農園を立ち上げました。

ブランド化栽培として、瀬戸イチゴを世に出したのも藤田武士さん。

百島活性化の為の仕掛け作り、起爆剤となるような発想力、様々な活躍をされた藤田武士さん。

テレビ朝日の「人生の楽園」にも、ラジオにも出演されていたなぁ。

生前の藤田武志さんとは、一度もお話しをする機会がありませんでしたが、兄によると、父が元気だった頃には、我が家の実家にもよく遊びに来られていたとのこと。

藤田武志さんとの個人的な繋がりは、ほんのひと月ほど前に、Face book上で友達になったばかりでした。

百島のこと、百のこと、何もお話しできなかったことが、残念でなりません

昨日は、岡山県の百々巡りをしながら、こういう体験を藤田武士さんに直接伝えて、話してみたかったなぁ・・・と。

心より深く、ご冥福をお祈り申し上げます。

合掌