百歳間近の高齢者ご夫婦が施設で暮らしていました。
奥様は、若い頃に女学校に通っていたらしく、ちょっとした英語を使っていました。
サンキュウ、ヨンキュウ、ゴキュウ・・ヒャクキュウ、センキュウ、マンキュウと延々と同じ事を言っていました。
ありがとう、ありが十、ありがとう二十(はたち)・・という具合に、まったく想いが込もっていない「ありがとう」を連発する楽しい方でした。
今年早々、90歳半ばで逝きました。
その一方で、御主人は満百歳で寡黙な性格、毎朝新聞を読みます。
戦時中は、フィリピンに派兵されていたとの事。
偏屈そうな御主人からは一度も「ありがとう」という言葉を聞いた事もなく感謝の一言もありません。
つまり、「ありがとう」を言わない人間の方が精神的にストレスも少なく、人間関係上優位になるのではないか?と考えてしまうのです。
でも「想いが込もっていなくてもアリガトウ」を連発した方が、人生の晩年まで楽しいかもしれません。
アリガトウの軽快さです。
怨みつらみ憎しみを残して逝く人生は辛く、ハッピーエンドではありません。
戦争は罪です、だから反対します。
奥様が亡くなったあと、百歳の御主人はイッキに弱気になって泣いていました。
奥様の四十九日の日、百歳の御主人も逝ってしまいました。
合掌
昔からの言い伝えは、正しかったです。
今まで言ったこともない「ありがとう」「おおきぃにぃ」と言います。
人間、死期が近づくと、素直に「大きに有り難う」、全てに感謝したくなるのかもしれません。
百歳の寿命を全うした御主人も「ありがとう」の言葉を最後に多く残して黄泉の国に旅立ちました。
アリガトウの重みです。
テンキュウ。
感謝。