昨日の新聞コラムのほとんどが、「鉄の女」と呼ばれた英国のサッチャー元首相を悼むものでした。
「英国を救った」とも称賛される一方で、「貧富の格差を拡げた」とも批判されるサッチャー氏の生涯です。
サッチャー政権末期に、英国に滞在した時間は、よい意味で振り返れば、「生きる楽しみ方を学んだ」体験でした。
当時のサッチャー氏は、日が昇る勢いの日本経済の成功や日本人の勤勉さを、よく称賛していました。
でも、あの頃の日本の社会風潮のテーマは、「働きすぎから、もっと休もう。日本」だったと思います。
サッチャー氏の語り口は、「まるで、小学校の先生が児童に語りかけるようなものだ」と、当時、お世話になった英国人の方が言っていた事を思い出します。
「政府が社会を富ませるものではなく、民間の企業や人が社会を富ませる」というのが、サッチャー氏の持論でした。
だから、小さな政府と国有企業の民営化でした。
市場原理の競争のうえで、正当に報われる社会が理想の姿だったのでしょう。
鉄の女は、英国病という「揺りかごから墓場まで」の高福祉政策をも切り捨てました。
家庭の貧富収入の格差関係無く、家族の構成人員を基本とした人頭税という税収政策に踏み込みます。
ロンドンで、反サッチャー政権への暴動デモが頻発します。
英国病蔓延と言われた英国社会・・。
不思議だったのは・・、
犬や猫や・・ペットが多かったこと!
家庭に洗濯機が無いのかと思うぐらい、街の中にコイン・ランドリーが多かったこと!
スーパーマーケットのレジは、既に商品にバーコードがあり、それを通すだけで自動的に金額が計算清算されていました。
・・計算が苦手なのか? 手先の指が不器用なのか?・・と考えていました。
何故なら、当時の日本は、まだレジで金額の値段を指先で打っていましたから。
クレジットカードを使用している多くの英国人、テイク・アウトのお店、冷凍食品専門店もいっぱい多かったです。
・・これも英国病という、ちょっと怠けた横着かな?というイメージがありました。
思い出せば、まだまだ何か「遅れている英国病の現実」というものを勘違いしていたものが多くあります。
当時の遅れていると考えた英国社会のシステムが、進んでいると考えた日本社会に、あとあと続々と入り込んできます。
今では、ペットも多い、日本のあっちこっちにコインランドリーがあります。
独り暮らしや、高齢者の居る家庭の洗濯物を区別するのに必要な存在なのかもしれません。
レジのバーコード導入も、今の日本では、当り前になりました。
持ち帰りのtake outも、冷凍食品も当り前の時代になりました。
映画批評もそうでした。
「東京物語」の小津安二郎監督のよさを、日本人よりも、多数の英国人の方が、早く理解していました。
東の果ての島国日本と、西の果ての島国英国は、鏡とは言いません。
そんなふうに映りません。
恋愛という自愛、幽霊という他愛のような関係に思えるのです。
今思うと「英国病」は、「余裕(ゆとり)病」ではなかったのかと・・?
今の日本は、景気の経済政策よりも福祉の政策を優先しないと、「ゆとり」の無い経済優先の貧富格差社会になると考えます。
英国や日本という国家やら一定の地域が、豊かになっても・・どうかと思います。
その国の国民、その地域に暮らす住民が、豊かで、ゆとりある生活にならないと・・話になりません。
これまた、恋愛と幽霊を相手にするような不安だらけの未来ですが、未来は、ゆとりのある希望です。
「英国を救った」とも称賛される一方で、「貧富の格差を拡げた」とも批判されるサッチャー氏の生涯です。
サッチャー政権末期に、英国に滞在した時間は、よい意味で振り返れば、「生きる楽しみ方を学んだ」体験でした。
当時のサッチャー氏は、日が昇る勢いの日本経済の成功や日本人の勤勉さを、よく称賛していました。
でも、あの頃の日本の社会風潮のテーマは、「働きすぎから、もっと休もう。日本」だったと思います。
サッチャー氏の語り口は、「まるで、小学校の先生が児童に語りかけるようなものだ」と、当時、お世話になった英国人の方が言っていた事を思い出します。
「政府が社会を富ませるものではなく、民間の企業や人が社会を富ませる」というのが、サッチャー氏の持論でした。
だから、小さな政府と国有企業の民営化でした。
市場原理の競争のうえで、正当に報われる社会が理想の姿だったのでしょう。
鉄の女は、英国病という「揺りかごから墓場まで」の高福祉政策をも切り捨てました。
家庭の貧富収入の格差関係無く、家族の構成人員を基本とした人頭税という税収政策に踏み込みます。
ロンドンで、反サッチャー政権への暴動デモが頻発します。
英国病蔓延と言われた英国社会・・。
不思議だったのは・・、
犬や猫や・・ペットが多かったこと!
家庭に洗濯機が無いのかと思うぐらい、街の中にコイン・ランドリーが多かったこと!
スーパーマーケットのレジは、既に商品にバーコードがあり、それを通すだけで自動的に金額が計算清算されていました。
・・計算が苦手なのか? 手先の指が不器用なのか?・・と考えていました。
何故なら、当時の日本は、まだレジで金額の値段を指先で打っていましたから。
クレジットカードを使用している多くの英国人、テイク・アウトのお店、冷凍食品専門店もいっぱい多かったです。
・・これも英国病という、ちょっと怠けた横着かな?というイメージがありました。
思い出せば、まだまだ何か「遅れている英国病の現実」というものを勘違いしていたものが多くあります。
当時の遅れていると考えた英国社会のシステムが、進んでいると考えた日本社会に、あとあと続々と入り込んできます。
今では、ペットも多い、日本のあっちこっちにコインランドリーがあります。
独り暮らしや、高齢者の居る家庭の洗濯物を区別するのに必要な存在なのかもしれません。
レジのバーコード導入も、今の日本では、当り前になりました。
持ち帰りのtake outも、冷凍食品も当り前の時代になりました。
映画批評もそうでした。
「東京物語」の小津安二郎監督のよさを、日本人よりも、多数の英国人の方が、早く理解していました。
東の果ての島国日本と、西の果ての島国英国は、鏡とは言いません。
そんなふうに映りません。
恋愛という自愛、幽霊という他愛のような関係に思えるのです。
今思うと「英国病」は、「余裕(ゆとり)病」ではなかったのかと・・?
今の日本は、景気の経済政策よりも福祉の政策を優先しないと、「ゆとり」の無い経済優先の貧富格差社会になると考えます。
英国や日本という国家やら一定の地域が、豊かになっても・・どうかと思います。
その国の国民、その地域に暮らす住民が、豊かで、ゆとりある生活にならないと・・話になりません。
これまた、恋愛と幽霊を相手にするような不安だらけの未来ですが、未来は、ゆとりのある希望です。
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