ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百々(どど)橋。

2013年01月27日 | 日本の百々巡り。

百島、もしくは百島内の地名を付けた人物は、どんな方だったのか想像を巡らしています。

例えば、百島の桂川、十文字山等々・・これは、すべて京都にある地名なのです。

相当、京の街や歴史を知らないと、名付けられません。

赤松一族が百島へ逃げ延びる切っ掛けとなった嘉吉の乱が無ければ、応仁の乱もなく、それに続く戦国時代もなかったはずです。

当然、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も歴史の表舞台には、登場しなかったでしょう。

歴史は、ほんのちょっとした切っ掛けで、大きく流れが変わるものです。

過去に学び、現在を生き、未来に希望の橋や夢を膨らませます。

百々橋・・十年にも及ぶ応仁の乱の戦いが始まる時に、東軍と西軍が対峙した京にあった橋です。



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