百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

捕虜時代(俘虜生活) 7 ~タピオカと船員募集~

2010年09月03日 | 人生航海
俘虜の生活と言っても、敗戦の兵としての扱われ方が良かったなのかもしれない。

ましてや、私は高熱の病におかされて苦しい時もあったが、「災いが転じて福」となった。

自分勝手な言い分かもしれないが、強い運勢に助けられたと思うのである。

そんな事を思うと、何とか生き延びてこられたのが不思議なのである。

そんな頃である。

或る現地人が、戦争中に日本軍のお陰で、事業が成功した恩返しにと・・タピオカ芋を植えた大きな畑を、そのまま私達俘虜に提供してくれたのである。

各部隊は大喜びで、交代で掘りに行くように決めた。

タピオカ芋は、日本の桑の木のようにみえ、その根は山芋に似ているが、中身は全く違って白く、蒸して食べれば、とても美味く、主食代わりにもなった。

それ以後、食べることにも困らず、皆から大変喜ばれたのである。

その頃は、まだ敗戦の惨めさの中では帰国のことなど、ある程度の諦めもあったことは事実である。

しかし、その後何ヶ月か過ぎた頃に部隊からの通達があった。

「アメリカの復員船リバテーの乗組員を募集するので、応募する者は誰かいないか?」と聞かれたのである。

私は、早速、希望して書類に必要事項を記載して提出した。

あとで分かった事であるが、その時のリバテーの船員募集の理由と目的の本位は、乗組員の募集ではなく、一人でも多く復員させるためであったらしい。

私が、元船員であった事は、誰もが知っていたし、部隊内では、他に船員の経験者は誰もいなかった。

そこで病気等も考慮されて、私が一番適当だということになったのであろう。

部隊の中で、私一人だけが採用される事になったのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿