「えっ、聞いたことある名前だな」
その日は出勤の支度をしながら、テレビから流れてくる朝のニュースを聞くとはなしに聞いていました。
テレビの音声から聞こえてきたその名前は、まさしく私の知人と同じでした。
写真は、1985年10月19日(土)に一ノ倉沢を訪れた際に撮影した画像です。
例のごとく、ネガフィルムをデジタル化したものです。
一ノ倉沢というと、ロッククライミングの聖地と言われています。
でも、かつては遭難者発生のニュースを聞かない年はないくらいの犠牲者を出していました。
聞くところによると、今まで800名以上の犠牲者をだしてきた山です、したがって聖地でもあり、魔の山でもあるわけです。
上の写真は、まさしくこれから一ノ倉沢方面に登山するように見える人たちが写っています。
その部分を切り出したのが、下の1枚目です。
観光気分で岩場を歩いている人もいれば、リュックを背負ってこれから登山にでかけるような人もいます。
下の2枚めは、同じところを少し離れたところから撮影しています。
人物部分を切り出したのが一番下の画像ですが、こちらに写っている人たちは一ノ倉沢を眺めている感じです。
フィルムの解像度は1,000万画素程度と言われています、その一部分を切り出すと人の姿がはっきりと分かります。
普及品のネガフィルム、一眼レフに普及品のズームレンズで撮影したのですが、以外な解像度に驚きました。
今のデジタル一眼レフカメラで撮影すれば、もっと凄く解像するのでしょうが、30年以上前のフィルムの能力も捨てたものではありませんね。
聞こえてきた朝のニュースは、一ノ倉沢で発生した遭難でした。
遭難者の名前は、私の知人と同じだったんです。
当時、私は新潟市へ転勤してきたばかりでしたが、知人とは転勤前に勤めていた事務所で一緒でした。
しかも同い年、いわゆる同期の桜というやつです、彼はかつてヒマラヤ遠征までした経験豊かなクライマーでした。
慌てて以前勤めていた事務所の知り合いへ電話を入れて確認しました、結果は本人でした。
この日は霧が多くてヘリを飛ばせなくて、結局翌日ヘリで遺体を収容したと聞きました。
つい半年前までは、同期会で一緒に飲んでいたのに、人の運命は本当に分からないものだと、思い知らされました。
その日は1988年10月14日(金)、30年経過しても一ノ倉沢と聞くたびに真っ先に思い浮かぶ記憶です。
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