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サイケおやじの生活と音楽

バンド・オブ・ジプシーズの切実:番外篇

2016-11-15 18:26:14 | Jimi Hendrix
ジミ・ヘンドリクス / Buddy Miles (Mercury / 日本フォノグラム)
 
バンド・オブ・ジプシーズが当初、イマイチ賛同を得られなかったのは、おそらくはバディ・マイスルのドラミングに要因があったと思われます。
 
なにしろジミ・ヘンドリクス=ジミヘンが大ブレイクした時のバンド、つまりエクスペリエンスにはミッチ・ミッチェルという、非常に手数と足数(?)の多いドラマーが在籍し、ジミヘンの激烈なギターに一歩も引かない豪放なスタイルで敲きまくっていたのですから、それがジミヘンという全く新しいロックの提供者にはジャストミートだったという印象は、その虜になったファンにとって、簡単に打ち消せるものではありません。
 
極言すれば、ノエル・レディングの影が薄くなるほどに強いエクスペリエンスの存在感は、ジミヘンとミッチ・ミッチェルの対決が主軸であり、それがバンド・オブ・ジプシーズになって、シンブルな8ビートを主体にプレイするバディ・マイルスがドラマーの座にあったのでは、ジミヘンのギターには満足させられても、バンド全体から発散される「ジミヘンの音楽」には違和感を覚えて当然だと思います。
 
もちろん、ジミヘンがエクスペリエンスよりも新しいスタイルを追求提示するためにバンド・オブ・ジプシーズを始めた事は間違いではなく、それにファンやリスナーがついていけなかったという、些か意地悪な結果がバンド・オブ・ジプシーズの不人気(?)に繋がったような気がしています。
 
しかもバンド・オブ・ジプシーズが本当に短命で、バディ・マイルスが直ぐに抜けてしまった後には再びミッチ・ミッチェルが帰参しての所謂ニュー・エクスペリエンスが始動し、ジミヘンの最期まで世界中を熱狂させたのですから、またまたの賛否両論が!?
 
う~ん、それじゃ~、バディ・マイルスは悪者扱いかっ!?
 
という声がはっきり聞こえてしまいますねぇ……。
 
しかし、サイケおやじは決してそんなふうには思っていません。
 
むしろ最初はジミヘンに対しての相性に面白味が無いと感じたバディ・マイルスのドラミングが、実はそのシンプルさゆえにジミヘンのギターが尚更に自由度の高いプレイに向かっていたんじゃ~なかろうか?
 
それを勘違いと言われれば、認めざるをえませんが、後に様々公にされていくバンド・オブ・ジプシーズの殊更ライブ音源では、ヨレずにタイトなリズムとビートを打ってくるバディ・マイルスの存在が、本当に自由闊達、そしてグリグリにソリッドなジミヘンのギターを支えているんじゃ~ないでしょうか。
 
ところでジミヘンとバディ・マイルスの接点としては、ジミヘンがエクスペリエンスを率いてアメリカに凱旋帰国のライブステージとなった1967年夏のモンタレー・ポップ・フェスに、同じく出演したのがバディ・マイルスが在籍するエレクトリック・フラッグという因縁(?)があります。
 
で、このエレクトリック・フラッグはバターフィールド・ブルース・バンドを辞めたマイク・ブルームフィールド(g) が結成した、ホーンセクションも含む白黒人種混成という、なかなか当時のアメリカとしては珍しかったと云われるグループで、そのデビューが前述した1967年夏のモンタレー・ポップ・フェスでしたから、同じ黒人でありながら、ロックをやるジミヘンとバディ・マイルスが意気投合しても不思議では無い雰囲気があったのかもしれません。
 
また、バディ・マイルスは十代でプロの世界に入った天才児であったそうですし、ジミヘンにしても駆出し時代はR&Bスタアのバックバンドで活動していたのですから、そんなサーキットで既に知り合いだったという推察も可能でしょうか。
 
ちなみにバディ・マイルスとマイク・ブルームフィールドの接点について、またエレクトリック・フラッグについても、何れ追々に書かせていただきますが、とにかくサイケおやじが重要と思うのが、ジミヘンもバディ・マイルスも、ロックという白人音楽をやって売れたという事です。
 
それは当時の映像等々でも確認出来るように、ジミヘンのライブの観客は大部分が白人層であり、またバディ・マイルスにしても、エレクトリック・フラッグが潰れた直後の1968年秋に自ら結成した新バンドのバディ・マイルス・エクスプレスが、やはり同様にブラスロックを志向していたという事実もあり、それならばもっと黒人にもロックを楽しめるようにしたいというよりも、所謂ファンキーロックを目指していたようにも思います。
 
さて、そこで本日掲載したのは1970年に製作された、そのA面には何とも大仰な邦題が附されたバディ・マイルスのシングル盤なんですが、原曲「Runaway Child」は自身のリーダーアルバム「リヴ・トゥギャザー / We Got To Live Togetjer」の中の1曲で、折しもレコーディング中にジミヘンの訃報に接したバディ・マイルスがあえて追悼の意を表したとされる逸話があるそうで、しかし楽曲そのものは典型的なソウルミュージックなもんですから、それほどバンド・オブ・ジプシーズ的なサウンドではありませんので、誇大表示という疑惑も!?
 
実際、最初に針を落とした時のサイケおやじは、なんじゃ~、こりゃ~!?
 
と、すっかり松田優作状態になったほどです。
 
でも、まあ、いいか♪♪~♪
 
それを微笑ましく許せるのも、バディ・マイルスのビシッとキマったドラミングとソウルフルな歌声、熱い節回しがあればこそです。
 
ということで、本日も独り善がりに徹してしまい、申し訳ございません。
 
しかし、最初はピンッとこなかったバンド・オブ・ジプシーズが今はすっかり好きになっているのは、どうやらバディ・マイルスの存在にあると思うのがサイケおやじの偽りの無い気持ちであります。
 
……続く。
コメント
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