OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

The Beatles Get Back To Let It Be:其の拾六

2020-09-09 17:28:43 | Beatles

1970年12月、欧米では誰も知らなかったビートルズのアルバムが凄い勢いで売れていました。それが「KUM BACK」という海賊盤(通称:ブート)で、それには幻となったアルバム「ゲット・バック」からの音源が収録されていたのです。

ここで述べる海賊盤(通称:ブート)と云うのは非合法レコードの事で、いくら売れてもミュージシャン側には一銭も入らないという迷惑極まりないものですが、それが生まれるのは、やはりマニアの情熱によるところが大きく、その存在自体も、20世紀初頭から確認されております。

海賊盤(通称:ブート)については、いずれ別項を設けて詳しく取上げる予定ですので、とりあえずここでは簡単に言うと、大きく分けて次の3項目に分類されるのが定説です。


●カウンターフィット盤(Counterfiet Recordings)
 正規のレコード盤を完全コピーして廉価で販売しているもので、ジャケット、内容、カタログ番号までもがそっくりそのまんま、複製されている違法商品です。ビートルズに関しては初期音源が、アメリカではキャピトルが契約を握るまでに弱小レーベルで販売されていたので、そこから出されたアルバムやシングル盤は大変貴重であり、そのマニア性から、こういう完全コピー盤が出回りました。

●パイレート盤(Pirate Recordings)
 これも正規盤レコードから針落とし、あるいは正規版音楽テープからのコピーで作られますが、ジャケットやレーベルはオリジナルの物が多く、またその内容も、ビートルズの場合ばファンクラブ用に配付したクリスマスレコードや、各国でオフィシャル音源として発売されながら、英国オリジナル盤とはミックスや収録時間等が微妙に違う曲が主に用いられます。

●ブートレグ盤(Bootleg Recordings)
 これが一般には海賊盤(通称:ブート)と呼ばれる種類のブツです。内容はコンサートのライブ音源、テレビやラジオ出演時の音源、あるいは未発表スタジオ音源、デモテープ製作時の私的な簡易レコーディングや練習音源等々が用いられます。これらは正規音源に比べると音質的にも劣る場合がほとんどですが、最もマニア心を刺激するのが、これです。


で、問題の「KUM BACK」は3番目のブートレグ盤に相当するもので、オリジナル盤はイギリス製ともカナダ製とも云われており、1969年末から出回っていたという説もありますが、それは忽ち売り切れてしまい、直ぐに再発盤・コピー盤が出回りました。

その体裁は、レコードを入れる白いボール紙製ジャケットにタイトルだけがスタンプ押しされていたり、ありがちなグループショットの写真や曲目等を入れた印刷物を貼り付けたブツが一般的です。この「KUM BACK」はコピー盤を含めて、その当時だけでおよそ20以上の業者が作ったと云われており、その他に同内容でジャケット違いの物が数多く存在します。

で、肝心の内容は以下のような曲が収録されておりました。


A-1 Get Back
 基本的にはアルバム「レット・イット・ピー」収録と同じバージョンですが、最期のお喋りはカットされています。

A-2 Can He Walk
 アメリカのブルース・シンガー=ジミー・マクラクリンが1958年に大ヒットさせた曲「The Walk」の一部分が短く収録されています。これは後にポールの 2ndソロアルバム「ラム」に「3 Legs」として改変され、収録されました。

A-3 Let IT Be
 この時点までに発売されてきた公式シングル盤、及びアルバム収録のバージョンとは歌詞を一部違えて歌っており、スタートにはカウントも入っています。おそらくテイク違いと思われます。もちろんブラスやコーラスも入っていません。

A-4 Teddy Boy
 「7」で既に触れたように、ジョージ・マーティンのプロデュースにより、1969年夏に発売予定とされた「ゲット・バック」、あるいは「レット・イット・ビー:Let It Be and 10 other songs」と題されたアルバムの収録曲として曲名が発表されたトラックのひとつです。
 作者はポールで、結局はボツになりましたが、後に自身のソロアルバム「マッカートニー」に改変版が収録されました。一方、ビートルズによる演奏は後に「アンソロジー3」に収録されましたが、それは再編集されたトラックの様です。

A-5 Two Of Us
 1969年1月24日に録音されましたが、同日録音の「アンソロジー3」のテイクとは完全に別物です。ここではスタートを2回やり直している会話とイントロの部分を注ぎ足して、ライブっぽい雰囲気を作っております。

B-1 Don't Let Me Down
 シングル盤で発表されたバージョンとは違うテイクで、後の資料から1969年1月22日に録音され、おそらくはグリン・ジョンズが採用しようとしていたのが、これです。

B-2 I've Got A Felling
 「アンソロジー3」と同じテイクで、録音は1969年1月23日です。

B-3 The Long And Winding Road
 後に「アンソロジー3」で正式に発表されたバージョンと同じでしょう。すなわちアルバム「レット・イット・ビー」に収録された大改装バージョンから、オーケストラ等の装飾を取り払ったものです。ポールのボーカルには、そこで聴く事の出来なかったパートもあり、シンプルな演奏は聴くほどに味わいが深くなる様に思います。
 ちなみに、これは映画に用いられたバージョンとも違う、1969年1月26日の演奏です。

B-4 For You Blue
 1969年1月25日に幾つか録音されたテイクのひとつですが、途中でフェード・アウトされております。

B-5 I Dig A Pony
 1969年1月23日に録音されたテイクで、アルバム「レット・イット・ビー」や「アンソロジー3」とは別物です。
 ちなみに「レット・イット・ピー」には1969年1月30日録音の屋上ライブバージョン、「アンソロジー3」には、1969年1月22日録音のテイクが使用されました。

B-6 Get Back(Medley)
 シングル盤とも、アルバム「レット・イット・ビー」収録のバージョンとも違うテイクです。
 出だしを間違えてやり直す雰囲気が入っており、ビリー・プレストンのエレピは相変わらずファンキーでカッコイイ! 曲タイトルの後に(Medley)とあるように、曲の終わりに「I've Got A Felling」のイントロと、よく分からない音が繋がっております。


このアルバムの一番のウリは、冒頭で既に述べた様に、結局は未発表に終わったビートルズの幻のアルバムからの音源という真実(?)で、それは生演奏の雰囲気を大切にするという、所期の目的に従ってグリン・ジョンズが仕上げたマスター・テープ!?

つまりは正規盤「レット・イット・ビー」で施されていた装飾の無い、ある種のオリジナルの音が聴ける事でした。中でも「The Long And Winding Road」に関しては、フィル・スペクターによってダビングされたオーケストラ&コーラスについてポールが異議を唱えていた事から、それではポールが意図していた完成形は? 

という部分に、一番の注目が集っていたと思います。

サイケおやじが、このブート盤LPを初めて聴いたのは、1972年になってからでした。

その頃には、この「KUM BACK」の存在は有名になっており、収録曲に関する情報にしても、かなり知ってはいたのですが、それでも初めて聴いた時の驚きは大きく、それが何時しか、ある種の感動に繋がりました。

もちろん非合法レコードですから、盤質そのものが粗悪な塩化ビニールで作られ、音も正規盤より悪く、ジャケットに「ステレオ」の表示があるにもかかわらず、全曲モノラル収録になっておりました。

しかし、そこから再生される「音」には不思議な迫力がありました。

サイケおやじが、あっ、イイなっ!

と、思ったのは、まずその部分でした。

それがつまり、グリン・ジョンズの「音」だったのです。

ビートルズが、というよりも、ポールが最初に目指していたのは、この「音」の雰囲気、ライブの迫力が感じられる「音」だったのではないでしょうか?

グリン・ジョンズは「其の五」でも触れたとおり、この頃までに所謂ロックの名盤・名曲の製作に数多く関わってきておりました。それらが名盤・名曲と評価されたのも、グリン・ジョンズの作り出す「音」があったからではないでしょうか? 例えば同時代の「トラフィック(2nd)/ トラフィック(1968年)」「レッド・ツェッペリン(1st)/ レッド・ツェッペリン(1969年)」「レオン・ラッセル(1st)/ レオン・ラッセル(1970年)」、あるいは後年の「ステッキィ・フィンガース / ローリング・ストーズ(1971年)」「フーズ・ネクスト / ザ・フー(1971年)」等々のアルバムに入れらていた「音」を聴いていただければ、生音感覚を大切にしながらも、エッジのはっきりした音作りの迫力や素晴らしさをご理解いただけるかと思います。

一方、フィル・スペクターが「レット・イット・ビー」で作り出した「音」は、奥行きや膨らみはありましたが、すでに同時代の「音」、つまり「ロックの音」では無かったと、サイケおやじは思います。中には「Let IT Be」の様に、かなりイケてるトラックもあったのですが……。

で、それを証明するかの如き出来事が、この当時発生しております。

それはエリック・クラプトンの新バンドであったデレク&ドミノスのデビューシングル盤「Tell The Truth c/w Roll It Over」の回収事件でした。

この2曲は、エリック・クラプトンが率いるデレク&ドミノスのメンバーが当時、フィル・スペクターのプロデュースで進められていたジョージのソロアルバム「オール・シングス・マスト・パス」の録音に揃って参加していた流れから、フィル・スペクターにプロデュースされたものでしたが、結局メンバー全員が意図した「音」が出ていないという事で、1970年9月の発売直後に店頭から回収されたのです。

それでも「Tell The Truth」だけは、1972年にエリック・クラプトンのオムニバス盤「エリック・クラプトンの歴史」に収録されたので聴く事が出来たものの、やたらにエコーばかりが強い、モヤモヤした演奏になっていました。

そして、この2曲は、1970年末に発表されたデレク&ドミノスのアルバム「レイラ」で再演されますが、そこで聴くことが出来るバージョンはテンポが落とされ、アナログ独特のモコモコした響きにはなっているものの、芯がはっきりとある、実に野太い雰囲気になっていましたので、機会があれば皆様には、ぜひとも聴き比べていただきとうございます。

ちなみに、このアルバム・バージョンのプロデュースはトム・ダウトとデレク&ドミノスでした。

また、この問題の2曲は、1988年に発売されたエリック・クラプトンのアンソロジー「クロスロード」にも収録されましたが、それはミックスをやり直したバージョンになっていた事からも、そのあたりの事情がうかがえると思います。

しかし、この時製作されていたジョージの「オール・シングス・マスト・パス」が、今日でも非常な名盤である事に変わりはありません。

それは極言すると、こ~した出来事をきっかけにして、フィル・スペクターが同時代の「音」を意識したに違いないからだと思います。それまでにフィル・スペクターが確立し、多大な評価を得ていた「フィル・スペクターの音」=「ウォール・オブ・サウンド / 音の壁」の特徴は、同じ楽器奏者を複数起用し、大人数で一斉に演奏させることによって生じる微妙なズレを、思い切ったエコーをかけて増幅させる事から生み出されるスタイルだと推察しておりますが、そこでの常連スタッフだったミュージシャンは、そのほとんどがスタジオでの仕事を主にしている者ばかりでした。したがって譜面に強く、またその場の指示にも従順に、そして的確に従っていたはずです。

ところが「オール・シングス・マスト・パス」のセッションに集められたミュージシャンは、英米混成であり、スタジオ系のプレイヤーも当然参加しておりましたが、どちらかと言えば観客を前にして自己の演奏をやっていた、つまり自己主張が強い者達でした。しかも彼等は、当時の最新流行になりつつあった「アメリカ南部の音」=「スワンプ・ロック」というルーズで粘っこいノリを追求していたのです。

したがって、フィル・スペクターも上手く彼等をコントロールする事が出来ず、加えて玄人筋からの「レット・イット・ピー」のプロデュースに対する不評、さらには前述の様な事件等々から、目が覚めたというか、これまでの自分のやり方を変化させたのではなかろうかと思います。

それは演奏者達の自己主張を殺さない様にして、フィル・スペクターの特徴である「音の壁」を作り上げる事に他なりません。しかも主役であるジョージの作る曲は、起伏の乏しいメロディーと精神性の強い愛・内なる真世界という部分を追求した歌詞という、どちらかと言えば浮世離れしたものでしたから、これはある種のドリーミーな世界なので、まさにフィル・スペクターの全盛期に生み出された名曲の数々に共通するところがあり、それ故に当時最新の録音技術で作られた強烈な音圧を伴った「音の壁」にバックアップされた楽曲の数々は、完全に独立した不滅の輝きを今日まで持ち続けているんじゃ~ないでしょうか?

まあ、以上は例によって、サイケおやじの独断と偏見による妄想ではありますが、本気で思うところもあります。

一方、グリン・ジョンズはこの後、アメリカ西海岸のバンドであるイーグルスのプロデュースを手がけ、そこで生み出された「イーグルス(1st)/ イーグルス(1971年)」は、当時非常に新鮮な音作りで、大ヒットになりました。

それは従来のハリウッド系西海岸ポップス、例えばビーチ・ボーイズあたりのカラッとした「音」やサンフランシスコ周辺のバンドが得意としていたサイケ調の底力的「音」とは一線を隔した、力強くて余韻が感じられる、そして膨らみのある音が特徴でした。

聊か確信犯的な書き方ではありますが、それこそはハードな部分と懐かしさや哀愁が漂う部分の両立という、フィル・スペクターの持っていた基本部分を隠し味として取り入れた結果だと思います。

そして、ここで提示された「音」が、1970年代ウエスト・コースト・ロックの聖典となり、音楽産業の要となってしまうのです。

つまり、そんな諸々は、両者がお互いに影響し、且つ影響されていたという事で、ビートルズの出現によって時代遅れにされたフィル・スペクター流ポップスのアメリカへの帰還であり、アルバム「レット・イット・ビー」は、そ~ゆ~流れにおいても重要な役割を果たしていたという、それも今や歴史でありましょうか。

以上は例によって、サイケおやじの独断と偏見による妄想ではありますが、本気で思うところもあります。


ということで、だいぶ回り道をしてしまいましたが、肝心の「KUM BACK」音源の出所については下記のような推測があります。


●アラン・クライン説
 「其の九」でも触れたように、1969年夏に発売が予定されていた新アルバムとして、アラン・クラインがアメリカやカナダの関係者や放送局に送ったアセテート盤が音源になったという説です。

●ジョン・レノン説
 1963年9月にジョンがトロントのロック・フェスティバルに出演した際、地元の取材記者に渡されたアセテート盤が音源と言う説で、これがラジオ局に流れ、放送されたと言われております。

●アップル・コアの社員説
 アラン・クラインの主導で、当時急速に進められていたアップル・コアの事業縮小・整理の対象でクビになった社員から流れたという説です。


現在までのところ、何れも信憑性があり、しかしまた、確証もありません。

唯一真実だったのは、ビートルズの公になっていない音源が、またまだ沢山埋もれているに違いない、ということだけでした。

そしてそれは、ファンにとっては嬉しい期待となり、続々とビートルズの珍しい音源を収録した海賊盤が世に出されてしまうのでした。

 

注:本稿は、2003年10月26日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章の改稿です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« The Beatles Get Back To Let... | トップ | The Beatles Get Back To Let... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Beatles」カテゴリの最新記事