OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

赤い鳥がロックバンドだった頃

2019-12-30 19:18:10 | 日本のロック

紙風船 / 赤い鳥 (東芝)

日本のフォークグループの中でも赤い鳥は素晴らしいコーラスワークをウリにしていた事から、今となっては、所謂アンプラグドな音楽性ばかりと思われがちですが、きっちりバンド形態としてのエレクトリックな歌と演奏にも魅力がありました。

もちろん、赤い鳥のフォークグループとしての存在感は否定出来るものではありません。

それは後藤悦治郎(vo,g)、山本俊彦(vo,g)、平山泰代(vo.p)、新居潤子(vo)、大川茂(vo,b) という編成だったデビュー期においては、古い日本民謡を素材にした「竹田の子守歌」をヒットさせるという瞠目すべき偉業は永遠に記憶されるべきと思いますが、同時にメンバー全員の優れた歌唱力を活かしたコーラス&ハーモニーの力量は業界の注目を集め、メジャーデビュー期のアルバムにはバート・バカラックが書いた有名ヒット曲やサイモン&ガーファンクル、ビートルズ等々の良く知られた売れセンのカバーバージョンが収録されていたのですから、やはり当初はソフトロックのレールが敷かれていたのでしょう。

実際、シングルヒットした「誰のために」「翼をください」「忘れていた朝」等々はハリウッド制作の洋楽ポップスにも負けない魅力が確かにあり、決してアンプラグドではないのです。

高校生だったサイケおやじは、ラジオで聴くだけでしたが、そ~ゆ~赤い鳥が好きでしたねぇ~~♪

ところが当時、つまり昭和45~47(1970-72)年頃の我が国は狂熱的な歌謡フォークのブームが最高潮でしたから、例えば校内同好会のフォーク組の連中はアコギを弾きながら男子も女子も一緒になって赤い鳥のヒット曲を歌っていたという、エレクトリックなバンドに拘泥していたサイケおやじにしてみれば、本音で羨ましい状況を斜めに見ていたという……。

いやはや、なんとも僻み根性が全開の青春時代はお恥ずかしいかぎりなんですが、その溜飲が下がったのが昭和47(1972)年のゴールデンウイークのある日に接した赤い鳥のライブステージで、そこには前述5人のやオリジナルメンバーに加え、大村憲司(g) と村上秀一(ds) という、今やレジェンドの天才プレイヤーが顔を連ね、各々の演奏楽器もエレクトリックに持ち替えられていたのですから、最初の音が出た瞬間、思わず歓声の記憶は今も鮮明です。

しかも演じられていたのは、サイケおやじにとっては馴染みの無い曲が多く、持ち前のコーラスのバックでは唸るエレクトリックなギターソロ、そしてベースとドラムスが強いビートを出し続けるという、ちょいとジェファーソン・エアプレイン風のスタイルさえも披露していたんですねぇ~~♪

もう、完全に日本のロックでしたよっ!

さて、そこで本日掲載したのは昭和48(1973)年春に発売された、これが和製サイケデリック~アシッドフォークと申しましょうか、殊更作詞:黒田三郎&作曲:後藤悦治郎、そして編曲:瀬尾一三&赤い鳥とクレジットされたA面曲「紙風船」は抑揚の緩いメロディラインに起承転結が曖昧な、それこそ呪文とも誤解されそうな歌詞の奇妙な同居を描くいた如き、なかなか摩訶不思議な歌と演奏が展開され、当然ながら蠢くエレキベースと淡々としたドラムスのビート、モード系のギターソロがボーカル&コーラスのバックや合間で流れているという仕上がりですから、これがライブステージで演じられ時には、なかなか熱いエネルギーが噴出されていたんですよっ!

その頃の赤い鳥のステージの雰囲気を伝えるジャケ写にも嬉しくなりますし、今では貴重な記録と思いますが、いかがなものでしょう。

しかし、当然の如くと書けば失礼千万、この頃から赤い鳥はシングルヒットには無縁となり、それでもアルバムはプログレっぽい方向性も感じられる秀作を出しているのですが……。

皆様ご存知のとおり、赤い鳥は昭和49(1974)年に分裂解散し、後藤悦治郎と平山泰代は赤い鳥の正統を継ぐフォーク系の夫婦デュオ「紙風船」、一方の山本俊彦も新居潤子と結婚し、大川茂を加えた「ハイ・ファイ・セット」を結成し、それぞれにヒット曲を放っていったのは現在、ニューミュージックと称されている新しい雰囲気の歌謡曲が創成されていく歴史でもあろうかと思います。

もちろん、その現場には大村憲司(g) と村上秀一(ds) の両名がスタジオセッションや有名スタアのバックバンドで目覚ましい活躍を繰り広げた事実も、決して忘れられないところです。

ということで、赤い鳥が我が国の大衆音楽の世界で果たした役割は計り知れないものがあるのですが、その前期のスタイルはアマチュアのグループでも模倣されながら、後期のエレクトリック&プログレ風味に傾いていた頃の歌や演奏は、それほど親しまれていないんじゃ~なかろうか……。

そりゃ~、とっつきにくい要素があるのは確かですし、サイケおやじも大昔の若かった頃に入れてもらっていたバンドで、そんな事を画策した事もあったんですが、結果は周囲の理解を得られず、頓挫しています。

しかし、今ならねぇ~~~。

あっ、でも最初にコーラス&ハーモニーが素晴らしく出来上がっていなけりゃ~、冗談にも笑い話にもなりませんねっ!

やっぱり、赤い鳥は凄いグループでありました。

最後になりましたが、既に述べたとおり、赤い鳥分裂解散を経て後藤悦治郎と平山泰代が結成したのが「紙風船」と名乗ったのは、この曲との関連が何かしらあるんでしょうか?

それも美しき謎と思うばかりです。

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